第7話 事実

      ◆


 アマギを切ったその日の夜から、宴が続いた。

 それは俺をもてなし、取り込む以外の目的のない、ある意味では無邪気で、ある意味では残酷な宴だった。

 喪に服するべきではないかと俺は思ったが、ハバタ家のものはそのようなことを気にも留めないようだ。

 もちろん、家臣の幾人かは批判的ではあったようだが、ケイロウが平然としており、空気に内在する批判の意思も時間とともに薄れていった。

 俺が気にするべきことは、いかにしてこの城下を脱出するか、その一点に集約していったと言える。

 アマギの家族については、誰の口からも聞かなかったが、仇討ちとなれば余計な流血が伴うし、ここに俺が留まることは、直接の血縁者ではなくとも揉め事の火種になりかねない立場にあるものの敵意を、嫌が応にも煽りそうだった。

 しかし俺の懸念など杞憂なのか、連日、宿には早朝から城のものが使者としてやってくる。いつの刻限に登城されたい、というようなことを伝えてくるのだ。最初は断るのも角が立つと受けていたが、三日も続けばさすがに事態に気づくというものだ。

 断ろうとすると、「城主様の直々のお召しですので、是非」と言い出す。

 では宿のものを間に挟んで、仮病を装って断ろうとしたが、今度は宿のものが「そのような恐れ多いことはできません」と何度も俺に頭をさげることになった。斬り殺されるわけでもあるまいに、と指摘しかけて、実際、ケイロウは俺とアマギを切り結ばせたのを思い出した。

 宿の番頭の一人など、容易に切るかもしれない、と思われてもおかしくない。そんな気がした。

 迎えの使者を先に帰して、こっそり街を抜け出そうとしたこともあったが、宿の前に見張りの剣士がいるのに気づいた。まさか後を追ってくるとも思えなかったが、不吉である。

 決して俺を手放さない、そんな意思が見え隠れしていた。

 そうして滞在は瞬く間に七日を過ぎた。

 左肩に負った傷はすでに痛みがあるだけでふさがりつつある。数日は体が熱を帯びて気だるい気もしたが、その熱も引いて、まったくの正常の体調だった。

 城に入り、広間に通される。時刻は夕方で、すでに食事が用意されているのは匂いでわかる。

 広間に入ると家臣が四名、すでに座について何事か会話を交わしていた。俺が広間に入ると、ピタリと会話が止まり、すぐに再開される。しかし内容が変化しているのは間違いない。表情の変化でそれが感じ取れる。錯覚ではないだろう。

 俺は何かを聞かれれば答えるだけで、ひたすら黙ることに徹していた。

 この城を支配しているのはケイロウであり、家臣は家臣に過ぎないとわかってきた。

 ケイロウは畏怖の対象というより、恐怖の対象であるようだ。

 戦乱の世ではよくあったことだ。恐怖による統治は、統治の手法の当たり前の手法、王道の一つだった。恐怖とは暴力と言い換えてもいい。ケイロウはどうやら独自に兵を用意し、家臣たちには手元における兵力を制限する措置を取っている。そんなことも、会話の端々を繋ぎ合わせていくと見えてくる。家臣たちは不満があり、対抗を考えている。しかしそれがケイロウに漏れれば、それまでだ。

 ケイロウの、兵の数を小さくしようとするやり方は、戦乱のままでは不可能だっただろう。戦乱とは、どれだけの兵を動員し、それをどれだけ養えるかが重要な要素だった。もちろん武具は必要だったし、兵を使う戦略戦術も、兵が指揮に従う理解力も意味を持ったが、まずは数が揃わなければ戦にならない。

