ロイデン帝国騒乱記

日崎アユム/丹羽夏子

第1章 ルートヴィヒ帝が死んだ。パーティの始まりだ

第1話 参りましょう、ジーク殿下

 ジークは父であるザイツェタルク王オットーがあまり好きではなかった。

 しかし嫌いにもなれなかった。

 わかっている。本当は素直に感謝すればいいのだ。

 父は情の深い人で愛を重んじる人だ。だから一人息子のジークを深く愛している。それを素直に受け入れればいいのだ。そうすればジークは父を好きになれる。


 ジークの母親は奴隷同然の下働きをしていた異民族の娘だ。彼女とオットーは、あまりにも身分が違いすぎるため、教会にも騎士団にも結婚を許されなかった。

 しかし、オットーは唯一の恋人が産んだ一粒種のジークを溺愛した。恋人亡き後は結婚せず、今もってなお他に子供を作ろうとしない。

 したがってザイツェタルクの民がこの汚らわしい混血の非嫡出子を認めなければ、三百年の歴史をもつザイツェタルク王家はオットーの代で断絶する。


 正義の騎士の国、英雄の末裔ザイツェタルクの滅亡――それはザイツェタルクどころかロイデン地方、否、大陸全土が未然に防止したい非常事態だ。


 まして今はロイデン帝国皇帝ルートヴィヒが脳の病で命の危機にさらされているらしい。この状況下で帝国きっての名門ザイツェタルクが滅ぶのはまずい。


 自分とその父を取り巻くそういう状況を、ジークは、快く思っていなかった。


 まず、恋などという幻惑のために国を滅ぼさんとする蒙昧ぶりが気に食わなかった。

 一国の王たるもの、しかるべき家からしかるべき令嬢をめとるべきである。王の婚姻は政治行為だ。王家に生まれた男がたかだか恋人のために正当な婚約を破棄して国家を危機に陥れるというのが、あまりにも愚かで嘆かわしい。


 次に、そういう個人的な感情を押し通すために息子を盾にしようとする態度が気に食わなかった。

 彼は自分の恋人への愛を世間に認知させるためにジークの王位継承権を利用している。国はジークを受け入れたくないが、王家の断絶をちらつかせられたら受け入れざるを得ない。そういう駆け引きに自分が利用されたというのが悔しくも情けない。


 そして最後に、ジークは愛というものがなんとなく苦手だった。

 馴れ馴れしくされたくない。理解したふりをされたくない

 見返りを求められている気がするのかもしれない。愛されたら愛さなければいけない気がするのかもしれない。


 ただただ放っておいてほしい。


 世界がそれを許さない。


 ザイツェタルクの王城は、三百年前に作られた古い石造りの建物だ。重厚な石組みでできていて、窓は小さく、晩夏の今でも薄暗くて寒い。定期的に改築されているはずだが、基本的な構造を取り崩すのは難しい。王都は王都として厳めしく存在すべきであり、王城は不断なくこの都の象徴でなければならないので、大きく形を変えることは叶わないのだ。


 そういう融通が利かないところも、ジークがこの国を好きになれない理由のひとつだった。万が一父のわがままが通って自分が王位を継承したら、何かを抜本的に変えたい。


 謁見の間の、一応新しいものに取り換えられた毛足の長い絨毯の上、設えられた玉座に向かってひざまずいて父の登場を待つ。


 そんなジークの隣では、幼馴染のリヒャルトも一緒にひざまずいている。


 リヒャルトはジークよりよっつ年上の二十三歳で、ザイツェタルク王の忠臣グルーマン侯爵の息子である。


 このグルーマン侯爵夫妻というのもまた愛情深い人々で、母親が早くに亡くなり教会からは目の仇にされているジークを憐れんで、屋敷に引き取ってくれた。事実上の乳母だ。


 ロイデン女の鑑であるグルーマン侯爵夫人は十人もの子供を産み、ジークを彼ら彼女らと一緒に育てた。


 その乳兄弟たちの中で一番気が合うのがこのリヒャルトである。


 リヒャルトはなかなか頭の切れる男で、情より理を、道義より利益を重んじる。彼はかなり明確にジークを王位継承にまつわる政治の駒として捉えていて、ジークを取り巻く環境を政治的駆け引きの場としておもしろがっている。

 そういう姿勢が愛情というものを信用できないジークにとってはかえって好ましい。

 情感豊かなグルーマン夫妻はリヒャルトの考え方を嘆いているが、ジークはリヒャルトを好意的に見て信頼している。逆に考えて、この男はジークに王太子として立つ可能性がある限り味方をしてくれる。一時の感情に任せてジークを好きとか嫌いとか言わないのだ。


