第3話 死の瞬間

       ◆


 冬も間近という頃、俺は街道の峠を越え、眼下に小さな城下町を見ていた。

 街の中心にあるのは平城だった。しかし無防備ではなく周囲をぐるりと塀で囲み、空堀があるように見える。全体的に古びて見えるのは、戦乱の時代の名残が発散する気配からだろう。

 茶屋があったので、そこで一息いれることにした。

 店の娘が湯呑みを運んできた。この辺りの名物だと言って、ところてんを持ってくる。黒蜜がたっぷりとかけてあって、ありがたい。蜜の味で誤魔化せるからで、正直、俺はところてんはどこか生臭い気がして、好きではないのだった。

 どうやら近隣のものらしい男たちがやってきて、今年の寒さについて話していた。

 ある男は夏の天候からして雪が多く降りそうだ、と予想を立て、別のものは山の上にはもう雪が積もって白い色になっているから平地でもすぐに降る、とやはり予想していた。

「寒天作りには雪はよくないんですよ」

 俺が男たちの様子を見ていたせいだろう、店の娘が戻ってきてそう耳打ちした。寒天か。ところてんを凍らせて作るはずだが、さすがに詳しくは知らなかった。娘に聞くほどではないので、素早く手元の器の中のところてんを腹に入れて、店を出た。

 道は緩やかな傾斜で下がっていっている。

 平地には田畑が広がるが、ほとんどの田では稲は刈られた後で、藁が干されてずらりと並んでいた。棒を組み上げて立ててあるところへ、藁の束がかけられている。

 城下町と言っても、それほど大げさではないが、建物は新しいものが多く、この街が発展の途中であることをうかがわせた。

 旅籠で宿を取ろうといくつかの店を比べ、比較的安い旅籠を選んだ。

 番頭は気の良さそうな小男ですぐに部屋を用意してくれて、次に銭湯の場所を教えてくれた。この街では旅籠と銭湯が約束を定めて、宿泊するものは無料で銭湯が利用できるという。そのための木の札を渡された。

 食事は用意できるがどうするか、と確認されたので、朝と夕に頼んだ。

 宿のものの姿が少ないのが気になったが、そもそもこの宿は建物自体が小さい。客も少なそうだ。

 俺はすぐに銭湯に向かうことにした。日が暮れて寒い中を帰りたくはなかったし、さっさと体を綺麗にしたい。風呂は好きだし、旅の中でいくつかの温泉地に立ち寄ったので、自然と各地の湯の様子や銭湯の様子が気になるようになった。

 銭湯は比較的大きい作りだった。しかし入ってみると、建物の大きさに比べて中はそれほどではなかった。見掛け倒しか。

 さっさと着物を脱いで、全身を洗う。お湯はほどほどの温度で気持ちがいい。湯船があればいいが、と思ったが、そんなものはなかった。

 桶の湯を浴びていると、隣に知らない男がやってきた。

「凄い体をしていますなぁ」

 丸々と太った男で、どう見ても商人に見えるが、もちろん裸なので勘違いかもしれない。

「剣で稼ぐ方らしい」

 そう続ける男の視線に不快なものもないので、「そのようなものです」と答えておく。

 実際、俺の体には大小、無数の傷跡がある。それはこれまでに切ってきた相手の数より多いかもしれない。

 傷跡の一つ一つが、自分の至らなさ、弱さ、誤りを示している。

「その首筋の傷は、どちらで?」

 いやにしつこい男だな、と思ったが、俺も湯のせいで気が大きくなっていたのだろう、そっけなく突き放すことはしないことにした。

「一年ほど前に、負った傷です」

「だいぶ深そうですが、よく無事でしたな」

「運が味方したのでしょう」

 それは良かった、と男はにんまりと笑うと、盛んにお湯を体に浴びせ始めた。

 俺はほどほどに温まったところで銭湯を出て宿へ戻った。まだ日が落ちるには早いが、体の熱のせいだろう、風が冷たいように感じられた。

 宿では自分の部屋で、布団も敷かずに畳に寝転がってしばらく外を見ていた。二階に部屋を用意されたので、寝転がると空が見える。

 少しずつ色が青から黒へと暗くなっていく。

 長い間、こうして旅の空を見てきたが、終わりはいつ来るのだろうか。いつからか、そういうことを空を見ていると思うようになった。

 それはあるいは、空を飛ぶ鳥を見るからかもしれない。

 鳥は死ぬまで、空を飛び続けるのだろうか。鳥は死ぬとき、どんな風に死ぬのだろうか。空を飛びながら死ぬ鳥の話は聞いたことがない。つまりいつかは、地面や何かしらに落ち着いて、そこで死ぬのだろう。

 剣士も、いつまでも刀を振り続けてはいられない。いつかは敗れ、倒されることになる。

 では、それ以外の最後はあるのだろうか。

 刀を手放し、どこかで土を耕したりするのだろうか。

 自分がそんな未来を受け入れるとは、とても思えなかった。正しいような気もするのだが、どうしても拒絶したくなってしまう。

 剣を修めたから、だろうか。

 そうでなければ、剣を向け合う時の、高揚と冷静、確信と恐怖の狭間を知ってしまったからだろうか。

 もう平穏な暮らしには戻れないのか。

 大勢を切ってきた。彼らの命、技、人生、それらを根こそぎに奪ったのは、紛れもなく俺だった。

 刀を手放すのは、裏切りにも思える。

 自分の命が誰かに奪われた時、初めて俺は解放され、安堵するかもしれない。

 死の淵の、ほんの一瞬、生が奪われるその時に、俺は本当の安らぎを得るだろうか。

 俺だけが苦しんでいるとは思わなかった。

 剣を取るものは、必ずこの葛藤を抱き、苦悩し、決着を求めるはずだ。

 命の重さ。剣の重さ。

 業の深さ。

 いつの間にかうとうとしていて、宿のものの声で目が覚めた。

 もう夕食かと起き上がり、返事をすると襖が開いた。

 宿のものの顔が困惑そのものだったので、思わず俺は眉をひそめていた。それに気づいた相手が、丁寧に頭を下げる。

「お城の方から、明日にも登城するにように、とのことでございます」

「城?」

 なんのことか、さっぱりわからなかった。

 宿のものは「お城でございます」と繰り返す。

 これまでの旅で有力者の接触を受けることは何度かあったが、俺がまだこのハバタというらしい街へ来て半日ほどしか過ぎていない。それがどうして城のものとやらが俺の存在を知っているのか。

 不審、不可解だったが、宿のものも多くを知るようではない。

 仕方なく俺は「承りました。夕食は?」と話題を変えておいた。その方が相手も安心するだろうと思ったのが、案の定、宿のものはホッとした顔で「すぐにでも」と襖をほとんど音を立てずに閉めた。

 しかし、城か。

 それなりの身なりをしなくてはいけないだろうが、生憎、無駄に着物を整える銭を持っていない。今から古着を探しに行くのも気乗りしない。

 そこは宿のものへ任せるか、と俺は立ち上がった。

 外を見るとすでに街は薄闇に包まれていた。わずかな光が心地いいような気がして、部屋に灯りが入るまでは開けておくことにしようと思った。

 視線の先では、遠くの山の向こうから月が上がっていた。



(続く)

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