第4話 仇

     ◆


 朝、宿のものが着物を持ってきてくれた。

 着替えて腰に刀を帯びて表へ出ようとすると、宿のものと鉢合わせした。恐縮した様子で言うには、すでに城のものは待っているという。

 通りへ出ると、一人の剣士がまっすぐに立っていた。小柄で、顔を見るとまだ若い。

 最近ではどこの領主も都の文化を取り入れて、無骨なものよりも華やかなもの、動より静を好む傾向にある。その傾向と比較すると、迎えの剣士は華やかでこそないが、静けさをまとっている。

 自分はさてどうか、と思ったが、雰囲気で相手を切れるわけではない。

 剣士に連れられて城へ向かう。平城の周囲の城下町だけあって、通りは整備されているが、碁盤目状ではない。敵の襲撃に対応するためだろう、複雑な構造をしている。この辺りも、昔からの街とはやや違い、新しい街ともやはり違うところだ。

 城の門を抜ける時、初めて空堀の様子が見えた。遠目で見たよりも深さはある。ただどこか物足りない。物量で攻められれば、容易に突破されそうだ。今の世は比較的落ち着いているから、飾りのようなものかもしれない。いざとなれば、改修すればいいのだ。

 門を抜ける時に、警備している男がこちらへ軽く目礼した。俺に目礼したのか、案内役に目礼したのか、わかりづらいところだ。ついでに誰もが無言。

 敷地に入ると、ぐっと静かになる。人の気配が薄い。

 城というより屋敷と表現するのが妥当な建物に上がり、そのまま案内されていく。

 廊下を抜け、広間の一つに招き入れられた。

 そこでは先に一人の人物が待っていた。男性で、壮年だ。こちらに向きを変えて軽く頭を下げた時、その顔が見えた。穏やかで、冷静な面差しだった。

 失礼、と頭を下げ、彼の横に腰をおろす。案内した剣士は下がっていって、広間には俺と最初からいた人物の二人きりになる。

 彼が何も言わないので、俺も黙っていた。

 広間には上座に床の間があるが、何の飾りもない。この屋敷の人気のなさといい、この地の領主はそれほど裕福ではないらしい。

 戦乱の世が終わりを告げてまだ間もない。市井では平穏を喜びながら、誰もが心のどこかでは再び世が乱れるのではないかと思っている。

 この平穏がどれだけ続くかは、神ならぬ俺にはわからない。神がこの世にいない以上、誰にもわかるまい。

 剣を持っていると、神社仏閣で唱えられることを否定するのが当たり前になる。

 そして神や仏を奉る場で学ぶこと、問い続ける存在である偉大で崇高なるものとは、まるで別の崇高なる存在を見出す。

 ぼんやりとそんなことを考えていると廊下が軋む音がした。一言も発さなかった隣の男が頭を下げるので、俺もそれに倣った。

 誰かが広間に入ってきて、上座に座ったのが気配でわかる。

「面をあげよ」

 俺はゆっくりと姿勢を元に戻した。

 上座に座っている男は、細面の男だった。しかし決してひ弱ではなく、研ぎ澄ませた刃物を連想させる。目つきには度量の広さが見えるが、発散する気配の酷薄さと矛盾している。

