第18話 魔女を火あぶりにしなければ!

 修道院前に詰めかけていた人々が、ハインリヒの死を契機に修道院から離れていった。


「なんだ、あっけないな」


 人が一人死んでいるのを目にしておきながら、彼らは淡白だった。おもしろみがなかったことに落胆しているようにも見えた。ここ数日で高貴な身分の人間の死に慣れすぎたのだろう。


 高貴な身分の人間が身分の低い人間を人間扱いしてこなかったツケがここで支払わされている。


「行こうぜ」

「ああ」


 青年たちは踵を返し、次々と坂をおりていった。


「見に行かないと」

「絶対見届けないと」

「この国の真の未来を」


 その言葉は明るく力強く希望に満ちている。


「魔女を火あぶりにしなければ!」


 アーデルも彼らの流れに乗って足を進めた。決して立ち止まらず、前だけを向き、何も言わずについていった。彼らの行きつく先はきっと聖マリー噴水広場だろう。連れていってくれるのはありがたい。


 金髪に青い瞳、白い肌に赤い唇の美少女の顔が頭の中に浮かぶ。

 いつも楽しそうに笑っていた。

 アーデルに指の股についたケーキを舐めさせた。けれどなんだかんだ言って彼女はアーデルに直接傷をつけたことはなかった。

 死ぬとわかった途端こうして悪くはなかったと回想してしまうあたり、良くも悪くも他人だったのだと思う。彼女に直接迷惑をかけられた人々は、彼女は死んで当然だと思っているだろう。そして彼ら彼女らのその気持ちこそ尊重すべき――なのだろうか。


 バルトロメオは、彼女を切り捨てた。


 アーデルはバルトロメオには直接迷惑をかけられている。あの男のほうが去勢して切り刻んでゲルベス港に流すべきだと思うのだが、それを表立って口にするとアーデルが革命の志士たちに殺されかねない。別の緊張がこの国に訪れている。


 坂道をおりきり、街の中に足を踏み入れた途端、鐘が鳴った。それも、ひとつふたつではない。ゲルベスにある教会の鐘楼や城門の警鐘がいっぺんに鳴り出したのだ。四方八方から鐘の音がする。なんらかの儀式が始まる前触れ、異界の時間の始まりのように感じた。


 リヒャルトに懐中時計を渡したままなので、正確に今が何時何分なのかはわからない。山をのぼりおりするのにかかった時間を鑑みるに、おそらく十一時前後だと思う。


 周囲の青年たちが走り出した。


「まずい、急げ!」

「始まるぞ!」


 アーデルも慌てた。彼らの背中を追い掛けて無心で走った。


 建物と建物の間を抜け、目抜き通りを突っ切る。


 大きな広場に出た。


 赤煉瓦の大きな時計がついた市庁舎らしき建物を中心に、同じく赤煉瓦の背の高い建物が周りを囲む広場だった。地面は人で埋め尽くされていて、足元の石畳も見えないくらいである。人、人、人――老若男女が押し寄せていて、冬至祭でもこんな混雑にはならないと思うほどに密着していた。


 広場の中心には大理石で作られた大きな丸い池があった。今は水が抜かれている。本来は噴水なのだろう、池の真ん中にある波と人魚を模したオブジェにはいくつか穴が設けられているが、どれも水を噴き出してはいなかった。


 オブジェの周囲に、薪が並べられている。

 あのオブジェに死刑囚をくくりつけて燃やす気らしい。


 緊張で喉が渇く。手が震える。


 平時なら行き交う人々でにぎわう憩いの空間で、街の象徴であるオブジェに女王をくくりつけて殺す。


 言葉が出ない。


 市庁舎の扉が開いた。


 黒い頭巾をかぶった処刑人たちが、姿を現した。


 歓声が上がった。


 処刑人たちが死刑囚に縄をかけて引っ立て、自分で池まで歩かせようとしている。だが、死刑囚の足がもつれて、まっすぐ歩けない。その行列は、見せつけるようにゆっくりと進んだ。


