第24話 無知

      ◆


 お兄様、とチセが小さな声を漏らしたので、俺は首を垂れた。

 チセの兄なら、ケイロウの子である。

 頭上から声が降ってくる。

「お前はオリバか」

 高圧的な口調だが、声が高いので、どことなく神経質そうな響きだった。

「はい、オリバと申します」

「アマギ殿を切ったと聞いている」

 またその話だ。

 それだけアマギはこの城で大きな座を占めていたということか。ケイロウの信頼も篤かったのだろう。

 嘘を言っても仕方がない。そもそも俺はできるだけ正直でいるつもりだし、これまでもそうしてきた。

「はい、私が切りました」

 空気が張り詰め、それを破って言葉が投げつけられる。

「その技、是非、見たいものだ」

 顔を上げると青年のつま先が見え、次に膝、腰、そして胸を経て顔を見る。

 涼しげな風貌をしているが、声と同様、力強さはない。線が細すぎる。

「剣術は」

 彼の瞳を真っ直ぐに見る。俺の視線から目を逸らさないのは、立派。

「見世物ではありません」

 断言する俺に対して、口元を歪めても、この青年は不機嫌には見えない。どこか拗ねたように見えた。

「しかし父上の前では見せたのだろう、オリバ。なら、私にも見せても良いはず」

「立ち合いもまた、見世物ではありません」

 俺の眼差しを受け止めたまま、しばらく青年は沈黙し「わかった」と低い声で言った。

「庭へ出よ。私と立ち合え」

 俺は動揺もせず、呆れながら頭の中で展開を予想した。予想も何も、俺の勝ちは決まっている。それをどのような形で落着させるかが問題だ。殺してはいけない、怪我をさせてもいけない。さて、この青年はどの程度の技量か。

 チセは絶句しているようだった。しかしそちらを見る余地はない。

「庭へ来い」

 青年が身を翻し、廊下に面している狭い庭へ出た。眺めて楽しむような都の寺にでもありそうな庭である。青年は律儀に草履を履いた。

 やれやれ。これだから。

 俺はすっくと立ち上がり、顔を青ざめさせているチセに一礼し、静かに廊下へ出て、草履をゆっくりと履いた。

「こういうことは言いたくないが」

 声をかけると怪訝そうに青年が振り返る。

 他に誰もないし、無礼であっても構うまい。

「俺だったらあなたが草履を履いているところを切りつけるし、相手が草履を履くのを待ったりもしない」

 青年の口元が微かに震える。

 私はそんな卑怯なことはしない、とでも言いたそうだった。

 心がけは立派だが、勝負というものを知らないのだ。

 俺も庭へ降り、腰の刀の柄に左手を置いた。抜く気のある置き方ではない。

「刀を抜け」

 青年の言葉に、首を傾げてやる。その戯けた動作にさすがの彼も我慢の限界が近いようだ、赤い顔をしてもう一度、「抜け」と繰り返した。

「お先にどうぞ」

 やる気のない俺の言葉に、青年が歯ぎしりをして、ついに刀を抜いた。構えを取るが、すぐに切りかかってはこない。

 構えからして、稽古はしているようだが、切っ先が定まらない。一流の剣士はピタリと切っ先を落ち着ける向きがある。基礎的な刀の扱いにはいくつかの要点があるのだが、どうもこの青年は稽古が十分ではない。ついでに体格からして非力だ。

