第15話 覚悟

      ◆


 どうだろう、とカイリの声がするのに、俺はゆっくりと顔を上げた。

「俺は力にはなれない」

 瞬き一つにも満たない時間だったが、カイリの顔がすっと強張り、次にはすぐに緩む。

「力になれるさ。私とお前はただ一度、刃を交えただけだ。向き合ったのもほんの短い間のことだ。もっと別の形で、お互いに技を見せ合い、ぶつけ合えば、それぞれが成長できる」

 そううまくいくだろうか。

 俺は答えずに、ゆっくりと盃を口元へ運んだ。

 理屈の上では、まさにカイリが言った、技を磨く、という概念はある。

 それも違う技の使い手同士が修練を積めば、技にどう返せるのか、その返しにどう返すのか、と突き詰めていくことはできる。

 ただ、実際の立ち合いにそんな単純な状態が出現するだろうか。

 カイリ自身が言ったことだ。

 俺がカイリの剣を紙一重で凌いだのは、雨で濡れた砂利が大きな要素を占めている。

 最後の最後に俺がカイリの刀を弾きに行ったことも、やはり本来的な技ではなく、本能による行動だった。その行動でさえ、際どく間に合ったものの、間に合わなければ何の意味もない。

 全てが偶然、事故なのだ。

 どれだけ稽古を重ね、研鑽を積んでも、偶然というものを完全に排除はできない。

 技というものには偶然を排除する性質がある。しかし偶然を皆無にはできない。

 俺がカイリと稽古することで得られる情報、技術は確かにあると想像できる。しかしそれによって自分が一歩も二歩も先へ進めるなどとは、とても思えなかった。

 先へ進めるとしても、半歩にも足りない、わずかな前進に過ぎないはずだ。

 もちろんその半歩で命を拾うこともあろうとは思う。

 ただ、俺はカイリの技術をそこまで信頼してもいないのだ。

 すでに一度、技の一部を見た。それだけで俺はわずかにも前に進めた。それ以上を求める気にはなれなかった。

 この世界のどこかにいる、見知らぬ技を使う剣士と会うことの方が、まったく新しい一歩なり、半歩を先へ送れるなら、そちらを俺は選びたいと考えていた。

「不服そうだな」

 からかうような口調でカイリが言葉を向けてくる。

「私の剣術はもう理解した、というわけでもあるまいに」

「それは、その通りだが」

「私の技に貢献するのも、不服かな」

「俺の技ではないしな」

 やっと冗談を向けることができたが、カイリは笑みを浮かべたまま、こちらの目を覗き込んでくる。

「もしかして、俺に立ち合いで敗れたことを根に持っているのか?」

「それもある」

 正直にそう答える自分は、ここ数日の鬱々とした自分とは別人だった。

 根に持っている。

 その通りだ。

 俺はカイリのことを考えている。

 だが、彼に協力したくないのは、彼に負けたからではない。そのはずだが、答えは出ない。カイリの技はカイリの技で、カイリだけが練り上げるべきものだ。剣術はみな、そうだ。一人一人が、自身の技を作り上げていく。

