第9話 拘束

       ◆


 剣術の稽古は、退屈の連続だった。

 特に家臣の縁者は総じてやる気がなく、稽古もどこか遊びのような部分を覗かせる。竹刀で打ち合ってもじゃれているようなもので、笑い声が頻繁に聞こえる。

 ハバタ家の奇妙な方針としては、剣術の素質があるとされたものはどのような立場のものでも稽古を受けさせる、というものがある。

 なので足軽のようなものや、ただの農民の青年が紛れ込んでいる。

 しかしそれでも身分の差は如何ともし難いのが実際だった。農民の青年が家臣の跡継ぎを打ち据えることなど、とてもできることではない。

 ハバタ家としては一人でも有能なものを召し抱えたいのだろうが、そううまくいくものではないのが現実だ。

 もちろん、俺も最初はだいぶ疑われた。

 彼らの中でアマギは侵し難い存在で、優れた剣術を身につけた敬うべき存在だったのだろう。

 そのアマギが旅の剣士にあっさりと切られるなど信じ難く、もし切られたとしたら、そこには何かしらの詐術があったのでは、と考えるのは自然だ。

 俺はまさに彼らから、剣術指南役をだまし討ちにして立場を奪った悪人、と見られた。

 これを覆すのは、しかし容易なことだった。

 稽古の場で彼らを一人残らず打ちのめした。必要なら何度でも立ち上がらせ、徹底して打ちのめした。

 師と弟子の間には、愛と敬意による絆があるのが最もいいかもしれない。

 しかし俺はそれを否定し、恐怖を与えるところから始めた。暴力といってもいい力に弟子たちは俺に恐怖し、ただ従うようになる。もちろん、ただ怖がらせているわけではないつもりだ。いつか、彼らが俺の意図や思考を知れば、恐怖は愛のようなものに変わる、かもしれない。

 力は身分を選ぶことはない、ということ。そんな単純なことを、理解してもらえればいいのだが、どうだろう。

 そうなればいい、と楽観しているのは、どうせ二ヶ月だけの役目だからでもある。

 弟子たちは最初は俺を侮り、疑い、床に這い、呻き、叫び、泣き、喚き、やがて理解することになった。二週間ほどが必要だったが、上出来だろう。

 しかし問題はここからだった。

 アマギが教えていた光陰流を正確に使う弟子は一人もいない。型が教え込まれていたはずだったが、その型を見せろと言った俺に弟子が行う型は、明らかに不自然だった。

 アマギとも、ゼンキともまるで違う、無作法だった。

 どうやらアマギは剣士として優れてはいても、師としては二流だったと見るよりない。

 かといって俺が修めた鳴海流に彼らの技を根こそぎ変えるのも、やはり不自然だった。俺が二ヶ月で去る以上、二ヶ月で鳴海流の全てを習得するものなどいるわけもない。結局、二ヶ月後から全く新しい流派を学ぶのなら、俺のいる間の二ヶ月で鳴海流を教えるのは無意味だ。

 というわけで、俺は徹底的に乱取りをやらせる方針を選択した。

 身分の差で実力を発揮できないものも多いが、そもそも、刀を実際に取って誰かと向かい合うとき、身分の差などは何の意味もないのだから、重要なのは、躊躇なく相手に打ち込めるかどうか、その一点だった。

 相手を打つことを躊躇わなければ、少々の技の不出来など覆せる。

 乱世が終わろうかというこの時期でも、剣術を修めたものが、何でもない自己流の技に敗れることは多い。俺の兄弟子、弟弟子でもそのような例がいくつもある。誰もが一流の使い手を相手取っても打ち敗れる可能性はあるのだ。

 素人は型を知らないが、自在に剣を振ってくる。力任せで、不規則で、呼吸も何もない技が素人の技だ。

 不意を打たれると、どんな使い手でも受け間違い、事故のような形で致命傷を負う。

 俺がハバタ家の城内にある道場で教えているのは、その事故を意図的に誘発しようとする、剣術とも言えない技術だった。

 家臣の子息たちは実に無邪気に竹刀をぶつけ合っている。

 俺は彼らを見ながら、真剣を持たせたらどうなるか、ということを夢想して時間を過ごしたりもした。

 真剣で打つのと竹刀で打つのはまるで違う。

 彼らが真剣を持っても、相手を切り殺すことなどできないのは目に見えている。

 恐慌状態になった時に、万に一つ、相手を切れるかもしれない、という程度だ。

 剣士として素質がありそうなものは、竹刀で打ちあうにしても相手の呼吸を読もうとし、自分の動作や相手の動作を理解しようとする。そのために激しい打ち合いにはならない。もっとも、これはやや退屈だ。

