本文
擬態……他のものに、ようすや姿を似せること。動物が攻撃や自衛などのために、からだの色や形などを、周囲の物や植物・動物に似せること。
フォーチュナ……フォルトナ。運命の女神。運命。幸運。
転じて、磯貝智にはないもの。
ある日、俺は木になりきっていた。
いや木になっていたと言っても過言ではないと思う。
森羅万象ありとあらゆるものが認めるであろうほどに自然になりきっていた。
演劇の中で役の数と人数が合わなかったときに突貫工事で作られる端役とされる木の役。
だが俺はそれを演じさせればトップスターになれるだろう。
そう俺が思いを
俺が思いを馳せている女子。
ギャルに。
「なにやってんの」
「
く、くまのっ、と変な発音で答えてしまう。
いや断じて緊張してない。断じて震えてない。断じて自分を恥じていない。
いや、本当に。
「なぜにフルネーム。そうじゃなくてなにやってんのって聞いてんの」
「木に擬態している」
すごい顔をされた。
なんだろう。
具体的に述べよと言われたらそれは道端に落ちている虫の死骸を見つけたような、自分に
「擬態ってかそれ変態だから」
「なるほど。でも日本語の使い方がなってないぞ変態というのは動物が生育過程で形態を変えることだ」
「なにその辞書そのまんま読み上げたみたいな引用。てか、自分よりアホで頭わいてるやつに解説とかされたくないんだけど!」
叫んで、自分の言葉に我に帰ったように熊野はあたりを見渡した。
なんだなんだ痴話喧嘩か?イチャイチャカップルか?と周りの視線が痛い。
非常にいたたまれない。
顔から蒸気を上げて、グロスを塗った形のいい唇をわなわなと震わせると熊野は爆発した。
「どうでもいいからどっか行ってよバカ!」
話は先日のことにさかのぼる。
桜の盛りもすぎ葉桜のころ。
俺は昼休みにぼっち飯をしていた。
一人は気楽だ。
窓から聞こえてくる生徒の声を聞き流し、菓子パンを食べ、紙パックのジュースを吸い上げる。
甘い、そこそこうまい。
あー空って青いなと思いながら上を見た。
現実逃避である。
午後からの授業面倒くさいなー、でもあと2限だし。
帰ったらソシャゲしてダラダラ、あっでもその前にマンガの新刊出てたから本屋寄ろうかなとかそんなことをダラダラ考える。
考えていたら、校舎側から笑い声が聞こえてきた。
はっとしてさっと身を隠す。
なぜ身を隠す必要があるのか?
答えは、だってぼっち飯だってバレたくないから。
いやぼっち飯だってバレたっていいんだよ?
全然大丈夫ってか一人平気だし。
だけど、それで友だちいないんだ?混ぜてやるぜという男子からの熱血勧誘はいらないし友だちいないんだ?じゃあ教室にいる意味なくね?みたいな女子の冷血拒絶には耐えられない。
要するにガラスのハートで少年時代はいろいろ複雑なんだ。
誰でもいいから立ち去ってくれ、そして俺を一人にしてくれと誰にともなく念を送る。
やばーいマジやばーいと言うような高音の笑い声が聞こえてきた。
マズい。女子か。
いや男子ならいいってことはないんだがなんかこう井戸端会議なみに居座られたら困る。
昼休み終了と同時にダッシュで教室で戻らないといけないミッションが俺にはあるんだ。
俺は手元のジュースの紙パックをぐっと握りしめる。
なぜなら俺は……。
その時、自分が隠れている草むらの横の茂みが動いた気がした。
横を見ると、草に同化していて一瞬わからないが。
「へ、蛇っ……?!」
男子が虫とか爬虫類とか得意とか好きだとか言ったやつって誰だろう。
好きとか嫌いとかじゃなく生理的に命の危機を感じる。
「うぉおおお蛇!」
とかなんとか言いながら俺が立ち上がった。
途端、誰かとぶつかった。
「きゃっ」
かわいい悲鳴とともに誰かが倒れる音がする。
「あっ、悪い」
反射的に俺は謝った。
「え、なに委員長?そんなところで何してるわけ?」
強めの視線と目があった。
え?誰?と思ったが委員長というからには俺のクラスのやつだろう。
「ヘビーって言ってたね。ヘビメタでも聞いてた?」
変な返しをしてくるのはまた女子。こっちも強めの視線、っていうか学校なのに化粧してる?