 近づいてくるにつれて、アーデルの脈が速くなってくる。


 黒い服の処刑人と処刑人の間から、白い肌が見えている。


 全裸の少女の首から胸にかけて縄を巻き、ほとんど平らな乳房を強調するように縛り上げている。

 尻を覆うほど長かった白金の髪は刈り取られて短くなっており、不揃いで、左耳は外に出て、右耳にはわずかに残った髪がかかっていた。その左耳は、一部が欠けている。

 顔面は赤黒く腫れ上がり、唇も、まぶたも変形している。左半分は額の傷から流れ出た血液がこびりついている。

 白い肌には無数の紫色の痣がついていて、背中や腿には鞭で打たれた赤く細い傷が、脛には硬い棒を当てられたのか青黒い横縞模様ができていた。

 内腿に無毛の股間から赤い血液がだらだらと流れている。


 ゆっくり、ゆっくり、それが目の前を歩いていく。


 背中を向けると、後ろ手に縛り上げられていた手の様子が見えた。


 親指以外のすべての指が、折れ曲がって四方八方を向いていた。


 どんな凄惨な拷問が行われたのか、想像したくないが、できる。


 それに対して、民衆たちは大喜びで、罵声を浴びせている。


 途中で、それが地面に転んだ。


 すると、処刑人はそれをずるずると引きずり始めた。石畳の道に胸や腹をこすりつけながら噴水に引きずられていった。


 噴水の池にたどりつくと、処刑人たちがむりやりそれを抱え上げてオブジェの前に立たせた。


 ぐったりとしていて、もう息をしているかどうかも定かではないそれから、縄を解く。そして、古い布でできた簡易で粗末な灰色のワンピースを着せる。


 オブジェにくくりつけていく。右に分かれた波に右手首を、左に分かれた波に左手首を、中心の人魚の像に首と足を縛りつけていく。


 薪が、足元に並べられていく。


 油が、薪に撒かれる。


 火打石を打ち鳴らす。石が鳴る音が魔除けの音に聞こえる。


「魔女の火あぶりを始める!」


 火のついた古布が、油のついた薪の上に置かれた。


 炎が、上がった。


 少女の体を包むワンピースの裾が燃え始めた。


「うう」


 肉が焼けるひどいにおいがする。


「ううう……おおおお……」


 少女の喉から絞り出されるのは、あの丸く甲高いソプラノではなかった。潰れた声は牛の鳴き声のようだった。


 筆舌に尽くしがたい。


 ここは、本物の地獄だ。


 立ち尽くしているだけで、何もできない。


 十五歳の少女が燃え尽きようとしているのを、眺めている。


「おおおお……おおおお……」


 しかし、天はまだ彼女を見放していなかった。


 突然だった。


 観衆たちを掻き分けて、噴水のそばに飛び出してきた人影があった。


 最初、誰かわからなかった。


 黒いマントをまとった小柄な誰かが、池の周りの大理石を乗り越えた。


 処刑人たちも反応に遅れた。彼らも火刑という一大ショーに見入っていて周りの警戒を怠っていたのだ。


「貴様っ、何者だ!」


 その誰かは、まだ華奢な少年だった。


 彼はイルマの足元を囲んでいた燃える薪をブーツの底で蹴り飛ばした。薪がからんからんという軽い音を立てて転がっていった。大理石の上を縦横無尽に転げ回って火が消えた。

 まとっていたマントをはずして、イルマのワンピースの裾にまとわりついていた火を叩く。火が徐々に消えていって、赤く焼けただれた細い足が見えた。

 最後、彼はふところから取り出したナイフで、イルマをオブジェにくくりつけていた縄を切り落とした。


 地面に崩れ落ちたイルマにマントを巻きつけ、横抱きにして持ち上げる。イルマはぐったりしていて目を開けない。意識があるかどうか定かではない。


「正気に戻りなさい!」


 彼は、イルマを抱えたまま、一喝した。


「この国の新しい時代は! 人間を焼き殺すところからでないと始められないのですか!?」


 一同が、静まり返った。


「正気に返ってください! 人間なのに人間を燃やすということがどういうことなのかわからないのですか!?」


 誰もが、彼に見入った。


 彼は――さらりとした黒い髪、きらりとした碧の瞳、つるりとした白い肌の美しい少年は――カールは、勇気と知性をもって全力で叫んでいた。


「僕は皆さんの良心を信じたいです!」


 アーデルは、ああ、と思った。


「彼女は正しく裁きを受けるべきです。その上で死を検討するならばそれが報いでありさだめなのかもしれません。しかしあなたがたはその過程を踏むことなく、ただこうして、ぼろぼろになるまで痛めつけて、火をつけて燃やすだけ。これではこの国は何にも変わりませんよ。彼女の狂気がどこから来たのか何も考えないようでは学びがなく、死体を増やしていくだけです。歴史は必ず繰り返されます」


 彼だ、と思った。


「上と下を入れ替えて! 殺すほうが殺されるほうに、殺されるほうが殺すほうになって! それがみんなの思い描いたこの国の未来なのですか!?」


 彼こそが王の器、皇帝の器だ。


 彼こそがロイデン帝国の皇帝だ。


 帝冠にふさわしい者。指輪にふさわしい者。


 自分は、本物の帝王の言葉を聞いている。


「彼女は僕が預かります」


 そう言って、カールは池から出た。


 カールの剣幕に押された人々が、海を割るように彼を避けて道を作った。


 抵抗する人は一人もいなかった。誰もが彼の言葉に聞き入り、見入り、そして一時的かもしれないがいったんはその言葉を受け入れた。


 カールはまっすぐ市庁舎のほうに歩いていった。カールの取り巻きだろうか、カールが着ていたものと同じ黒いマントを羽織っている少年がそれを追い掛けた。


 市庁舎の扉の前に、ザーラが立っていた。


 彼女は深々と頭を下げたのちに、市庁舎の扉を開けた。


 カールとイルマが、市庁舎の中に消えた。


 みんな、それを無言で見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る