第22話 誘いと懐柔
◆
夜のハバタ城は、俺を連れてきた男たちが去るまで、騒然としていた。
その様子は直に見ることはできないが、広間で周囲の物音を聞くだけでも手に取るようにわかった。様々な声が交わされ、罪人を捕縛しただけだ、という声もあれば、そのためにこんな大勢を動員したのはなぜか、という疑問もあり、さらに、殺されたのは誰なのか、確認する声さえあった。
俺はしばらく、広間で放って置かれた。刀は奪われている。廊下に見張りの剣士がいた。二名、もしくは三名。この男たちはまったく声を発さない。しかし間違いなく武装している。
やがて周囲が静まり返り、そうなってから俺の前にケイロウが姿を見せた。以前のような幼い小姓ではなく、成人した剣士を連れていた。俺が城内の道場で見たことのある男だった。
その男の技量は把握しているが、俺の手元に刀がないのでは話にならない。
俺は静かに頭を下げた。
「楽にせよ。ここは私の私的な場だ」
ケイロウの言葉に頭を上げる。ケイロウは嬉しそうに笑っている。
「さすがの腕前だな、オリバ。何故、カイリなどに敗れたのか、想像もつかん」
「勝負は時の運とも申しますから」
「お前たち剣士は、運を覆すために技を磨くはずだ」
どこかで聞いた言葉だ。聞きすぎたと言ってもいい。
剣士がどれだけいきがったところで、運は運として存在する。
ケイロウはそれほど興味もなかったらしく、口調を変えた。強く、重いものに。
「オリバ、当家の剣術指南役になれ」
俺はケイロウの目を見た。彼もこちらを見ている。視線と視線がぶつかる。
「剣術指南役は、カイリ殿がその役目についたはずです」
「そのカイリが信用ならぬ」
ケイロウはあっさりと言ってのけるが、気持ちのいいものではない。
「カイリ殿を選ばれたのは、ケイロウ様だったと存じますが」
「その通り。だから私も参っている。このような場でしか言えないこともある」
だからわざと私的な場などと先に口にしたのだ。
かといって、俺に自由が許されるわけではない。本来は聞いてはいけないことを、こうして聞いてしまった。このまま捕縛されること、牢に放り込まれることもあるだろうし、あるいは命を奪われるかもしれない。
「カイリ殿に何か、不満がございますか」
問いかけてみるが、ケイロウは口元を歪めるだけで答えない。
沈黙。
俺の中ではホタルの言葉が反響していた。
カイリには野心がある、と彼女は口にした。
思考を封じ込めて俺はしらを切った。
「カイリ殿は優れた使い手だと、私は身をもって知っています」
私より優れています、そう言葉を付け足すと、ケイロウが鼻で笑った。
「優れた使い手であるのは間違いない。しかしそれが問題なのだよ、オリバ」
「どのような問題がございましょう」
「あの男は、あまりも野心が深すぎると、そう私は見ている」
やはりそれだ。
野心。
この世で野心を持たないものなどいないはずなのに、それがどこでも問題になる。
ケイロウはカイリの野心を警戒しているが、過去を振り返れば、同じように誰かがケイロウの野心を警戒しただろう。ケイロウ自身にも大きな野心があったはず。
そう、ケイロウは自分の野心を現実の形に持って行ったからこそ、今がある。
ここへ至るまでの間に、大勢を排除し、倒してきただろう。血が流れることを顧みず、むしろ歓迎したかもしれない。誰かを懐柔し、または誰かを脅迫し、陥し入れてきたかもしれなかった。
それは悪いことでもなんでもない。
この世では、強いものの全てがそのような過程を経て、勝ち残ってきた。そういう仕組みがあるのだ。
強いものが勝つ世の中だ。そう口にするものもいる。
しかし、強い、とは腕力のことではない。智謀があり、卑劣なことさえも厭わず、悪に染まることを受け入れることさえもある意味では、強い、ということである。
「ケイロウ様なら」俺は言葉を少し選んだ。「剣士の一人など、いかようにもできるはずです」
効果は大きかった。
ケイロウが笑みを浮かべる。酷薄な、冷え冷えとした笑みだ。
「お前をこうして、この場に連れてきたようにな」
この言葉で真相はおおよそわかった。
旅籠で騒ぎを起こし、俺に逃げるように強制したのはケイロウだ。
俺に切りかかってきた二人も、ケイロウが用意した襲撃者。俺に切られること最初から想定した襲撃者だ。
ここまで整えておけば、騒動が始まる前にそれなりの数の兵士を集め、ことが起こったら即座に行動できる。もちろん時機を誤れば混乱するが、ケイロウに抜かりはなかった。ちゃんと俺が相手を斬り殺したところに合わせてきた。
