第8話 理屈と感情

       ◆


 問いたいことは、とケイロウが言葉にする。

「オリバを剣術指南役としたい、という一事だ。ホタルの意見はどうか」

 女性の意見を取り入れる領主など滅多にいないが、この座ではそれを余興としてケイロウは披露しているらしい。俺の心をなびかせるための遊興でもあるだろう。

 不愉快だか、有力者は大概がこの手の趣味の悪さを隠せないものだ。

 ホタルという名の女性がすっと視線を下げる。

「優れた剣士を迎えることは、喜ばしいことかと存じます」

「お前の父を切った男だがな」

 やはり父。本当にホタルはアマギの娘か。

 趣味が悪いにも程があるが、誰も意見など口をしない。

 それはホタルはも同様で、彼女は姿勢をわずかも変えなかった。声だけが滔々と流れる。

「剣士とはそのようなものと、父は常々、申しておりました。弱き者は去り、強きものが残ると。オリバ様が勝ち、父が敗れたのは、父が弱かったということであろうと存じます。ですから、父の後をオリバ様が受けることに、何も不自然なところはないとかと思う次第です」

 ケイロウが何度か頷き、盃の中身を飲み干した。

 彼の視線が俺に向く。

「ということだが、まだ突っぱねるつもりかな、オリバ」

「は……」

 断る以外の選択肢がないので、言葉が見つからない。

 どれだけ頭を下げても、額を地面にこすりつけても、ケイロウは俺を逃がさないだろう。

「お館様」

 声を発したのはヘビだった。

「いっそのこと、ホタル殿とオリバ殿を夫婦にしてみては」

 これに家臣たちが一斉に賛同し始めた。

 俺は冷静に場の流れを読もうとした。容易に否定できないが、うまく言葉を弄すれば、回答を先送りにすることだけはできそうだった。まずは状況を整理し、うまく根回ししなければ俺の真にを認めさせる余地すらない。そのためには時間が必要だ。

「私にも」

 俺より先に答えたのは、意外にもホタルだった。

「殿方に求めるものがございますので」

 空気が変わった。

「ほう、珍しいこと」

 ブタがホタルの言葉に乗った。

「銭かな、それとも、やはり剣術の腕かな」

 家臣たちが愉快げにしているところへ、ホタルは至って冷静に、感情をほとんど見せない静かな声で言った。

「野心でございます」

 これに場にはドッと笑いが起こった。

 それではまるでハバタ家を潰すものを求めているようではないか、余計な野心などやめておけ、すでに乱世は終わったのだ。

 そんな言葉が家臣たちの口から次々に発せられた。

 しかし俺は笑わなかった。笑えなかった。

 そして、ケイロウも笑みこそ浮かべているが、言葉は口にしなかった。

「まぁ、それもよかろう」

 ひとしきり、家臣たちが笑いあってからやっとケイロウが声を発した。

「ホタル、何か食っていけ。アマギのことを誰かと語り合い、思い出したいと考えていたところなのだ」

「ありがとうございます」

 ホタルがこれまでと変わらぬ静かな声で言う。

 いかにも心の内を見せない、油断ならない女性である。

 それから彼女も席に連なり、夜が更けるまで、ケイロウや家臣を相手にアマギの昔話になった。俺は何も知らないので、できるだけ静かに、目立たないようにその場にいた。

 そうこうしているうちに酒席が終わり、ケイロウが下がってから家臣たちもめいめいに引き上げて行った。俺は最後まで残ったヘビと話をして、彼を見送ってから最後に広間を出ようとしたが、さも当然のようにまだホタルも残っていた。

「ホタル殿は」

 ヘビがからかうように言ったが、酒のせいか、やや呂律が怪しい。

「指南役の屋敷にお住まいだ。オリバ殿、女子を一人で帰らせるものではありませんぞ」

 あわよくば夫婦になれ、と先ほどの話を蒸し返された気がしたが、俺は適当に受け流した。それでもと、ホタルに「屋敷までお送りしましょうか」と確認してみた。

 自分で言っておきながら、これはよく考えればおかしな話だ。父を切った男と二人になるのに、平静でいられるものなどそうそういない。いるとすれば尋常ではない意志力の持ち主だ。

 俺が自分の失言に気づき、しかしホタルが断るだろうとその言葉を待った。

「では、お願い致します」

 言葉の意味を理解するのに、少しの間が必要だった。

 俺より先にヘビが声をかけて笑い、「若い者はいいな」とやおら立ち上がると、大股で広間を出て行ってしまった。

 ホタルと二人きりになった。

「お送りします」

 短くそれだけ言うと、ホタルが頭を下げて「お願い致します」と言った。

 ホタルとともに広間を出て、廊下を歩いた。もうどちらもが無言だった。アマギと共にいるときに感じた重苦しさはないが、不自然であることは間違いない。妙な空気だった。殺気立っているわけでもなく、しかし弛緩しているとはとても言えない。

 玄関を出て、明かりに照らされた道筋を進んで、門を抜ける。すでに街は静かになっていた。提灯を借りていたので、それぞれの手元の提灯で足元を照らしながら進む。この夜は雲が多く、月は隠れてしまっていた。

