第6話 人ではない
◆
見物するのはケイロウ、その家臣の四名、それと何のためか配置された剣士が四人というところだ。
むしろは下げられ、俺とアマギが向かい合った。
間合いは十分である。
しかしどちらも刀を抜こうとしない。
「始めよと言っている」
ケイロウの苛立った声が届いても、俺もアマギも動かなかった。
本当にゆっくりとアマギの手が柄に向かって動く。もう一方の手は鞘に伸びている。
俺は一度、呼吸を意識した。
刀を抜けば、その時にはもう俺は人ではない。
人ではない俺が、人を助ける余裕などあるか。
その余裕を何としても、引き出さなければならなかった。
アマギの右手が柄を握る。
いや、ほとんど同時に飛び出してくる。
居合い。
俺の方からも前へ跳び、砂利の上を転がる。
跳ね起きた時には刀を抜いていた。
どこかを切られたのか、把握する余地などない。
アマギはこちらに向き直り、刀を構えている。
既視感のある、上段の構え。
その太刀筋は知っている。
悲しくなるほど、アマギの構えはゼンキの構えに似ていた。
どんな流派でも、同じ道場で学んだとしても、剣術には個性が出る。
個性はある時には弱点となり、流派の技、道場の実戦の中で矯正されていく。
しかし中には、より優れた技に発展する個性もある。
俺が気にするべきは、アマギの個性だった。
ゼンキの技に俺は命を落としてもおかしくなかった。そのゼンキの技を、俺は繰り返し想像し、繰り返しそれに返す技を考え続けていた。
今、そのゼンキの技が甦ろうとしている。
俺は下段に構えていた切っ先を、後ろへ下げ、左肩を前にする構えを取る。
アマギの姿勢は不動。
やはりゼンキと基礎が同じ技を使うのだろう。
足を少しずつ右へ送っていく。アマギも上段の構えのまま右へ移動。両者が円を描くように移動する。
どこかで仕掛けることを狙っているが、アマギに隙はない。
光の向きだけが変わる。さっきまでアマギから見て俺が逆光の中にいたのが、今は二人共が横から光を浴びている。
光が瞬く。
アマギの刃に反射した光が目を射抜く。
一瞬、瞼が閉じる。
刃が来るのはわかった。
見なくてもわかる。俺が目を閉じるのを見過ごすアマギではない。
致命的な隙だった。
図らずも、勝負はこうして唐突にやってきた。
強く踏み込み、まっすぐに刃を繰り出す。
頭上から刃が落ちてくるのが、何故か視線ではない何かで見えた気がした。
足を踏ん張り、右手へ跳ねる。
俺の目と鼻の先をアマギの刃が走り抜け、俺の刃がアマギの胸を抉る。
二人が再び間合いを取り、構えを取る。
奇跡だった。
一撃で両断され、即死してもおかしくない場面だった。
俺が生き延びたのは、アマギの技がゼンキの技と根を同じくしているからに過ぎない。
基礎の基礎を知っていたこと、それが俺にアマギの太刀筋を思い描かせた。
それでもアマギの技を知っていたわけではない。
まさに奇跡、天佑だった。
アマギの胸が血に染まっていく。俺も左腕にかすかな痛みがある。刃が掠めたのだろう。しかし腕は動く。痺れもない。力も入る。どう見ても俺が有利だった。
ケイロウは何故、勝負を止めないのか。
もうこれで決着としてもいい。
これが決着ではないというのか?