 俺は刀を抜かず、真っ直ぐに立っていた。

 身構えもしない相手は切れない、などと立派なことを言い出されるとこちらも困るが、ここまで怒りを煽りに煽ったせいだろう、青年はジリッと間合いを詰めてきた。

 動き出す瞬間が、手に取るようにわかる。

 余計な動作が多すぎるし、呼吸が露骨だった。

 青年が刀を振りかぶろうとした瞬間に、俺は前に出ている。

 驚いた顔の青年の腕がほとんど無意識に持ち上がる。ここに至っても、振り上げようとしているのだ。

 俺だったら、打ち込みではなく突きに切り替えるが、そこまで青年は器用でもないし、経験もないらしい。

 彼の手首を押さえ、動きを強制的に止めた次には、抵抗しようとするその勢いも加えて捻りあげる。

 足を払いに行き、腰をぶつけ、俺は青年を片手で投げ飛ばしていた。

 当然、手首を制する中で刀はもぎ取っている。下手に刀をもたせたままにしておくと事故が怖い。青年自身が怪我をすることもありうる。

 砂利の上に背中から落ちた青年を踏みつけて地面に押し付けてやる。刀は俺の手の中に移動していた。

「満足したかな」

 そう声をかけてやるが、青年はもがくだけで返事をしない。

「これがあなたが見たがった剣術というものの、ほんの一部だが、どうだ、満足したかい?」

 青年が両手を突っ張って起き上がろうとするのへ、手元の刀を逆手に握り直し、突き立ててやる。

 切っ先は青年の頭の横を貫き、地面に突き立った。

 さすがに青年は動きを止める。

「あなたはもう何度も死んでいるが、本当に死んでみるか?」

 恫喝する必要もないが、自分の非力と愚かさを実感してもらうのは必要なことだろう。

 勝てない相手に刀を向けるのが、最も愚かなことなのだ。

 もうちょっと言葉を続けてやるか、と思った時、砂利を蹴る音がして俺の背中に鈍い衝撃が来た。

 まぁ、気配を感じていたし、誰かもわかっていたから、受け止めるのは余裕だった。

 俺の背中に食いついているのはチセだった。

「お兄様を放しなさい! オリバ!」

 うーん、美しき兄妹愛と言いたいところだが、無謀な兄妹である。

 こちらは刀を抜き身で持っているんだが。

「わかりました、チセ様」

 そっと青年を踏みつけていた足をどけて、距離をとる。チセは俺の背中から倒れている青年の側に移動し、屈み込んで「ご無事ですか? 怪我はありませんか?」と訊ねている。

 妹の言葉に何度か頷いた青年が立ち上がり、まだ地面に突き立っている刀を抜くと、素直に鞘に戻した。

 そして俺の前で、一礼して見せた。

「ご無礼をしました。お許しください」

 ……これはこれで、居心地が悪いな。

「謝るくらいなら、何もしないほうがいい。まぁ、謝れない奴が一番、おかしいがね」

「失礼しました」

「だから謝るな。一度で十分だよ」

 俺は庭に面した廊下に腰を下ろし、まだ立っている青年を見る。

 チセに似ているが、ケイロウとは少し違う。まぁ、その程度は普通のことか。ケイロウと一番違うのは、この青年の気配が澄んでいるからだろう。策を弄したり、人を騙したり陥れることをしそうには見えない。

 成長すればわからないが、今はまだ、世を知らないということか。

「お名前は?」

 そうこちらから向けてみると彼はまじめな顔で「タンゲと申します」と答えた。

「タンゲ殿が、ケイロウ様の後を継がれるのかな」

「血筋の上では」

 奇妙な答えだったが、あるいはこの青年は青年なりにこの世を解釈しているのかもしれない。

 血縁で領主の座を継承することは多いが、全てがそうではない。家臣が領主の座を奪うこともある。もしくは、そう、チセの夫になるものがハバタ家を継ぐことになる可能性もゼロではない。その時には悲惨な争いになるだろうが、この世から争いが絶えたことはないし、争いを望むものが絶滅したこともない。

 タンゲが何か言いだそうとした時、廊下が軋む音がした。

 近づいてくるそちらを見ると、立派な着物の妙齢の女性が進んでくる。少女を一人、連れている。いかにも立派だ。この城にそのような身分の者は多くない。

「母上!」

 チセが声を上げ、廊下へ上がっていく。入れ替わるように俺は庭へ降りて、片膝をついた。タンゲは真っ直ぐに立ったまま、わずかに頭を下げた。

「タンゲ、無礼をしてはなりませんよ」

 慈愛というものを意識させる調子の女性の言葉に、タンゲが「申し訳ありません」と静かに応じる。

 すぐそこまで来た女性が穏やかに言った。

「私はそこにいるオリバ殿と話があります。タンゲ、チセ、あなたたちにもやることがあるでしょう。日課をおろそかにしてはなりませんよ」

 兄妹がそれぞれに返事をして、廊下を足早に去っていく。タンゲは俺の横を抜ける時、丁寧に頭を下げていった。最初に見せた粗暴さは、彼の本来的な人となりではないと感じさせる場面だ。

 二人の気配が消えた頃、女性が「ここで話しましょう。そんなところにいないで、腰かけて」と俺に声をかけた。

 俺は短く返事をして立ち上がり、廊下に腰を下ろした。女性はすぐそこにいる。

 チセを連想させる面差しの整った顔立ちだが、それよりも落ち着き方が普通ではないところが印象に残る。不動心、という言葉が連想された。

 お茶でも用意なさい、とついてきていた少女に声をかけ、それで今度こそ本当に俺と女性の二人きりになった。

 女性が目を細め、話し始める。



(続く)

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