「オリバ様」

 不意にホタルが声を発した。夜の静けさのせいで、静かな声がいやに大きく聞こえる。俺はわずかに足を送るのを緩めて、彼女の方に向き直った。

「父は最後、どのようなことを言い残しましたか」

 完全に俺の足が止まった。

 最後の言葉。

 アマギも、ゼンキの最後の言葉を俺に確認した。

 親娘なのだ。

 不思議な共通点である。

 まるで俺は、抜け出すことのできない迷路にいるようだった。

「アマギ殿は、何も言葉を口にしませんでした」

 正直に、はっきりと言葉にしたが、この時もホタルの感情は窺い知れなかった。

「すぐに死んだからでしょうか」

 実に大胆な娘だ。俺は思わず咳払いしていた。もちろん、それで誤魔化せるものではない。

 意を決して、言葉を返す。

「立ったまま、亡くなりました。お互いが技を出しきり、きわどいところで勝敗は別れました」

「あなた様も手傷を負われたとか」

「はい」

 この娘なら、俺の傷の意味を正確に理解しそうだった。

 俺とアマギの間には生と死という極端な違いが生じたが、それは紙一重だったのだ。

 俺が手傷を負ったということは、まさに紙一重なのだ。

 両者の拮抗が手傷の一つに表現されている。

「オリバ様にお願いがあるのですが」

 ホタルがわずかに俺を見上げる。彼女は女性にしては長身で、背筋がまっすぐに伸びているのが彼女を見ていて、無意識に理解された。

「どのようなことでしょうか」

「ケイロウ様をお切りください」

 ……何を考えている?

 音もせず、形も姿もない衝撃に、俺は打ちのめされながら、じっとホタルを見た。ホタルも俺を見ている。

 視線がぶつかり、絡まるが、何も得られるものはない。

「ケイロウ様を切る?」

 繰り返す俺に、ホタルが何でもないように「はい」と頷く。

 問い返さずにはいられなかった。それが俺の動揺の証明だった。

「何故ですか」

「理由が必要ですか」

 理由か。

 俺がゼンキを切った理由は、何だっただろう。他人に説明できるような理由だっただろうか。言語化が可能な理屈が、俺の中にあっただろうか。

 俺がアマギを切ったのは、側面の一つを選ぶなら、ケイロウがそれを望んだからだ。しかしそれだけではない気もする。誰かの指示や命令だけではなく、俺の内部にも何かがあった。これもやはり、言葉にはできない。

 さらに言えば、アマギにもアマギなりの理屈があったはずだ。あるいは、感情も。

 ホタルがケイロウを殺したいのも、言葉にできない理由のような気がした。したが、はっきりしたことは言えない。

 それでも言葉を探すことを俺はした。

「ケイロウ様を切れというのは、アマギ殿の死と関係がありますか?」

「それも一つ」

 それも、か。

「口にできることでしょうか。それとも、胸に秘めたままのほうがいいことですか」

「私の、思いです。それだけでは不足ですか」

 風が吹いて、提灯がかすかに揺れる。

 俺は幾分、冷静になった。

「不足でしょうね。人を切れ、というのですから。しかもただの剣士ではなく、領主をです」

 ホタルの口元に笑みが浮かんだ。かすかな、うっすらとした笑みだったが、提灯の明かりが陰影を強調し、どこか妖艶なそれにも見えた。

「父を切るときには、不足はなかった?」

「そうなります」

「説明できますか」

 まったく、領主に迫られた次には、切った相手の娘に問い詰められるとは。

 俺が沈黙を決め込むと、ホタルがわずかに顔を伏せた。

「決して、他言なさいませんよう。オリバ様を見込んでのお願いですから」

「ええ」

 俺は頷いてみせたが、ホタルの顔は影で見えない。

「それはもちろん、他言などできません」

「しかし、本心でございますよ」

 冗談で紛らわす余裕がなんとか俺の中にも戻ってきていたのには、天に感謝するしかない。

「旅のものですから、すぐに忘れてしまいます」

「それはそれで、寂しいものです」

 ホタルが止めていた足を再び進め始めたので、俺も隣に並んで進んだ。

 剣術指南役の屋敷は城のすぐそばにあった。しかし大げさな屋敷ではない。生垣で囲まれているだけで、しかも深夜なので人気もない。門に不寝番がいるわけでもなく、彼女は通用門から入っていった。

 別れ際に彼女は「今日のことをお忘れなく」とさりげなく念を押してきた。

 俺は無言で、わずかに顎を引くにとどめた。

 門が閉まってから閂がかけられる音を聞いて、それでやっと俺はその場を離れた。

 どうも厄介ごとに巻き込まれているのは間違いない。このまま城下町を出てしまうべきだろうか。刀は腰に帯びている。財布にそれなりの銭もある。宿に置いてある荷物は、捨てても問題ないものだけだ。

 夜の通りを歩きながら、俺は思案した。

 思案したが、結局、街を出なかった。

 ケイロウにはうんざりしていたが、ホタルには興味があった。

 この翌日、俺は仮にとして指南役を受けるとケイロウに告げた。期間を決めて、とりあえずは二ヶ月である。二ヶ月が過ぎてしまえば冬がやってきて旅をするには厳しくなるが、旅が必ずしも不可能というわけではない。

 自分の願望が受け入れらえたせいか、ケイロウは満足げに俺を迎え入れた。

 この男を切れとホタルは言ったのだ、と思うと、複雑な事情が意識される。

 ホタルの中には、どのような感情、思いがあるのだろう。



(続く)

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