第3話
森には、たくさんの人間が住んでいる。
しかし町が存在するのではなく、あるのは村とも言えない、小さな集落ばかりだ。
こういった集落は人口も少なく、守りも薄い。農家が固まるばかりで、警備兵すらいない。
ある日の昼間、村人が1匹の狼を見かけた。
「どうやら村の地形や様子を偵察に来たらしい」
と村人たちが考えたのも無理はない。
そして馬を飛ばし、役人に護衛を訴えたのだ。
その解答として妙娘が派遣されたのだが、塊村というところで、さほど遠くない村だったのは幸いだった。
従者を1人引き連れ、妙娘とアオは森の中の暗い街道を進んだのだ。
塊村に到着したのは夕暮れ前のこと。
さっそく村長の家に招かれ、食事を出されたが、それもそこそこに妙娘は村の中を歩き、見て回った。
「狼たちは、どのルートで村へ入ってきて、どの家を襲い、どう引き上げるつもりだろう?」
村の見回りを一通り終え、妙娘が村長の家へ帰ってきたのは、まだ宵の口だった。
村長の家といっても、村の他の家々とあまり代わり映えはしないが、与えられた部屋の粗末なベッドの中で、妙娘は眠りについた。
妙娘が目を覚ましたのは、真夜中過ぎのこと。
これまでの経験から、狼たちは夜明け少し前に襲撃を起こすと分かっていた。
ほとんど例外はなく、理由は誰も知らなかったが、
「死体を森へ引きずって帰るのに、夜明けの薄明かりが必要なのだろう」
とは噂されていた。
妙娘が馬屋へ行くと、すでに従者も起き出し、アオにヨロイを着せる作業が始まっていた。
もちろん妙娘も手伝い、続いて彼女自身もヨロイを身につけ、用意は終わった。
ロウソクの光しかないが、アオの鼻息も普段よりも大きく聞こえる。
腰に刺した剣の様子を確かめ、従者を馬屋に残し、妙娘とアオは暗闇の中へ出て行ったのだ。
夜が明けて…。
首都から一角が昨日到着したことは、村の全員が知っていた。
狼の斥候が現れたことも全員が知っている。
その結果がどうなったか、はたして狼は襲ってきたのか、興味を持たぬ者はいない。
村長の家の庭には、朝から10人以上が詰めかける騒ぎになった。
「村長さん、昨日の一角はどうなったね?」
「狼は出たのかい?」
「どこの家が襲われた?」
口々に質問が発されるが、その答えは村長も知るはずがない。
そこへ妙娘が帰ってきたのだ。
妙娘とアオの姿に、一瞬大人たちはざわめき、子供らは歓声を上げかけたが、すぐに静かになった。
アオは背後に長い縄をたらし、3匹の狼を引きずっていたのだ。
アオの重々しい足音に、ズルズルと地面の上を引かれる音が混じる。
いずれも成長しきった成狼だ。
驚くほど大きく、長い体がすでに事切れ、血にまみれている。
それまでワイワイと騒がしかった村人たちは、冷水でも浴びせられたかのようになり、そのまま村長の家を離れ、みな引き上げてしまった。
後に残ったのは、村長と家族たちだけだ。
従者がやってきて、妙娘がアオの背から降りる手伝いをした。すぐにヨロイも外してやった。
一瞬のうちに、村長の家の庭は血の匂いで満たされた。
村長が言葉を失っているのを見て、
「やってきた狼は11匹。そのうち3匹を倒して、残りは逃げた。逃げたうちの1匹は致命傷をおったと思う。当分、この村に狼は姿を見せないよ」
と妙娘が言葉をかけても、返事はなかった。
アオのヨロイを外す従者を手伝うために手を動かしながら、妙娘は続けた。
「悪いけど、少し庭を貸してね。退治した証拠に、3匹の尾を持ち帰らなくてはならないのよ」
アオが倒した3匹は、もちろん妙娘の功績となる。
持ち帰った尾は、剥製師の手で剥製にされる。
ためしに、一角のカブトの後ろを見るとよい。
そこにはごく小さく、控えめであるが、毛皮で作った小指ほどの房飾りがぶら下がっている。
