第14話 屈託

     ◆


 書籍を傍らにおいて、嬉しそうにカイリが話し始める。屈託のない口調だし、表情にも明るいものがある。

「この屋敷には面白いものがたくさんある。書籍もその一つだが、武具の類も多いぞ。刀など、無造作にまとめられている。しっかりと確認すれば、名刀の一つや二つはありそうだ」

「そこは、剣術指南役のお住まいですから」

 俺がそういうのに、カイリが唇を突き出すような顔つきになる。

「そんな丁寧な言葉を使わなくていい。お互いに旅の剣士だ、そう言っただろう。ここはどこかの旅籠の一室とでも思えばいい。私とオリバは、同じ旅籠に泊まる客同士だ。それでいこう」

 実際に旅の途中で剣士と親しくなる、そういうことは起こりうるが、さすがに今は難しかった。難しかったが、努力はできる。

「では、無礼を許してください。刀など、一本あれば問題ないと思う」

「まさにその通り。名刀だとしても、切れなければ意味がないと言える。飾るにはいいが、やはり実用には実用向きの刀がある。今の世では名刀といえば刃紋だの反りだのと評価する向きもあるが、私やオリバのようなものには、やはり実際に切れるかどうか、だな」

「古い名刀は切れ味もいい。しかしそういう刀は、少ないな」

 そこが不思議なところだ、とカイリが笑う。

「優れた刀はどこへ消えるのだろう。折れたのかな」

「名刀でも、使い続ければいずれは折れる。そういうことでしょう」

「今ある名刀は、誰も使わなかった、という理屈だな。それならその名刀が、本当に切れるかどうかは誰も知らないことになる。矛盾だ」

「剣士という存在が、そもそも異質で矛盾する生き物だと思う」

 声を上げてカイリが笑った時、襖がゆっくりと開き、ホタルが入ってきた。下女がそれに続き、俺とカイリの前に膳が用意される。前にこの屋敷で出されたものと大差ない内容だった。

 ホタルの口からカイリに、俺が酒と肴を持参したことが伝えられた。カイリは笑って「気を使わせたな」と旧知の仲のように気軽に片付けた。もちろん、その方が俺も楽だ。

 しかしどうしても、自分を殺す寸前まで追い詰めた相手と、平然と笑い合うのには並大抵ではない精神力が求められた。

 それぞれの盃にホタルが酒を注ぎ、俺とカイリは同時に盃を掲げ、飲み干した。

「美味い酒だ。酒は米と水で味が変わると、旅の中で知った。水などどこへ行っても違いはないように感じるが、ある時、山奥の村で飲んだ水に感動したことがある。甘ささえ感じる、不思議な味だった」

 そんな風にカイリが話し始め、そのまま彼は自分が辿ってきた旅を遡り始めた。ホタルは時折、相槌を打って話を聞いている。俺はほとんど一言も口を挟まず、酒を少しずつ舐めていた。

 カイリは上機嫌に見えるが、普段からこういう性格でもあるようだ。暗いところがない。多くのものから好感を持たれる型だろう。

 話の中に、何人かの剣士の名前が挙がったが、知らない名前だった。

 そうして話は、ゼンキの元を離れるところにたどり着いた。

「ゼンキ師が剣術指南役の役目を放り出す時、俺は師の元を離れた」

 ぐっと盃を干し、すぐにホタルが次を注ぐ。

「師が何を考えておられるか、全くわからなかった。山に入り、一人で暮らすことで、剣技を高めることなどできるわけがない。私は師をお止めしようとしたが、お前について来いとは言っていない、とそっけなく言われた。だから私は、光陰流を自らで変えていく道を選んだ」

「腕試しをしたということかな」

「腕試しか。かもしれない」

 カイリが嬉しそうに笑い、漬物を口へ運ぶ。音を立てて咀嚼して、話が再開される。

「各地を巡ったのは、今になってみれば正解だった。山にこもるよりも、よほど刺激的で、いい経験になった。各地の流派、古の武術までを訪ねたからこそ、今の私の技がある。独自の技だ」

