第9話 グリュンネン城の門前にて 1

 オグズ帝国側の意向で、皇帝スルタンとザイツェタルク王の会談は、城の正門と城門の間、堀の上の橋に簡易式のテーブルを置いて行われることになった。

 いざとなれば、王は城の中へ、皇帝スルタンは城の外へ逃げられる、という寸法だ。

 城壁側の門を閉めたら、オグズ軍は敵地に取り残されることになるし、ザイツェタルク軍は城の中に閉じ込められることになる。お互い幸せな選択ではない。だが、どのみちここで交渉が決裂すればトップの首を取り合う最終決戦だ。


 このままでは、援軍のあてのない籠城戦になる。

 最悪だった。


「ある程度は譲歩するつもりだ」


 オットーが渋い顔で言った。


 それは、向こうが提示する条件を呑む、ということだ。


 実質的な敗北だ。


「むろん何もかも言うとおりにするわけではないが、停戦のためになるなら多少のことは受け入れよう」


 ザイツェタルク側一同は鎮痛な面持ちでうなだれた。


 オットーはグルーマン侯爵とケッヘム侯爵を連れてテーブルにつく手筈てはずとなった。ジークはそれをリヒャルトとともに見送るつもりだった。

 しかし父は真剣な顔で命令した。


「ジーク、お前も来なさい」


 深い理由なく拒みそうになった。父の命令のすべてに背きたい気持ちがあった。母をいいようにした男への嫌悪感がジークを意固地にさせていた。


 しかし、この場が政治の場、それもザイツェタルク政治の正念場であることもわかっていた。

 私情は捨てるべきだ。

 さすがに十九歳にもなって母親恋しさに王を拒絶するのはおかしいとも思っていた。


 ツェントルムで政治に関わりたいと思ったことを思い出す。


 この男は父親ではない。

 ザイツェタルク王だ。


「行きます」


 恥辱に塗れながらもそう言った。オットーは満足げに頷いた。


「俺も行っても構わないな」


 そうやって口を挟んできたのはローデリヒだ。


 オットーはしばらく悩んだようだったが、最終的には受け入れた。


「ザイツェタルクとオグズ帝国の問題はロイデン帝国とオグズ帝国の問題ですからな。グリュンネン陥落の時にはツェントルムも危ういのですし、話をご理解いただいたほうがよろしいかと存じます」

「うむ。よろしく頼むぞ」

「では、いざ」




 ザイツェタルク側の一同は橋の真ん中で待たされた。

 オグズ軍の動向を窺って突っ立っているのはかなり悔しかった。だが逃げ帰るわけにもいかない。敗者にも意地がある。


 ややして城門のほう、オグズ軍の側から二人の人物が護衛を従えて歩いてきた。


 ジークは驚いた。

 ひとりはまだ十歳くらいの子供で、もうひとりも若い女性だったからだ。


 子供は足首まであるワンピース状の服の上に丈の短いベストを着ていて、頭にターバンを巻き、ターバンの上にエメラルドのアクセサリーをのせていた。

 女性のほうは、膝までのワンピースの下にズボンをはいていて、頭を絹とおぼしき高級そうな布で覆って前髪以外の髪を隠している。そして、腰には剣を二振り下げている。


 何よりジークを驚かせたのは、二人の容貌だった。


 二人とも瞳の色は紫なのに、グルーマン家の息子たちのような波打つ黒髪で、肌の色はかなり明るかった。厚い唇や大きな目はオグズ的だが、高くて細い鼻筋や面長の輪郭はロイデン的だ。


 オグズ風の服装で紫の目をしながら、ジークなどよりよっぽどロイデン人の特徴を備えている。


 混血児だ。


 二人は意気揚々と近づいてきて、目の前に立ちふさがった。


「お初にお目にかかる」


 女のほうが流暢なロイデン語で言う。凛とした立ち姿が彼女を美しく見せる。


「私はヌルギュル。今のこの皇帝スルタンの姉で摂政をしている。そして、此度こたびの遠征のオグズ帝国軍総司令官だ。もとは先の皇帝スルタンの第三皇女だ」


 彼女がそこまで言うと、子供のほうも明るい声と表情で言った。


「余はムスタファ、オグズ帝国第十四代目皇帝スルタンである。余はまだ十歳ゆえ実務の部分はこの姉ヌルギュルに任せている。此度はどうしても政治を学びたいゆえここまでついてきてしまったが、基本的にヌルギュルに全権を委任しているので、すべて彼女を通していただきたい」


 ムスタファも流暢なロイデン語で、十歳のわりにはたいへん大人びていた。それこそ十九のジークよりよほどしっかりしている。


「ムスタファ陛下、ヌルギュル殿下。ようこそお越しくださった。私はザイツェタルク王オットー。これが息子のジギスムントで、こちらがロイデン皇子のローデリヒ殿下。あとは家臣です」

