第17話 興味

      ◆


 銭湯に行って汗を流し、十分に温まってから二階へ上がった。

 すでに日が暮れかかっているので、二階の空間にはそれほど大勢の姿はない。人が多い時だとここで囲碁や双六をするものがズラリと並ぶ。今は将棋盤を挟んでいる二人がいるほかは、隅の棚に並ぶ書籍を寝転んで読んでいる若者が一人いるだけ。

 俺はそっと将棋をしている二人に近づいた。二人ともが俺の方を胡乱げに見ているが、声をかけたりはしない。興味もないというように視線を元に戻すと、じっと盤面を見て静かに駒を動かしている。

 俺は黙って彼らの様子を見ていた。

 将棋の決着は意外に早く着いた。

「なんだね、きみは」

 負けた方が不機嫌そうにこちらを見る。苛立ちが隠せず、俺に八つ当たりしているといったところだ。

「気が散るよ」

 これを機と見て、こちらから言葉を向ける。

「ちょっとお聞きしたいことが」

「何?」

 俺は単刀直入に、踏み込むことを決めていた。

「アマギ様のご息女のことです」

「アマギ?」

 負けた方が首をひねる前に、勝った方が「ああ、アマギ様ね」と上機嫌に口にした。

「死んだ、剣術指南役だろう。大層な使い手だという噂だったが、噂は噂ということだ」

「そう、そのアマギ様です」

 俺が話を先へ進めようとすると、「そんなことを聞いてどうする」と負けた方が低い声で言う。彼はだいぶ気が立っている。

「死んだ剣術指南役の、娘とやらに何の用がある? お前、何度か顔を見たことはあるが、流れのものだろう。どこから来た? 名は?」

「オリバというものです。旅をしています」

 正直に答えが、相手は納得しなかった。

「ハバタの街に留まる理由がある旅人など滅多におらん。この街には何もないからな。いても退屈するだけだろう。お前、退屈しのぎに剣術指南役の娘と、繋がろうということか。夫婦になれば剣術指南役になれるとでも思っているのか?」

 めちゃくちゃな理屈だが、非常に答えづらい。

 俺がどう答えるべきか迷っていると、もう一方の男が口を挟んだ。

「待て待て、噂では新しい剣術指南役が見つかったと言うぞ。その男がすでに、アマギ様の屋敷に入って、ご息女と暮らしているというから、すでにこの若造が首を突っ込む隙などないさ」

 なかなか正確な情報だが、俺がいたという情報はすでに忘れられているらしい。

 まぁ、余計な混乱がなくて、その方がいいか。

「そのご息女は、剣術を使われるのですか?」

 本当に聞きたいことを二人の男にぶつけてみたが、二人ともがぽかんとした顔になった。

 それが一転、笑いに変わる。二人の大きな笑い声が響き渡った。

「お前、そんな与太話をよく思いつくものだな。親が剣術指南役だとして、娘が剣術を使えるわけがなかろう」

「剣術などを女子が身につけてどうする。それで嫁に行けるわけがなかろう。それどころか、自分より腕が立つ嫁などどの男も手元に置きたいなどと思わんよ」

 それはその通りなんだが……。

 うまく質問が答えを引き出せないので、俺はどうやってうまく切り出すか、頭の中で言葉を探した。

「ホタル様のことを聞いているのかね」

 不意の声に振り返ると、寝転がって本を読んでいた男がこちらを見ていた。

「ご存知なのですか?」

「ご存知も何も、大昔に手合わせしたことがある」

 思わぬ展開に彼に向き直ると、彼は皮肉げな顔をした。

「と言っても、もう十五年ほどは前だがね」

「十五年……」

「街の道場で、俺は十くらいだった」

 頭の中にホタルの顔を思い浮かべ、彼女の年齢を想像した。おそらく二十をいくらか超えた年頃になるだろう。考えてみれば二十まで嫁入りしないというのも珍しい。何か、事情があるのかもしれない。

 ともかく、十五年も前となるとホタルは幼い時分になる。十にならない頃だろうか。

 男がペラペラと喋る。

「竹刀を持って打ち合ったんだが、ちっちゃこい女が、それはもう縦横無尽に動き回って俺を打ち据えるんだ。それも生ぬるい打ち方じゃない。腕力もない、体力もない、なのに強いのなんの、誰もが瞠目したね」

