第31話 生きたい

「なんだ……こいつは」


 桃木は恐怖で動きを止めてしまう。それほど目の前にいる化物は毒々しい姿をしていた。

 全身は黄色と黒の縞模様。

 何本も生えた鋭いキバからは、赤黒い唾液が漏れ出し、刃物と代わらない鋭利な脚は、やすやすと地面に突き刺さっている。

 なにより赤く不気味な八つの複眼が、桃木の顔を見下ろしていた。


「桃木、逃げろ!」


 岩田に突き飛ばされ、桃木は我に返る。

 すぐにライフルを構え直して銃口を大蜘蛛に向けるが、視界に飛び込んできたのは凄惨な光景。

 岩田が大蜘蛛の鋭い脚に腹を貫かれていた。


「岩田!!」

「くそ……たれが!」


 岩田は顔を歪めながらもライフルを両手で掴み、トリガーを絞る。

 ダダダダと鳴り響く掃射音。無数の銃弾が近距離から大蜘蛛に当たった。桃木も間髪入れずライフルの銃口を向け、フルオートで撃ちまくる。

 これにはさすがの大蜘蛛も嫌がり、岩田の腹から足の爪を抜いて数歩下がる。

 大量の血を流して崩れ落ちた岩田の元へ、桃木が慌てて駆け寄る。


「岩田!! 大丈夫か!?」


 桃木はしゃがんで岩田の傷を確認する。息も絶え絶えの岩田がニッと笑った。


「……はは……やっちまった……もう少しで、ゲームクリアだったのに……」

「しゃべるな! 今、回復スプレーを使うから」


 スマホからアイテムを取り出そうとした桃木の手を、岩田が掴んで止める。


「もう無理だ……これほどの傷じゃあ……回復スプレーを使っても、治せないことは分かってるだろう」

「でも!」


 すがるように言った桃木に、岩田はゆるゆると首を振る。


「お前だけでも、あのグループに合流しろ……貴重なアイテムを無駄にするな」


 桃木は「嫌だ!」と泣きながら叫ぶが、岩田に「行け! バカ野郎!!」と叱責され、嗚咽を漏らす。


「あのグループは有能だ。あいつらと合流できれば……きっと生きて帰れる。ここは俺に任せて行け!」

「岩田……」


 フラつきそうになる体にムチ打ち、岩田はライフルを構えて立ち上がった。大蜘蛛はギチギチと歯を鳴らし、近づいてくる。

 大量の小さな蜘蛛も周囲に集まり出した。

 岩田は口から血を吐き出すが、蜘蛛たちをキッと睨みつける。


「うおおおおおおお!!」


 アサルトライフルによるフルオートの乱射。大蜘蛛も小さな蜘蛛も、構わず撃ちまくる。


「行け! 桃木!!」

「しかし……」

「いいから行け!!」


 命を張った必死の叫びに、桃木は奥歯を噛みしめ、振り返って全力で走った。

 それを見た岩田は口元を緩め、眼前の敵を見る。大蜘蛛はライフルの弾丸を物ともせず、目と鼻の先まで迫っていた。

 岩田は腰に付けた手榴弾のピンを抜く。


「はは……道連れだ……化物!」


 大蜘蛛の脚先が岩田の頭を貫き、無数の蜘蛛が飛びかかってきた。その瞬間、光が広がり、苛烈な爆発が起きる。

 桃木はその轟音を聞いても後ろを振り返らず、泣きながら必死に走った。

 道を塞ぐ蜘蛛を撃ち殺し、ひたすら前に進む。岩田と鮎川に助けられた命、絶対に無駄にしない。

 桃木は悲壮な思いを持って走った。

 だが後ろから聞こえてきた甲高い咆哮に、思わず足を止め振り向いてしまう。

 そこにいたのは体から煙を上げる大きな蜘蛛。脚がチリチリと燃えているものの、大した傷を負っているように見えない。


「そんな……岩田が命をかけたのに……」


 大蜘蛛は怒り狂ってこちらに向かってきた。桃木の顔が恐怖で染まる。

 逃げなければ。すくみそうになる足を懸命に動かし、遺跡の脇を走り抜ける。倒壊した石柱を飛び越え、瓦礫を避けて走った。

 蜘蛛の化物を撃ち殺していくが、そのうちの一匹が飛びかかってくる。


「うっ!?」


 蜘蛛が足に噛みついた。激痛が走るが、桃木は冷静に蜘蛛の頭を撃ち抜く。

 即死した蜘蛛を蹴り飛ばし、再び駆け出した。心なしか小さな蜘蛛たちの数が減っているように感じる。

 これなら壁にいるグループに合流できる。

 桃木がそう思った時、視界がグラリと揺れた。


「え?」


 足に力が入らず、その場に膝をつく。なんで? どうして……? 疑問が頭に浮かぶ桃木は自分の足を見た。蜘蛛に噛まれ、出血している足。


「まさか……毒?」


 なんとか立ち上がろうとするが、やはり足に力が入らない。

 這いつくばるように前に進む。追いすがってくる蜘蛛たちを、仰向けになって銃撃した。

 蜘蛛は撃ち殺すことができたが――


「グオオオオオ」


 低い唸り声を上げて近づいてくるのは、おぞましい姿の大蜘蛛。

 ライフル弾を何発当てても効いている様子がない。普通の蜘蛛の何倍もの防御力、耐久力があるようだ。

 桃木は地面に背中をつけた状態で、大蜘蛛に銃口を向ける。

 もう助かる可能性はないだろう。毒が全身に回り始め、体が思うように動かなくなってきた。弾薬の尽きたマガジンを外し、ベストから予備のマガジンを取り出す。

 アサルトライフルにセットし、再び銃口を大蜘蛛に向けた。


「それでも最後まで抗う! 岩田や鮎川がそうしたように」


 覚悟を決めた桃木はトリガーに指をかけ、力を入れる。大蜘蛛の頭に照準を合わせた瞬間、化物はうめき声を上げた。

 苦しそうに一歩、二歩と後ずさる。


「え? なに……」


 よく見れば大蜘蛛の複眼の一つが潰れ、血が流れている。あれは銃撃の痕だ。

 桃木はハッとして後ろを向く。二十メートル以上先、壁の穴に入って銃撃を続けているグループ。まさか……あの位置から撃ったのか?

 ガラッと音が鳴る。足先から瓦礫を越え、通常の蜘蛛が這い寄ってきた。

 銃口を向け迎撃しようとすると、発砲する前に化物は弾け飛ぶ。頭と腹の一部を失い、ドロドロとした体液を漏らした。

 やはり間違いない。援護射撃だ。

 もう一度襲ってこようとした大蜘蛛だったが、二発の銃撃を受け、踏鞴を踏むように後ろに下がった。

 うめき声を上げ、苦しそうに悶えている。

 桃木は歯を食いしばって立ち上がった。足はもつれ、倒れそうになるが、それでも必死に走る。

 ――生きたい! どんなに見苦しくても、無様でも、それでも生きたい。

 そんな希望を打ち砕くように、後ろから大蜘蛛が猛然と走ってくる。痙攣する足では、とても逃げきれない。

 大蜘蛛が鋭利な脚を振り上げ、桃木の頭に突き立てようとした。その刹那。

 目が眩むような光が広がり、凄まじい爆発が起きた。大蜘蛛の脚が二本吹き飛び、頭と腹がえぐれている。

 爆発で尻もちをついた桃木は、あまりの出来事に言葉を失う。

 周囲には、炎と煙、そして大蜘蛛のうめき声だけが響いていた。

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