第6話 仁義を切るチャーリー・バーニー

 カールとマンフレートはすぐ行政府を出てラーシュと合流した。行動が制限されたわけではないので、宿の手続きが終わるまで観光したいと言ったら解放してもらえたのだ。


「まあ、そんなことだろうとは思ってた」


 ラーシュが無精ひげの浮いた顎を撫でながら言う。


「今のクセルニヒに子供を送り込んで殺されでもしたら政治家として立つ瀬がねえもんなあ」


 三人で港に向かう大通りを歩く。


 ラーシュがどことは言わずにカールとマンフレートを連れて港のほうへと歩き出したためである。


 昼食のためだろうか。とりあえず港に行く、と言われたので、カールは特に疑問を持たずにその後をついていっていた。


 風向きが怪しいことに気づいたのは、港は港でも国際貿易港ではなく漁民が集まる地区に向かっていることがわかってきた時だ。


 その先には、各国の港湾都市に向かう大型船はない。地元の人々の小型船が、堤防に並んでいる。


「あの、ラーシュ、どこに行くのですか?」


 いまさら訊ねたカールに、ラーシュが得意げにこう言った。


「船に乗せてくれるやつを紹介する。言っただろ、俺には海にも古いツレがいるんだって。そいつの船に乗せてもらえるよう頼んでやるよ」


 なんとなく嫌な予感がしてきたが、それよりも海を渡れるかどうかだ。ちょっとぐらいの危険は冒してでも、船に乗れるのならば何でもいい。


 地元住民の小型船がずらりと並んでいるその奥に、大型の帆船が停泊しているのが見える。船籍を表す旗はニーダーハーフェンの国旗である船を図表化したものだったが、形状は軍船のそれに見えた。甲板に並ぶ大きな何かに黒い覆い布が掛けられている。


 さらに近づく。


 甲板のへりから身を乗り出してこちらを覗くように見下ろす者たちが現れた。


 カールは心臓の動きが激しくなり始めるのを感じた。


 どいつもこいつも、いかつい男たちだった。


 船乗りたちはどこの船でも大きなマストや太いロープを操る屈強な男たちだと聞いてはいたが、どうも雰囲気が違う。


 伸ばしたい放題の髪とひげ、三角帽やバンダナの奇抜な装い、酒のせいで赤らんだ頬――なんとなく、治安が悪い。


「よお」


 ラーシュがその怪しげな船の近くで立ち止まった。甲板に向けて片手を挙げる。カールとマンフレートは緊張で何も言えず、ただラーシュの隣に突っ立っていた。


「船長はいるか?」


 仲間に気安く話し掛けるような態度のラーシュに、船員たちが警戒の目を向ける。


「おっさん、何者だ?」


 その言葉遣いにラーシュへの敬意はない。それどころか敵意さえ感じる。話が通じる人間なのか。不安が募る。


 ラーシュはまったくたじろぐことなくこう答えた。


「俺は鉄血同胞団のラーシュだ。奴にはそう言えばわかる」


 船員たちが顔を見合わせる。


「鉄血同胞団の団長じゃねえか」

「大物だ。船長に取り次げ」


 彼らのうち二人ほどが船室に引っ込んでいった。


 それからどれくらい待っただろうか。おそらく一分にもならないような短い時間だったが、カールはぎゅっと拳を握り唇を引き結んで緊張をこらえていた。


 この人たちは、たぶん、堅気かたぎの人間ではない。


 きっと、海賊だ。


 だが、恐れることはない。


 鉄血同胞団はヴァランダンでは合法の組織だが、やっていることは殺人と強盗である。そんな連中に育てられたカールにとって、海賊など似たようなものだ。陸か海かの違いしかない――おそらく。


 ややして、船に縄梯子が設置された。

 その縄梯子を、大柄なのに体重を感じさせない機敏な動きで、三人の男たちがおりてきた。


 一人目も二人目も、腰に剣を差し、顔に傷があり、ぼろぼろの服装もあいまってどうも怪しげだった。


 しかし三人目はもっと強烈だった。


 ぼさぼさの長い金の髪をところどころ小さく編み込み、たくさんのビーズをつけて垂らした上で、黒い三角帽をかぶっている。三角帽には大きな青い鳥の羽根が刺さっている。黒いコートは貴族のものだが、他の持ち物はすべて古びている。ぎょろぎょろとした灰青の瞳は好奇心が旺盛そうで、口元は楽しげに笑っていた。


「やァ! やァ! 我が友ラーシュよ! 何年ぶりだァ!?」


 男がラーシュに抱きついた。ラーシュはうっとうしそうに「はい、はい」と言いながら軽く男の背中を叩いた。男のほうはラーシュに会えて嬉しいのか奇声を上げているが、ラーシュのほうはそうでもなさそうで落ち着いた声をしている。