そこは策士としての技量というより、博打打ちの直感じみたものを感じる。
ケイロウはすでに俺をここに取り込み、場を支配している。
「あの剣士は」
どうでもいいことだったが、気にはなる。
「どのような素性のものでしょうか」
短く笑うと「罪人だ」と返事があった。
罪人だから殺しても良い、などという道理はない。罪人であろうと殺してはいけない、という方が道理としては自然だった。
「オリバ、答えを聞かせてくれ」
身を乗り出す男の前で、俺は背筋を伸ばした。
「剣術指南役の一件、お断りします」
ふむ、と領主は目を細め、少し唇を舐めた。
「断るというか。では、城下において人を切った罰として、お前の首をはねる事になる。もし剣術指南役を受けるなら、今のままだ。その首と胴は繋がったままでないと、稽古には都合が悪かろう」
笑えない冗談だった。そして俺を罠にはめた時とは別人のような、稚拙な誘い方だった。
「身の危険など、承知しています。だからここまで来たのです」
「死ぬつもりか?」
「いずれどこかで倒れるのです。それが今になったということ。覚悟はできております」
「生き延びる道がある、それも楽な道なのに、何故、それを選ばない?」
俺は答えなかった。
死が恐ろしくないわけではない。そして、ここまでの自分がこうもあっさりと終わりになることに、未練がないわけではない。
唯一、この権力者の言うがままになるのが、我慢できなかった。
どうせ目の前にいる男が俺を切るわけではない。連れている剣士が襲ってくるか、廊下にいるものが襲ってくることになる。だったら、最後まで抵抗してやろう。刀を奪えれば、いい勝負になるかもしれない。
俺が今、無言でいることを、ケイロウはどう捉えたか。俺の様子を観察するケイロウは、何を思っているのか。
どちらも言葉を発さない。
沈黙は重いというより、耳に痛い、聞こえないほどの高音を伴っているようだった。
その音がどんどん高くなり、最後に切れた時、答えは出るのだ。
その時は思ったよりも早くやってきた。
ケイロウがさっと身振りをすると、連れてた剣士が立ち上がった。
俺は座った姿勢のまま、覚悟を決めた。
切れるだけ切る。
たとえ死ぬとしても。
「そのような顔をするな」
ケイロウの声が響く中で、男は廊下に出ると、そこに控えていたものから刀を受け取った。彼自身の刀は腰にある。彼が受け取った刀は、彼の手によって俺の前に置かれた。
俺の刀だった。
「オリバ、お前が剣術指南役になりたくないという思いでいるのはわかった。しかし私にはお前を諦める気はない。それだけははっきりとさせておこう」
「私にどうしろとおっしゃるのです」
「何もしなくていい。しばらく、この城にいろ。街の旅籠よりはうまい飯が食えるのは間違いない」
「外へ出しては、いただけないのでしょうね」
当たり前だ、とケイロウが笑い、そして立ち上がった。連れていた剣士が油断なく俺を見ながら、廊下へ出て行くケイロウに続く。障子が閉められ、廊下の足音が遠ざかっていく。
緊張が別種の緊張に置き換わる。しかし命の危機は遠ざかったらしかった。
やれやれ、城に軟禁とは。
手を伸ばして自分の刀を手に取る。それで少しだけ心に余裕ができる。
本来なら俺に刀を返すべきではない。返すとすれば、俺を城から出すときだ。ここで俺に刀を返しておくという姿勢は、俺を懐柔するための策かもしれない。それだけ信頼しているのだ、ということを示すような意図が見える。
その程度のことで心変わりする俺ではないが、ケイロウは思ったより、度量が広いのかもしれない。
しばらく一人でいると、障子の向こうから声がして、城のものである女性が現れた。彼女は丁寧に頭を下げると、部屋を用意したと告げた。本当に城で起居することになりそうだ。それが剣術指南役より格上かそれとも格下かは、想像するしかない。するしかないが、あまり考えたくはなかった。
俺は立ち上がり、広間を出た。
もう見張りはいない。それもまた、ケイロウの策か。
自分を信用させようとすることは、簡単なようで難しく、ささやかな要素や、手順のようなものがあると俺も知っている。
ケイロウに引き寄せられないようにしなくては、我が身が危うい気がする。
それは剣を向けられるのに限りなく近い、肌がひりつくような危機感を伴っていた。
(続く)
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