 考えようとする彼らに真剣を持たせれば、さて、どれくらいの相手を切れるだろう。

 理屈や理論は、教えるとき、伝えるときには意味を持つ。

 しかし理屈や理論で相手が切れるわけではない。

 そう、ゼンキのところにいたとき、俺は木を切りながら、考えていたのだ。

 体の使い方は、理屈でも理論でもない。

 実際の運動、実際の感覚。

 そこにしかない。

 一ヶ月はあっという間に過ぎていった。

 日々、寒さが厳しさを増していくのを感じた。

 その人物がやってきた日は、朝から空が曇っており、それもあってか寒さは少しやわらいでいた。代わりに雨が降りそうである。

 俺は剣術指南役を仮に引き受けてからも、旅籠で起居していた。剣術指南役の屋敷に入るように言われたが、それはなんとか断った。断る中で、ホタルとともに住むわけにはいかない、という言い訳も口にしたが、これは聞き流されてしまった。それでもなんとか、旅籠で過ごすことを認めてもらった形だ。

 朝早くに旅籠を出て、宿のものに見送られながら城へ向かう。

 弟子たちは数人がすでに集まっており、稽古を始めていた。俺が中に入ると、そこにいるものが動きを止め、一礼する。俺は最低限の礼だけでいいようにみなに伝えていた。

 礼儀正しさでも、やはり相手を切れないのだ。

 俺は上座にある一段高い場所であぐらをかいて、稽古の様子を眺める。

 この日も退屈な日になるはずだったが、弟子たちに混ざって知らない男が入ってきた。

 新しい弟子が不意に増えることはこれまでもあったが、そうではないと一目でわかる。

 服装が旅装であり、さらに言えば、体が出来上がっている。

 剣士の体つきだった。

 目つきは鋭いが、愛嬌がある。彼は俺を見て、一礼した。俺の方でも頭を下げる。

 彼はほんの短い間、稽古を見物してから道場を出ていった。最後にもやはり俺に一礼した。

 やがて稽古の時間が終わり、これは俺の主義で決めた道場の掃除を全員でさせ、それから全員が並んで俺に一礼して声を揃えて挨拶をする。これで本当に稽古は終わりである。弟子たちはそれぞれに道場を出ていった。

 それを見送ってから旅籠へ戻ろうとすると、まるでこちらの仕事が終わるのを待ち構えていたように、城のものがやってきた。

 たまに朝食の席に呼ばれることもあるが、今日は見知らぬ男のこともあるので、心構えはできていた。

 しかし城のものがあまりにも緊張した表情をするので、どうやら予想外のことが起こるらしい、と察する俺だった。俺の前に来た若者が、頭を下げ、声を発するがやや震えていた。

「ケイロウ様がオリバ殿をお呼びです」

「朝食かな」

「いえ、お客人が参られたとのことです」

 客人。やはり先ほどの男だろう。

 俺はそのまま城の中に入り、廊下を城のものの先導で進んだ。

 広間の一つに通されると、先ほどの男は既にその場にいて、礼儀正しく座っていた。

 上座にはケイロウがいる。

 俺は膝を折り挨拶をしてから広間の中へ進んだ。

 名も知らぬ男の横で、俺は頭を下げた。

「オリバ」

 俺が言葉を発する前にケイロウが声をかけてくる。

「そこにいるものを存じているか」

 隣にいる男だろう。見知らぬ顔だ。

「存じませぬが、何か?」

「そこにいるものは、カイリという名の剣士だ。お前と同じように旅をしているという。剣術指南役を求めている私の噂を聞き、ここへ来たそうだが、興味深いことを聞いた」

「どのような」

 ケイロウが、ぐっと身を乗り出すのが気配でわかった。

「カイリは、ゼンキ殿の弟子らしい」

 俺は視線をゆっくりとカイリに向ける。

 ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべる横顔が見えた。

 ゼンキの弟子か。

 実際にそんな存在に対面したことはなかったが、剣豪と呼ばれるほどの使い手なのだ、弟子がいてもおかしくはない。

「では、私の役目をカイリ殿にお任せいたします」

 俺が素早く言葉を口にすると、「待て、待て」とケイロウの声がした。

「それではつまらぬ。私は、腕が立つ剣士が欲しいのだ」

 不穏、とはまさにこのことだ。

 果たして、ケイロウは俺が危惧したとおりのことを口にした。

 俺とカイリで、決闘をせよというのだ。

 俺は断ろうとしたが、ケイロウはしたり顔で言った。

「まさか、アマギを切ったお前が、逃げることもできまい」

 怯懦と嘲笑われても構わない。

 しかし俺は、反論しなかった。

 二つのことが俺を縛っていた。

 アマギ、そしてゼンキだった。

 死者はどこまでも、俺を拘束し続ける。

 それが剣士の業だった。



(続く)

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