そんなことはどうでもいい。
倒れた第三の人物を助け起こそうとして、俺は視線をそっちに移した。
「おい、大丈夫、か……?」
口調が尻すぼみになる。
あられもない姿になっていた。
もともと短いであろうスカートは中が見えるギリギリまでまくれ上がっており、胸元には俺の手から飛んだであろうジュースが飛び散って濡れていた。
端的に言うと透けていた。その、中のものが。
固まった俺を見て、全員が倒れた女子を見て。
各々違う意味の悲鳴をあげた。
「やだやだ信じらんない!」
「ちょっとこっち見んな!」
「ありゃりゃだいじょぶ?」
倒れた女子、強め女子、不思議女子の三拍子である。
「ご、誤解だっ。不可抗力だ。ごめん!」
俺は頭を下げる。
こっちに向けられた視線が突き刺さる。
「……いいよ、二人とも行こ」
倒れた女子はパンパンとスカートを払うと起き上がった。
「私なんともないし」
「なんともないことないしそれヤバいよ。替えの制服職員室から貰ってこよ」
そう言ってくるりと二人は背を向ける。
「いや本当悪い。これ使ってくれ」
運よくポケットに入っていたハンカチを取り出す。
なぜこんな日にかぎってハンカチをポケットに入れていたんだろう。
よくわからないが、俺はそれを差し出そうとして。
コントのように石にこけた。
「うわっ」
前のめりになって、ビリッと嫌な音がした。
手に湿ったなにかが握られている。
それは、あの制服についてる用途がわからないペンとかさしたりする胸ポケットの部分でこれが手元にあるってことは。
「……っ、……っ!」
わなわなと全身を震わせながら倒れた女子がなにか言いかけている。
その胸からピンクでピンクななにか布らしきものが見えていた。
いや断じて見ていない。
俺はなにも、見ていない!
その時、なぜかタイミングよく予鈴が鳴って。
俺はダッシュで教室に戻った。
「本当にすみませんでした!」
そう叫びながら。
「サイテー」
冷たい声がその背後から降りかかる。
「ヘビーだねえ」
のほほんとした声がそれに被さった。
声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
「いやーなんだったんだ。やれやれ」
じゃねえ。
俺はなにを女子にやっちまってやがったんだ。
しかもあの熊野笑美だぞ。
脇二人のかしまし娘……、の名前はなんだったか知らないが。
現代のギャル。
スカート短め、萌え袖は長め、顔はメイクでバチバチ。
……萌えって死語か?
とにかくオシャレで毒舌で、バカな会話でうるさくて。
それを上回るほどにかわいい。
そんな生き物だ。
熊野笑美はその中でもトップかわいい、俺の推し女子。
「……ていうかなんだコレ」
手の中にはさっきの熊野のポケットからこぼれ落ちた謎の紙が握られていた。
じゃっかん湿ってるけど破れてはいない。
よかった。
これならまだ本人に返せるだろう。
それにしても紙。
なんのプリントだ?
保護者向けの重要書類とかだったら、できるだけ速やかに返すか先生に交換を申し立てにいかなければ。
そう思って、中を開いて。
俺は固まった。
文字通り、静止した。
「こ、これはっ……!」
その時、後ろで声がした。
「待て!待ちなさい!」
うぉお?!
驚いて反射的に俺は手に持っていたものをズボンのポケットに隠す。
「アンタだよね……?さっき私にぶつかってきたの」
熊野笑美。
俺は思わず背筋を伸ばして直立した。
「俺は……」
「クラス委員長の磯貝でしょ。それよりアンタ」
名前覚えてくれてたのかマジで、と思うヒマもなくジットリとした目を向けられる。
「見たんじゃないでしょうね……?」
怒りのオーラ。
知らない俺はなにも知らない。
「み、見たってなにを……」
「とぼけないで。さっきしっかりと触ったのをこの目で見たんだから」
「さ、触った」
胸を?
そうだよな、それしかないよな。
「あ、アレは不可抗力で」
「不可抗力?は?なんの話」
ご立腹の様子である。
「だから胸が……」
「ああ、アレ……。ていうか忘れろよ!」
アレって。
いやちょっと待て。
じゃあなんの話だ。
「アレ……。持ってるんでしょ」
ハッとして俺はズボンのポケットに手を入れた。
手に汗握るとはこういう状況のことを言うのだろうか。
いやそんなこと言ってる場合か。
「やっぱり持ってるんだ。中見た?」
「あー、あの」
「どっち!」
俺が視線をさまよわせているのを見て、彼女は判断したらしかった。
「見たんだ」
冷ややかな目で俺を見て言った。
「じゃあそれも忘れて。ていうか返して」
手を差し出して熊野は言った。
「わかった。返す。その前に熊野、俺に一つ言わせてくれないか」
「なに?」
「俺に……」
プリントを差し出す。
息を吸って、大声で言った。
「俺に勉強を教えてもらえませんか!」
あまりの大音量に驚いて熊野が固まる。
ザアっと風が吹いた。
髪がなびく。
紙もなびく。
スカートも。
あっ、今少しパンツ見えた。
②擬態するアンフォーチュナ 錦木 @book2017
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