 ともかく、この街を支配するのはケイロウで、それに対抗する手段はほとんどない。

「オリバ殿、そろそろですぞ」

 家臣の一人が声を向けてくる。それが合図だったように、他の三人もこちらに視線を向けた。

 家臣の名前は何度か聞いたが、忘れてしまった。俺は勝手に頭の中で、ネズミ、ネコ、ブタ、ヘビと呼んでいた。

 声を向けてきたのはネズミだ。

「そろそろ、と申しますと?」

「ハバタ家にお仕えするかどうか、ということでござる」

 俺にそんな気は毛頭、ない。

 遠回しに何度も主張したが、無視されている主張だった。

 ネズミが言いたいのは、そろそろ折れろ、ということだろう。ケイロウは我慢の限界に達しつつある、と教えてくれているのかもしれない。

「みなさまから」

 俺も少しだけ遠回りする気になった。

「私の本当の姿をケイロウ様にお伝え下さると、助かるのですが」

 冗談を言ったわけではないが、場に笑いが満ちた。

「オリバ殿はおもしろいことをおっしゃる」

 ネズミが細い目をさらに細めて言う。

「アマギ殿を切ったのは、紛れもなくオリバ殿。その後を継ぐのは当然であろう」

 左様、とブタが言葉を継ぐ。

「見事な腕前をお持ちではないか。ケイロウ様はオリバ殿をたいそう、お気に入りの様子。これは望んでも容易には受けることのできないご温情ですぞ」

 再び笑いが交換される。 

 もう諦めろ、諦めて仕えてしまえ、という言葉が重なっているような笑い声の響き方だった。

 しばらくするとケイロウがやってきて、すぐに料理が用意された。日が沈み、明かりが入れられる。すぐに酒も出てきた。

「心を決めたか、オリバ殿」

 しばらく穏やかに食事が進んだところで、ケイロウが俺に声をかけてきた。ここまでの会話には俺に関する話題も、剣術に関する話題もなかった。剣術指南役を誰にするか、などという話題ももちろん、ない。

 家臣たちが口を閉じ、俺を見る。

 酔っているような顔つきのものがいないのが、刃を前にした時とは別の緊張を呼び起こす。

「私の心は変わりません」

 家臣の一人、ブタが手に持っていた盃をそっと膳に置くのが見えた。

「私は、旅をする方が合っております。とてもハバタ家に見合った使い手でもございません」

「しかし、アマギを切った。あれは間違いのない事実。それでも我が家にふさわしくない使い手だと言うのか?」

 ケイロウの問いかけに、俺は一度、深く頭を下げた。

「剣術を比べれば、そこには生と死しかありません。確かに私は生きており、アマギ殿は亡くなりました。それはあるいは、剣術の優劣、体力の優劣の結果かもしれません。しかしその優劣を超越したところで、生死は分かれるものです」

 誰も何も言わない。

「生死に関しては、ケイロウ様の方がお詳しいかと存じます」

 押し込んでみたが、ケイロウは動じなかった。

「生きているものには」

 ぐっと盃を煽るケイロウの目が光ったような気がした。

「生きているという一事だけで、負うべき責任があると思うが?」

 答えるのが難しい問いかけだった。

 俺はアマギを切った。その死に責任を持たなければいけないのは、事実だ。

 しかしそれは、剣術指南役を引き受けることとは、別に思えた。

 生きているものの責任とは、いったいどんなもので、どういう形で果たせるのだろう。 

 ましてや、人を切ったものの責任とは、どのようなものか……。

 俺が黙ったことに勝ち誇るようでもなく、ケイロウが言葉を続けようとした時、控えていた小姓の元へ城のものがやってきて耳打ちで何かを告げ、今度はその小姓がケイロウのそばに進んで何事か、耳打ちをした。

 彼の口元に笑みが浮かんだが、何を意味したかはすぐには理解できなかった。

「ここへ呼べ」

 ケイロウはそう言って、小姓を下がらせた。

 俺はケイロウが声をかけてくるのを待ったが、何故かケイロウは黙ってしまった。

 少しすると、かすかに床が鳴り、一人の人物が広間に面した廊下で膝を折った。

「失礼いたします」

 澄んだ高い声の後、入ってきたのは若い女性だった。

 しかし服装は黒い着物である。

 喪が連想させ、俺もすぐに勘付いた。

「よく来たな、ホタル」

「ケイロウ様に御礼を申し上げるために、参りました」

 俺はじっと女性を見たが、女性は顔を上げない。

 ケイロウが楽しそうに言葉を口にする。からかうようでもあり、いたぶるようにも見えた。

「御礼などと、それは皮肉かな。そなたの父を死なせたのは私のようなものなのだぞ」

 やはりそうなのだ。

 彼女はアマギの縁者なのだ。

 アマギが父とは、つまり、娘か。

 ケイロウが盃を持った手で俺の方を示す。酒の雫が飛んだかと思うと空中で一瞬、明かりの中で瞬いた。

「そこにいるもの、オリバがアマギを切ったのだ」

 女性が少し頭を下げ、しかし視線は向けないまま、さらに深く俺に頭を下げた。

 何を言っていいのか、すぐには見当がつかなかった。

「ホタル、お前の意見を聞いておきたいと思っておった」

 ケイロウの言葉に、「何なりと」とホタルがわずかに顔を上げる。

 やっとその表情が見て取れた。

 整った顔つきをしているが、どこか冷酷にも見えた。仮面めいている。

 それは肌が抜けるように白いからかもしれないし、氷を連想させる瞳のせいかもしれない。

 しかし誰もそれを気にしていない。

 危険な匂いがする。極めて危険な。

 俺は心の中で、身構えていた。



(続く)

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