「まだ生きてるなんてお前も悪運の強い男だな」

「はっはァ! 今回ばかりはさすがの俺様も死ぬかと思ったが、優秀な相棒がいるんでよォ! 持つべきものは、友。みんな俺様が大好き。みんな俺様が死んだら悲しい。お前もだ。間違いねェ!」

「いや、俺はわりと利害関係でお前の友達をやってるから、お前が俺の面子を潰すようなら俺はお前を殺すけど」

「言うねェ! 俺様ラーシュのそういうトコ、大好き!」


 ラーシュが男を自分から引き剝がすようにして距離を取る。


「どれ、挨拶しろ。このお方はロイデン帝国の行く末を左右する運命の子にして俺が我が子と思って育てた少年だ。お前なんかまったくの格下なんだから、お前が仁義を切れ」

「おッ!? おひかえなすって!」


 男が手の平を見せた。


「俺様はロイデン海にその名を轟かす大海賊、チャァーリー・バァーニー様だ! 以後よろしくお頼み申す」

「はあ」


 また派手な男が出てきたものだ。カールの知り合いの成人男性は変な奴ばかりだ。


「僕はカールです。ブルート城に住んでいて、先のヴァランダン辺境伯の孫、今の辺境伯の甥です」


 そう名乗ってから、カールも右手を差し出した。その手を、チャーリー・バーニーが握る。強い力で振られる。腕が肩からもげそうだ。


「そして、稀代のぼんくらクラウス皇子のご子息だ」


 背中がひやりとしたが、極力顔に出さないように努めた。カールは知っていた。こういうやつにはナメられたら終わりなのだ。鉄血同胞団に育てられたカールは、こういう裏社会にいる人間との付き合い方も勉強しているのである。


「よく知っていますね」

「髪質と目の色はドンピシャで一緒だ。顔立ちも言われてみりゃなんとなく似てる気がする、なァーんとなくだがな。奴の顔はぐちゃぐちゃでボウズみたいに綺麗じゃないから確証は持てねェ」


 それを聞いてちょっと驚いた。それは、先ほどのアルベルト元首とは違う、今のクラウスを知っている人間の言葉だったからだ。


「どこでそれを――」


 言い掛けてから、話が脳内で一本につながったので、口を閉ざした。


「そうか。あなたがノイシュティールンでクラウスさんと接触したことを証言したのでしたね」


 グレゴールの手紙に書いてあったのを思い出した。

 海賊チャーリー・バーニーといえば、ブラウエを荒らし回ってザイツェタルク騎士たちに捕縛され、もうすぐで公開処刑というところで逃げ出した大悪党ではないか。

 ラーシュがそういう人間とつながっていることはあまり不自然ではない。けれどここまで直接的に遭遇すると、ちょっと動揺してしまう。ただし、あくまでちょっとだ。カールにとって怒っているナンナより怖い人間はいないので、だからといってひるむことはない。


「よく知ってるな、ボウズ」


 チャーリー・バーニーの大きくて不潔そうな手が、カールの髪を掻き混ぜるようにして頭を撫でる。


「あなたのこと、帝国じゅうの噂になっていますよ」

「そりゃァ光栄だ! 知れ渡れ俺様の名! 俺様は歴史に名を刻む大海賊だ!」

「海賊行為で名を刻んで何が嬉しいのですか、犯罪者ではないですか」

「おっと、チビ、お前は口の利き方がなってねェようだ。でも俺様そういう生意気な子供大好き! 可愛がってやるぜェ」


 ラーシュが「よろしく頼むな」と言った。


「お前のことだからどうせクセルニヒ海軍とは話つけてあるんだろ? 連れてってくれや、ゲルベス」

「やだ、バレちゃったァ!?」

「坊がどうしてもゲルベスに行きたいって言うんだから、しょうがない」


 チャーリー・バーニーの瞳が、カールの顔を舐め回す。


「行く気あんのか」

「あります」


 カールは食い気味に肯定した。


 海賊でも何でも、クセルニヒに連れていってくれるのならばいい。


 怖くなんかない。


「船に乗せてください」


 マンフレートが隣で悲鳴を上げた。


「僕はクセルニヒに行きます」

「いいねェ、その目」


 チャーリー・バーニーの指が、カールの目の下の頬をつまむ。


「覚悟が決まってる。度胸のある目だ」


 そして、「その目を大事にしなァ」と言われた。


「世間様はお前とクラウスが似てるって言うけど、俺に言わせてもらえりゃそうでもねェな」

「そうですか?」

「あのクソ野郎にはお前みたいな根性はねェんだわ。つまりお前は母親似だと見たぜ。お尋ね者のガキを一人で産んだヴァランダンの聖女、会ってみたかったなァ」


 母のことを褒められるのは、カールは嬉しかった。照れるので何も言わなかったが、満足して頷いた。



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