「左様か。よろしく頼む」

「座られよ」

「では、遠慮なく」


 椅子は二脚しかなかった。王の分と皇帝スルタンの分だ。しかし護衛のオグズ軍の兵士はこうなることを見越していたらしく、ヌルギュルの分の簡易式の椅子を持ってきた。ザイツェタルクの側も急いでジークとローデリヒの分の椅子を運んできた。あとは付き人のようなものなので立たせっぱなしだ。


「回りくどい前置きはやめて、率直な我々の要望をお聞き願いたい」


 ヌルギュルが言った。声、表情、何もかもが彼女を強く聡い女性なのだと印象づける。


「我々は何も殺戮と略奪のためだけに無計画に攻め入ったわけではない」


 それを聞いて、ザイツェタルク側に気まずい空気が漂った。オグズの蛮族はそういうことを目当てに押し入ることもあろうかと考えていたのだ。


「まず、ザイツェタルク領内にいるオグズ人を解放していただきたい。同胞が奴隷同然の過酷な境遇にあえいでいると見た。このような虐待は断じて許さない。二度とこのようなことがないように解放宣言を出し、背く者には刑罰を与えるように。また、移住の自由を認め、オグズ帝国に行きたい者を引き止めないこと。教育の自由を認め、オグズ語を学びたい者のためにオグズ語の学校を建てること」


 解放の要求程度のことは予見していたが、いざ真正面から言われると痛い。しかも、オグズ人の国なのにまるで文明国のようなことを言う。これではオグズ人を労働力としてしか見ていなかったザイツェタルク民のほうがはるかに野蛮ではないか。


 野蛮とは、いったい何なのか。

 いったい何が特定の人種を上に位置づけたり下に位置づけたりするのか。


「二十年前に国交が途絶えて以来、我が国も交易が不便になっている。ロイデン帝国内の他の国々との付き合いも考えたい。よって、オグズ帝国民の通行の自由を認めること、帝国の旅券を持つ者を無条件に保護すると誓うことを約束していただきたい」


 オグズ人の堂々とした進入を許すということだ。これもなかなかに重い。


 次に、意外なことを言われた。


「最後に、ユーバー川の関所の通行税を免除していただきたい」

「川?」


 ザイツェタルク側の一同が顔を見合わせる。


 ヌルギュルはまっすぐ一同を見ていた。


「ユーバー川を上がったり下がったりすることについて文句を言わないでいただきたいし、船にかかる通行税も免除していただきたい」


 ユーバー川はロイデン帝国最大の河川で、ザイツェタルクの山中に端を発し、ツェントルムの帝都を通ってノイシュティールンにたどりつき、最後は北方のロイデン海に注ぐ川である。この前帝都に行った時にジークたちも船を浮かべた川だ。水運の便は良い。そしてツェントルムまでの部分は確かにザイツェタルクが管理している。

 それをオグズ帝国の人間が知っているとは思わなかった。


 グルーマン侯爵が口を開く。


「それは、先ほどおっしゃっていたロイデン帝国内の他の国との交易のためですかな」

「いかにも」

「ザイツェタルク領内を押さえても、ツェントルムやノイシュティールンは何と言うかわかりません。まさかと思いますが、ツェントルムやノイシュティールンとも戦争をなさるおつもりか」


 ヌルギュルはなおも冷静だ。


「ツェントルムは今皇帝と宰相が死んで機能不全だと聞いた。実質的に、ザイツェタルク、ノイシュティールン、クセルニヒ、ヴァランダンの四ヵ国で回しているそうだな。しかも、その四ヵ国が帝国の外の国に狙われるかもしれぬという国難の時に帝位継承を巡ってにらみあっているときた。油断もはなはだしい。我々に理性がなければ今頃ロイデン帝国そのものを滅ぼしているところだ」


 帝国の内情が筒抜けだった。冷や汗が流れた。


「この中でもっともオグズ人を馬鹿にしているのがザイツェタルクだと聞いたので、此度はザイツェタルクに攻め入った。他の国とは正式な使節を派遣して平和的に交渉できれば幸いだな」


 ザイツェタルク側は何も言えなかった。


「冗談だ。単に国境を接しているからだ。ヴァランダンは我々からするとはるか北東で寒すぎる。クセルニヒは軍艦を出す手間がある。ザイツェタルクは山の向こうで、山さえ越えれば何と言うこともない。とはいえ冬の寒さには慣れぬゆえ、ここで手打ちにして帰らせてもらおうと思っているのだが」


 オグズ帝国は南方の温かい海や暑い砂漠に囲まれている。軍隊を雪山に適応させるのが大変なのだろう。一方ロイデン帝国は基本的に寒冷で、特に山がちなザイツェタルクやヴァランダンは雪が降る。

 寒さに救われたということだ。

 情けないことこの上ない。


「どうだ? 今話した要求をすべて呑んでくれるのであればこのまま引き返そうぞ」


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