「それに俺はやられたってことか」

 自虐という意識はなかったが、言葉はとっさに出ていた。

 そう卑下するな、とカイリは笑い飛ばす。

「俺の剣術は、月影流と名付けた。しかしまだ未完成だ」

「少なくとも、師を切った相手を逆に切り殺す寸前だったはずだ」

「だから卑下するな、オリバ。私は確かに勝った。お前を切る寸前だった。しかし切ってはいない」

 考えてもみろ、と盃を置いてカイリが身ぶりを交えて言葉を続ける。

「あの時、俺の刀は間違い無く、お前を殺したはずだった。殺したと確信したよ。間合いも、打ち込みの角度も、速度も、完璧だったはずだ。そしてお前の体に確かに刃が触れた。その瞬間、強烈な衝撃で俺の刀が弾かれた。だからこそ、お前は生きているんだ」

「偶然だよ」

 俺は笑って見せたが、これも努力の賜物に過ぎない。

 悔しいという感情が、否応なしに込み上げてくる。

 惨めだ。

 しかしカイリがいう通り、彼の技は完璧だったのだ。

「偶然というのは、雨に濡れた砂利で足が滑った、ということか?」

 不意にカイリの言葉から感情が失われている。盃から顔を上げた俺の前で、一瞬、カイリの陽気だった目元に、鋭い眼光が覗いた。しかし刹那のことだ。もうそれは消えている。

 視線が合っても、カイリの目元は柔らかい。

「体が転がらなければ、死んでいた」

 俺の素直な言葉に、しかし生きているしなぁ、とカイリは朗らかに笑っていた。

「それくらいになさってはどうですか、カイリ様」

 ホタルが言葉を口にするのに、俺とカイリが彼女の方へ視線を送った。

 彼女はいつも通り、涼しげな表情をしている。

「オリバ様が不憫です。勝負に負けた方の傷口に触るようなことは、残酷でございます」

「確かにオリバは勝負に負けたが、俺が勝負に勝ったわけでもない。ここはお互いに、至らなかったところを確認しなくては、剣術が先へ進まないのだ」

 カイリの口調はやや真剣だったが、跳ねるような調子でしゃべるので真剣味は自然、薄れていた。

 ホタルはといえば「出過ぎたことを申しました」と頭を下げている。

 それは、一言だけ口を挟むことでカイリが理解すると信用しているようでもあった。

 実際に、カイリは話題を変えた。

「オリバはこれからどうするつもりだ」

 話題が変わったが安心はできない。

 これからについて、考えないでもないが、結論は出ない。

「さて、役目も何もないものですから、また旅を続けるしかないでしょうな」

「より優れた使い手を探して、か?」

「自分の未熟さがよくわかった。それだけでもこの地を訪れた意味があった、ということになる。死なずに済んだのも、幸運だった」

 あまりこだわるなよ、とカイリが笑いながら言う。

 こだわりたくないが、俺が今、最も気にするのは自分の命なのだ。

 拾ったのか、繫ぎ止めたのか、あやふやな命。

「実はオリバに頼みたいことがある」

 カイリは盃を持った手をこちらに伸ばしながら、今までで一番真面目な、きちんとした口調で言った。

「二人で技を磨いてみないか」

 技を、磨く。

 俺が黙っていると、カイリはニッと口角を上げた。歯が覗き、明かりの中でそれが光ったようにも見えた。

「ケイロウ様は武術に興味がおありだ。やや血の気が多いというか、流血を求めるところがあるが、それさえ気にしなければ武芸を磨くのには悪くない存在だろう。実際、アマギ殿を切ったお前を引き止め、お前が負けるとすぐに負かした私を取り込んだ。貪欲と言ってもいいが、それも好都合」

 いったい何の話です?

 俺がそう問いかけると、うん、とカイリが顎を引き、それから盃の中身を煽る。

 次にはその目に、鋭い光が宿っていた。

「私と一緒に、剣術の高みを目指す。お前は私の技を学び、お前は私の技を磨く。そうして私の月影流の基礎を作るのに協力しろ」

 して欲しい、ではなく、しろ、と来た。

 俺は顔を俯けて、手元の盃の中を見た。

 自分の顔が歪んで、うっすらと映っている。



(続く)

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