 一筋縄ではいかない相手、と誰もが思うだろう。

「名前を教えてくれ」

 上座の男の視線は俺に向いていた。

 名前を教えてくれ、と言いながら、どうせ知っているのだろう。しかしどこから聞いたのか。

 問いを返すわけにもいかず、軽く頭を下げて名乗る。

「オリバと申します」

「あのオリバで間違いないな」

 やはり知っているのだ。

 とぼけるのはいつものことなので、俺は全く自然に知らない演技をした。

「あの、という部分がよくわかりませんが」

「剣豪と呼ばれたゼンキを切ったオリバだ」

 さらに知らないふりを続けようとしたが、男が手にした扇子でこちらを示す。

「その左肩に深い傷跡があるという。それはゼンキに切られた時の傷跡であろう。オリバという剣士は左の首筋から肩に傷跡がある。これは間違いないこと。どうだ?」

 やっと理解できた。

 昨日、銭湯で横に来たあの男。あの男が告げ口をしたのだろう。とても領主に仕える立場とは思えないから、出入りしている商人だったのかもしれない。

 どう言い逃れようかと思ったが、不可能だと俺は腹をくくった。

 こういう時、持ち出される話は決まっている。仕官しないか、ということだ。そうでなければ、話を聞かせろと言ってくる。

 自分こそがそのオリバですが。

 そう言おうとしたが、それより先に男が声を発した。

「そこに控えるのは、当家の剣術指南役であり、アマギだ」

 男が言っているのは、俺の隣にいる壮年の剣士だった。そう、彼は刀を傍らに置いている。ちなみに上座の男は小姓を連れていて、その小姓が刀を持って控えていた。

 しかしそれはどうでもいい。

 俺は視線を隣の男へ向ける。アマギというらしいその男は、わずかに目を伏せ、黙っている。

 上座の男が続ける。この時ばかりは、声に酷薄さが明白だった。

「アマギが使う流派は光陰流だ。ゼンキとは兄弟弟子に当たる。アマギはゼンキの兄弟子だ」

 こういう関係性は全くないわけではない。

 驚きはしないが、警戒はするべきだ。流派はある種の集団を形成し、仇討ちのようなものが多く発生する。その流派の使い手が破れるのは、流派そのものの傷であり、仇を討つことで流派の価値を証明しなければいけない。

 この手の仇討ちは、本来的な仇討ちと違って、助太刀などはない。正々堂々、一対一で戦って勝利することで、初めて剣術の力を示せるのだ。暗殺などもってのほか、と大抵は解釈される。

 もっとも、一対一で終わりではなく、次々と新手が向かってくることもあるが。

 ともかく、アマギには俺を切る理由があるのははっきりした。

 ここで騙し討ちにはされないだろうが、いきなり剣を抜くかもしれない。

 咄嗟に間合いを計り、相手の様子を素早く見て取る。座っているが、座った姿勢からの技が存在しない流派の方が珍しい。

 俺が警戒したのを見て取ったのだろう、上座の男が忍び笑いを漏らす。

「さすがのオリバも、アマギを警戒するか」

 誰もそれには答えなかった。

 沈黙はまるで質量を持っており、のしかかってくるかのようだった。

 なんの前情報もなく、剣術指南役のすぐそばにいて、しかも相手が切りかかってこないと断言できないのは、容易な状況ではない。

 何も気づいていない風の上座の男だけが、舌も滑らかに回っていた。

「オリバ、アマギを切れるか? それとも切れないか?」

 答えられる質問ではない。

 切れるか、切れないか、以前の問題がある。

 アマギと剣を向け合う気が俺にはない。

 つまり上座の男は、俺とアマギをなんとしても斬り結ばせるつもりなのだろうが、それは避けたかった。

 剣士は有力者の遊びの駒ではない。

 たとえ、流派や兄弟弟子という要素があろうと、剣を抜くかは当人が決めることだ。

 俺は答えなかった。上座の男は質問の相手を変えた。

「アマギ、切れるか? それとも切れないか?」

 俺はじっと耳を澄ませた。

 アマギが答えるまでの沈黙が、長く感じられた。いやに長かった。

「お望みとあれば、切りましょう」

 低い声。俺は息を止めていた。

 良いだろう。

 上座の男が笑いながらそう言うと、一方的に、明日の昼前にこの屋敷の庭で決闘をせよ、と宣言した。これは仇討ちでもある、と付け加えるのを忘れなかった。その一点で、俺の方から断ることはできなかった。

 領主が去って行き、その場に残ったアマギは動かない。俺は彼が何か、問いを向けたいのだろうと感じたので、しばらく座ったままでいた。

「真実でしょうか」

 アマギは先ほどと同様、低い声で言った。顔をこちらに向けず、視線は床の方へ斜めへ落ちていた。声だけがこちらに向かってくる。

「あなたが本当に、ゼンキを切ったのですか」

 はい、と俺は答えた。

 事実を変えることはできない。

 全てを覚悟し、全てを背負うつもりで、刀を抜いたのだから。

 俺の言葉で、彼の様子、態度、気配に変化があるかと思ったが、なかった。

 そうですか、とアマギはひっそりと答え、こちらに向き直って頭を下げると「失礼」と一言だけを残して、立ち上がった。そのままゆっくりとした歩調で広間を出て行く。その足の送りはどこか、ゼンキの歩き方を思い出させた。

 俺はしばらく広間に一人でいた。

 廊下で案内役の剣士が待っているのは見えていた。

 頭の中で整理したことは、明日、どうしたら人を切らずに済むか、だった。

 切るしかない、と思う相手がいる一方、切るべきではない、と思う相手がいる。

 アマギはどうやら後者のようだ。

 これには理屈はない。剣士の性、剣士としての欲が、アマギを求めてはいない。

 いっそ、今日のうちに逃げてしまおうかと思った。見張られるだろうが、振り切ることはできるはずだ。

 思わずため息を吐いて、俺は立ち上がった。

 殺さない手加減が可能だろうか。

 しかし、相手はこちらを殺しにくる。

 気持ちが鬱々とするのを感じながら立ち上がると、廊下にいる剣士がすっくと立つ。自然と先に立ったその背中に俺は無言で続いた。



(続く)

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