 俺は俺だけの技を作り上げたい。

 人の血が流れるとしても。

 自分の血が流れ、命が消えるとしても。

「カイリ殿」

 俺はわずかに身を乗り出し、彼を正面に見た。

「俺はあなたを切りたいと思っている」

「もう勝負はついただろう」

 さすがにカイリも目を細めた。口元も、引き結ばれている。

 俺は、そうだ、と頷いて見せる。

「勝負はついたが、俺は生きている。この命を捨てるとしても、カイリ殿を切りたいのです」

「今度こそ、死ぬことになるぞ、オリバ」

 死ぬことになる。

 今まで、何度も死線をくぐってきた。

 死を覚悟したことも数知れない。

「死を恐れる理由が、何もない」

 答えた俺を、カイリは睨みつけていた。

 俺はただ静かにその視線を受け止めていた。

 沈黙。無言。静寂。

 フッとカイリの口元が穏やかなものに変わり、「まぁ、いい」と言葉が漏れた。

「すぐに答えを出せとは言わない。私のことを受け入れ難いのも、わからないわけではない。それに、この世に珍しい使い手の剣士がオリバ、お前だけというわけでもない」

「申し訳ない」

「謝るくらいなら、頼みを受け入れるべきだぞ、オリバ」

 俺は深く頭を下げた。

「また旅に出るのか? もう冬になるが」

 なんでもない問いかけに安堵しながら、「考えているところです」と答えた。

「なら、しばらくこの街にいれば良い。私の配下になる気はないだろうが、どうだ、この屋敷で下男として働くか?」

 思わず俺が笑うと、カイリも笑った。冗談が通じるのがこれほどありがたいこともない。

「オリバ、お前は知っているだろうが、剣術指南役の俸禄はかなりの額だ。人を一人雇うくらいのことは、充分にできる。ケイロウ様はおおらかでいらっしゃる」

 これも冗談だろうと判断し、俺は無言で笑みを見せるだけにとどめた。

 それからしばらく、今度は俺が見てきた剣術について語り、夜も更けたので辞することにした。

「そうだ、伝え忘れていた」

 最後にカイリがそのことを口にした。

「ホタル殿といずれ、夫婦になるだろう。ケイロウ様がそれをお望みなのだ。そうなれば私はもう、旅などできないな」

 そうですか、としか言えなかった。

 カイリは「また会おう」と笑った。

 ホタルが俺を玄関まで導き、そのまま門まで付いてきた。下女はそばにいないようだ。夜も遅い、先に休ませたのかもしれない。

 門を抜ける前に、ホタルが静かな口調で言ったが、あまりにも静かなので、夜の静かな空気の中でなければ聞き逃したかもしれない。

「もうしばらく、ここにおられませ」

 もうしばらく。

 ここに。

 ホタルはハバタに留まれ、と言っているようだ。

 俺はじっとホタルの顔を夜闇を透かして見た。この夜は月が出ている。ちょうど門の陰だったが、俺が影の中にいるのに対し、ホタルはささやかな明かりの下にいた。

 表情に感情はない。

 何かの面をつけているようだ。

 瞳に生じる思いもまた、読み取れなかった。

「失礼する」

 それだけ告げて、俺は通用門を抜けた。表へ出て、戸が閉まり、閂がかけられる音がした。

 あとは無音。何の音もしない。ハバタの街は静かだった。

 ゆっくりと歩き出しながら、ホタルの言葉を吟味した。

 俺がこの街に残る理由は何もない、そのつもりだった。

 カイリのことはもう俺の中でおおよそ、決着がついている。もう放っておいてもいいと思える心境になった。それは彼が俺を取り込もうとしたからだ。その程度、と見極めがついた。

 それなのに今度はホタルが俺を引き止める形になった。

 俺をここに置いておいて、どんな意味があるだろう。

 あるいはカイリと夫婦になることと関係があるのか。しかし、いったいどんな関係がある?

 俺は全くの部外者だ。いや、それは違うか。俺はホタルの父であるアマギを切っている。ならホタルは俺をこの街へ留め、仇討ちの機会を探しているのか。

 カイリを俺にけしかける? 場合によってはカイリならやりかねないが、そこまでホタルが誘導することができるのか。どんな方法で誘導できるだろう。

 この街を去ることに、何も難しいところはなさそうだった。銭はあるし、もう見張りもいないと見てもいる。

 以前にも同じことを考えた。

 去るべきか、留まるべきか。

 短い間に何度も同じことを考えるのに、その度に状況が変化していく。あまり経験したことがない展開だった。

 容易なはずのことが、がんじがらめにされたように、容易ではなくなっている。

 カイリ、ホタル。

 ゼンキ、アマギ。

 ケイロウ。

 ハバタの街とそこに住む人々。

 誰が何を求め、何を欲しているのか。

 何を望み、何をしようとしているのか。

 ケイロウを切る。

 ホタルはそのことをまだ、考えているのか。

 歩きながら、俺は思案を続けた。

 借りた提灯が照らす道の先は、闇の中へどこまでも続くようだった。



(続く)

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