第2話


 数週間後、訓練を終えた妙娘は森へと旅立つことになった。

 森は首都の北に位置し、植物が濃く、暮らす動物も数多い。

 首都を出発して以来の旅が、まるで妙娘には実感がなく、夢か幻でも見ているような気がした。

 妙娘の頭の中では、あの丸い決闘場での出来事が、何回も何回も思い出され、再生された。

 アオと妙娘の目の前にあったもう一つの出入口がついに開かれたとき、姿を現したのは本物の狼だったのだ。

 たった1匹ではあるが、餌も水も充分に与えられた、状態のいい個体だ。

 この狼の名は黒華というのだと後に妙娘は教えられたが、黒華はこの決闘場で何年間も飼われてきた。

 その名の通り、ただ一筋の白い毛もなく、口中の赤と牙の白さ。

 光を反射して、ときおり輝く目を除いては、狼の形に切り抜かれた黒いシミのような印象なのだ。

 グルルル…。

 黒華がうなった。

 剣を構えるアオと向かい合って、おびえている様子はない。

 決闘場のまわりを囲む壁には、いくつかののぞき穴があり、そこに人の目があることに妙娘は気がついていた。

 役人たちがいて、妙娘とアオの戦いぶりを観察しているのだ。

 突然、部屋の中に声が響いた。朗々として、しっかりした男の声だ。

 誰の声なのか妙娘には分からなかったが、聞きほれるというのではないが、耳を澄ませた。

「お前とアオは、今からその狼と対決するのだ。壁に沿い、お前の頭上に台があろう?

 あの台上には生肉が置かれている。台上へたどり着き、生肉をとれば黒華の勝ちだ。それを邪魔することができれば、お前の勝ちとしよう」

 だが妙娘にも言い分がある。

「私とアオは、いつまでその邪魔を続ければいいの?」

 緊張にかすれてはいるが、いかにも向こう意気の強い言い分に、のぞき穴の向こうの男たちは苦笑したようだ。

「それは我々が決めるさ。お前とアオの実力を我々が認めれば、お前の勝ちとしよう。他に質問は?」

「ううん」

 フフフとまた声は笑い、次のように付け足した。

「言っておくが、黒華はまだ一度も負けたことがないのだぞ。この場で命を落とした新兵は10人では足らぬ。

 それでもやるかね? 今すぐに辞職することもできるのだぞ…」

 男の声が消えた後、しばらくはその場を沈黙が満たした。アオの鼻息だけが聞こえている。

 それに慰められ、やっと妙娘は口をきくことができた。

「いいわ。その黒華とやらの鎖をほどいて」

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