「本当の話ですか?」

 剣の強さを測るとき、速さを挙げるものもいる。今の話ではホタルが機敏だったことはうかがえる。しかし剣は速さだけが全てではない。

「本当さ」男はしかめっ面になって応じる。「体格で押しつぶそうとしても、それができないんだ。あれを剣術っていうんだと知ったのはだいぶ後だった。その時には俺も家を手伝っていたし、彼女はお屋敷で大人しくするようになっていたな」

「失礼ですが、どちらの道場ですか?」

「どちらもこちらも、この街で唯一残っている道場だよ。兄さん、あそこへ聞き込みに行っても、もう知っている奴はいないよ。世代っていうのかな、今の門人は若い奴らで、昔を知る奴はもう別の道で生きている」

 道場主なら知っているだろう、それだけの使い手なのだから、と水を向けてみたが、男は失笑してあっさり応じた。

「道場主はもう高齢で、昔のことをたいして覚えていないさ。話すことといったらあの爺さんが子どもの時の話で戦乱の世の武勇伝さ。それも真偽が定かじゃない、物語みたいな話だね」

 どうやら情報は散逸し、収集不可能なようだ。

「あんた、なんでホタル様の剣術を気にしているんだね」

 男が逆に質問してきた。

「いえ、宿のものが、ホタル様も剣術を使うと言っていたので、興味のままにこうして聞いてみているというか……」

「あんた、結構、やるんじゃないの? 前に下でちらっと見たけど、体、傷跡だらけだったよううだけど」

「剣はそこそこに。傷が多いのは、未熟だからですよ」

 そうかね、と男はもう興味を失ったようだった。本を開き直し、そこに視線を落とす。会話は終わり、という様子だ。先に話しかけた二人の男も将棋の次の一局を始めている。

 お邪魔しました、と声をかけたが、返事はなかった。頷かれただけだ。

 銭湯から宿に戻る途中で、ホタルの剣術について考えた。

 剣術を使うのは間違いない。今も使うかは不明でも、昔は相応の修練を積んだようだ。アマギが他人に任せたのか、自ら教えたのかは不明。子どもに対する教育の一部だったのか、それともホタルを剣士として育てようとしたのかも不明。いつまでも教えたのかも不明。

 つまり何もわからないのだ。

 本人に聞けば、はっきりするだろうか。

 例の傘は、まだ俺の手元にあった。逆にあの傘を返してしまえば、もうきっかけは一つもなくなるわけで、傘はある意味では切り札のようになっていた。

 ここぞという時に切らなければ、全く意味のない札になってしまうだろう。

 宿に戻ると、帰りが遅くなったために料理が冷えているという。すぐに温め直しますと言われたが、構わないから出してくれと頼んだ。こちらの都合だから問題ない、と口にすると宿のものは平身低頭していた。

 冷めた食事を部屋で食べ、食器が片付けられてから自分で布団を敷いた。布団を敷くことも、最初は断っていたものの、すでに宿のものも何も言わずに俺に任せている。ただ数日に一度、交換はしてくれる。晴れの日に干しているのだろう。

 布団に寝そべり、灯りの火が揺れるのを横目に見た。

 雨戸を閉めているが、微かに風が吹いている。

 ホタルの剣術は、いったい、どんな形をしているのだろう。

 アマギのそれなのか、それともカイリがゼンキの技を変えていったように、アマギの技を変えていった、独自の技なのか。

 剣術に関する興味、関心は尽きることがない。

 剣を取るものは誰もが、そういうものだ。

 それはもしかしたら、憧れかもしれない。

 剣術を使うものは、剣術に魅了される。

 優れた技、美しい技、強い技を常に欲している。

 魔性。

 灯りが強く揺れる。風の音は聞こえなかった。

 影は揺らめき、不意にそれが刃の筋にも見えた。

 しかし刃などない。

 幻。

 錯覚だ。

 剣の筋はしかし、幻でも錯覚でもない。

 人を殺すのが、剣なのだから。

 剣の筋とは、人を殺すための、過程なのだ。

 道の過程の幻に、その筋があるのか、と俺はしばらく影を見ていた。

 二度と、幻は現れなかった。



(続く)

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