 天鵞絨ビロードの貼られた扉が重々しく開き、恰好ばかりは一人前、見た目は立派に見える筋骨隆々とした体躯の中年の男が入ってきた。ザイツェタルクのシンボルカラーである濃緑の服を着て、白貂しろてんのマントをまとっている。四十を過ぎてなお豊かな波打つ金茶の髪にオリーブ色の瞳のザイツェタルク王オットーである。


 対するジークは上背があまりなく、筋肉は一応鍛えてはいるが細身だ。髪はまっすぐで黒く、瞳の色は紫である。唇は厚く、肌の色は少々濃いめと、典型的な南方の遊牧民の容貌をしている。あまりにも母親に似すぎた。


 ちなみにリヒャルトも一応黒髪だがロイデン人らしいふわふわとした癖毛で、瞳はザイツェタルクの王侯貴族らしいオリーブ色だ。ついでに鼻立ちがすっきりしていて中性的な面立ちをしている。男女問わず人気のある顔で、恋愛もひとつのお遊戯だと思っている冷静で冷徹な彼は男でも女でも好みの容貌の者があれば片っ端から口に入れる両刀使いだった。今のところジークの尻は狙われていないので、きっとこの異民族調の顔が好みのタイプではないのだろう。


 愛息子の顔を見たオットーはすぐ相好を崩した。駆け寄り、絨毯に膝をつき、ジークの肩をつかむ。


「顔を上げなさい。そんな堅苦しい態度は取らずともよい。なんなら父の席に座っていなさい、お前は王子であり私の唯一の後継者なのだから」

おそれながら陛下、このジークは家臣たるグルーマン一族の養い子、王子という過ぎた身分を拝受した覚えはございません。玉座に腰を下ろすなどとは滅相もない」

「そのような冷たいことは言うな。何度も言うが、私はお前を次期国王にするためならば何でもする」


 父が両手でジークの頬を押さえた。さすがに十九歳の息子と四十一歳の父親のやり取りとしてどうなのか。気色悪い。


「前置きはいい」


 顔と顔とが近づく。額と額をくっつけるのではないかと思った。幼い頃はよくやられていた。


 ジークが抵抗する前に父が深刻そうな顔を作って口を開いた。


「大変なことになった」

「いかがなさいました」

「ルートヴィヒ帝がご崩御なされた」


 とうとうこの時が来たか。覚悟はしていたがいよいよ今となると身震いした。


「それで、皇帝陛下はいまわの際に何と?」


 ジークが訊ねると、オットーは険しい顔で首を横に振った。


「ついぞ意識は戻られぬまま、眠るように息を引き取られたそうだ」


 やはりか――本当に大変なことになってしまった。


「つまり、皇帝陛下は、後継者について何もおおせになれなかった、と」

「そのとおりだ」


 オットーが上半身を起こした。顔と顔との間に少し距離ができる。それでもオットーの右手はジークの左頬をつかんだままだ。しかしジークの頭は帝位継承についての情報で勢いよく回転し始めていて父のそういう甘い態度には突っ込まなかった。


「ここで下手を打ったらザイツェタルクの地位が危うくなるかもしれん」


 父は愚かだが馬鹿ではない。


「頼むジーク、私とともに帝都に行ってはくれないか。申し訳ないが今日じゅうに出立したい、可能か」


 ジークが口を開く前にリヒャルトが口を開いた。


「お受けなさい、ジーク。私がともに参ります。これは国の、否、大陸の一大事。お前一人の意地ではどうにもならないのよ」


 オットーがリヒャルトのほうを見て「頼もしい」と言った。


「皇帝陛下のご子息たちの出方によってはザイツェタルク存亡の危機。そこにザイツェタルク王子がいないのは非常にまずい。そうですよね、国王陛下」

「うむ、うむ。リヒャルトがいると話が早くて助かるな」


 好むと好まざるとにかかわらずジークはこの件に着手せねばならぬようだ。


 仕方がない。ジークはザイツェタルクの滅亡は望んでいない。


 誰が好きこのんで住処すみかを奪われたいだろうか。ジークは確かにこの国に生を受けて十九年、疎んじられても殺されかけたことはない。ここは揺籃の地であり安住の地なのだ。


 他にやる人がいないなら、やるしかない。


 ジークにもそろそろザイツェタルク王子という重荷を背負う日が来たようだ。


「参りましょう、ジーク殿下」


 リヒャルトの悪い笑顔に、ジークはしぶしぶ頷いた。



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