どちらかが本当に死ぬまで、やらせるつもりなのか。
アマギが構えを変える。正眼だった。これはゼンキが見せたことのない構え。
やっとこれで互角だ。俺はゼンキの技からアマギの技を推測できたが、アマギは俺の技など何も知らないでいるのだ。その知識の有無、情報の有無が、アマギの胸の傷として出現したとも言える。
間合いは先程より広い。双方が踏み込めば間合いに捉えられる、紙一重で勝敗が決する間隔。
死の気配が吹き寄せる。
アマギは俺を殺す気だ。
手加減せず、切りにくる。
ゼンキのことなど関係ないと、その眼差しが語っていた。
剣士として、強い使い手を切る。
そもそも剣の道に生きるものは、それが前提なのだ。
アマギに限らず、俺もそうだ。
殺さずに制するなど、甘いこと。弱いことだ。
敬意に欠け、相手を侮辱する行為だ。
死だけが、相手を認めることか。
残酷。
冷酷。
しかし他に行き着くところがないのが、剣の道だった。
きっかけがあったのか、なかったのか。
二人が同時に砂利を蹴った。
俺は低い姿勢で、突っ込む。
アマギは基本に忠実な、幹竹割りの一振りをまっすぐに繰り出してくる。
アマギの振りが早い。
切られる。
全身が弛緩したのか強張ったのか、俺にはわからない。
本能が、俺の意識を超越して体を動かしたとしか言えない。
足が地面を抉るように踏みしめ、筋が限界まで捻れ、体が歪む。
左肩をアマギの刃がなぞる。
しかし浅い。
アマギの左手側へ体を逃がしながら、俺の一撃がアマギの左腕に食い込み、引き裂き、完全に断つと、そのまま左胸に突き進む。
腕を断ち割る段階で勢いが削がれていたが、俺の刃はアマギの左胸を背中側から脇へと走り、正面から抜けた。
砂利に足を取られながら、即座に振り返って姿勢をとった俺の前で、アマギの左腕がすっ飛んで行き、大量の出血が白い砂利を刹那で赤く染めた。
それでもアマギは立っていた。
右手で刀を保持したまま、口から血を溢れさせながらも俺を見ている。
その瞳はすでに意思はないように見えた。
生者のそれにはない濁りが、見る間に彼の瞳を曇らせた。
それでもなお、アマギは立ち続けている。
いつ、彼が事切れたかは容易には判断がつかない。
刀を落とすこともなかった。頭が垂れることもない。
直立したまま、剣士は命を失った。
「見事」
ケイロウの声がして、それに続く家臣の声も聞こえた。
俺は刀を鞘に戻してから、やっと左肩の痛みを意識した。やはり左肩か。ゼンキと切り結んだ時も、左をやられた。これは相手の使う技ではなく、俺の技にある欠点かもしれない。そう考えながら、左肩に触れると右手が赤く染まる。
ケイロウとその家臣が見ている前で、俺はしばらく突っ立っていた。彼らを無視していたことに気づいたのは、家臣の一人が咳払いしたからだった。
気を取り直して片膝をついてみせるが、今度は全身に痛みが走り、危うく声が漏れそうになった。
最後のアマギの一撃を避けるために、無理やりに踏み込みを遅くした。もし遅くしなければアマギに両断されただろう。遅くし過ぎれば、アマギの刃が空を切ったとしても俺の一撃も空を切って、また仕切り直しだっただろうか。
ともかくあの場面で、俺はとっさに最適な時期を招き寄せた。その代償が、全身への負担だった。そこここの筋に違和感があり、特に腰の周りが痛みを主張している。
これまでになかったことではない。安静にしていれば治るだろう。
「アマギを切った腕前、見事だった」
ケイロウの声に、しかし俺は顔を上げなかった。
家臣たちがうろたえているのがわかる。
今も、アマギが立ち続けているからだろう。
ケイロウだけが、平然としているようだ。
「その腕を見込んで、剣術指南役として召し抱えたい。どうか」
「そのような役目をお受けできるような身分ではございません」
そう答えると、ケイロウは愉快げに笑った。
「それは私への皮肉かな」
どうとも答えようがなかったが、気分を害したようでもなく、「ゆっくりと考えるが良い」とケイロウは即答を求めなかった。
立ち合いをそばで見ていた剣士たちが、アマギの体を片付けるように指示され、庭の中央へ進み出てきた。彼らは明らかに怯えていたが、アマギはもう生きてはいない。
俺は場所を譲り、改めてアマギを見た。
その表情にある、彼の最後の感情を読み取ろうとしたが、できなかった。
苦しいようでもあり、楽になったようでもあり、何かに不服なようで、満足しているようだった。
いつもこうだ。
剣で倒れるものは、似たような顔、同じような顔をする。
屋敷の中では、ケイロウが宴の準備を家臣に命じていた。
(続く)
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