その一つ一つが、退治された狼の尾から作られたものなのだ。
今回の塊村での功績で、妙娘のカブトには3つの房飾りが見られることだろう。
だが、よく見てほしい。
塊村は、妙娘にとって最初の戦場だったはずだ。
であるのに、妙娘のカブトには、すでに房飾りが一つ取り付けられている。
しかもこの房飾り、まるで夜のように黒い色をしているのだ。
狼には色々な毛色がある。1匹1匹、異なっていると言っていい。
白や黒一色の個体もあるが、多くは灰色や茶色など、様々な色が混じった毛をしている。
しかしこの房飾りは、まるで暗闇のように黒い。
そう…。
王宮にあった丸い決闘場の中で、妙娘は黒華を倒していたのだ。
まだ一人前ですらない一角の卵が、腕試し用に飼われていた本物の狼を倒す。
そんなことは前例がなく、誰も予想しなかった。
それほどの大事件だったが、当の妙娘はキョトンとしていた。
「あれは私の手柄じゃないよ」
あの日…。
丸い決闘場の中、2つの門が大きな音と共に閉じられた。
続いて黒華の鎖が外される。
周囲の壁には、いくつもののぞき穴が開かれ、
「どうなることか」
と男たちが観察している。
新兵が一人前の一角として、実戦に投入される前の最終テストなのだ。
しかし新兵がこれに合格することは、誰一人、期待してはいなかった。
過去に合格した者も存在しない。
受験者は馬上にいても結局、何もできないままで黒華を見送り、黒華は頭上の台に飛び上がり、まんまと生肉にありつくのだ。
その飛び上がる足場として、黒華は受験者とその馬を用いるのに過ぎない。
要するに受験者は、ただ黒華の踏み台にされるためにやってくるのも同じだが、ヨロイに身を包んでいても、何センチもないところで狼の息づかいを聞き、うなり声が耳をいっぱいにする。
その恐怖に耐えることができるか。恐怖に打ち勝つことができるか。
ただ、それだけを見るテストだったのだ。
それ以上のことは誰一人として期待していなかった。
ところが妙娘とアオは、黒華とまともに戦い、ついに倒してしまった。
これは前代未聞のことだ。
いつものように、
「踏み台にしてやろう…」
と黒華は全身を縮め、バネのように宙を飛んだ。
躍動する狼は美しい。
だがカブトの隙間からのぞくアオの瞳は、黒華の動きを正確にとらえ、いささかのミスも犯さなかったのだ。
しかし黒華も、並みの狼ではない。
『まっすぐに飛ぶ…』
と見せかけ、実は右へ寄り、壁へと飛んだのだ。
黒華の4本の足が、やわらかく壁を捕まえ、たわんで力をこめ、もう一度ジャンプした。
黒華がまず右へ飛んだのは、アオの剣を避けるためだったろう。
黒華はその次の跳躍でアオの背に乗り、生肉を目指すつもりでいた。
しかしアオは、それを見透かしていたのだ。
足さばきをどう準備していたのか、とっさに50センチほど横へ移動したのだ。
背に飛び乗りそこね、黒華は一度地面に落ちた。
だが、あきらめることなく、今度は反対側の壁に駆け寄り、その曲った壁面を利用して、まるで猿のように、垂直に駆け上ろうとした。
そのすべてを、妙娘はただ見ていることしかできなかったが、アオは違っていた。
黒華の新たな動きさえ、アオは予想していた。
黒華の動線にあわせ、剣を下から上へ、まるでツバメのように切り上げたのだ。
「ギャン…」
と悲鳴が走る。
壁の向こうの観察者たちも、目を見張ったであろう。
最も驚いていたのは妙娘で、アオの背の上で、息をすることも忘れたようだ。
鋭い刃で横になぎ払われ、黒華の前足は切り落とされていた。
そのまま床に落ちるが、出血多量とは言わずとも、身動きもままならない。
次の瞬間、アオの足で踏みつぶされ、黒華は事切れたのだ。
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