伐森の毒
建物には火の手が上がっている。避難を促すサイレンがウーウー、と耳障りに鳴いている。
「ローズ!お前は外のをやれ!退路を頼む!」
俺は前方の宙を飛ぶローズに叫ぶ。俺の五感には、非難するでも野次馬をするでもなく、明らかに建物を包囲するような意図を持って動く存在を捉えていた。
ローズは宙を蹴りつけて、一気に視界の外まで消えていく。恐らく敵の索敵からも消えただろう。敵は見えないローズを警戒し続ける必要がある。
これで相手の動きは制限されるだろう。
俺は一階の扉から建物内に入った。
上層からの煙が漂う廊下を走り抜ける。待ち合わせ場所は6階。
そこまで敵に出会うことは無かった。
階段を昇り切り、左に回る。モーテルのような一時利用の宿泊場であるこの建物には、似通った扉が数多並んでいる。
俺は伝えられていた一番奥の部屋へと向かう。扉は破壊されていた。
俺は〈蒼凪〉を抜いて室内に飛び込んだ。
意識が加速され、視界が緩やかに流れる。小柄な体格のTVは崩れた壁際に座り込んでいる。そしてTVの前に、一人の男が立っていた。
派手な七色の髪。見える地肌は全て鋼鉄の義体だ。その手には長いライフルらしきものを持っている。
情報屋から前もって受け取っていた『FM』のメンバーだ。
その姿を確認した瞬間、俺は躊躇わずに蒼凪を振り抜いた。出力は最大。伸長したエネルギーの青刃が、室内を切り裂きながらFMの胴体へと伸びていく。
FMは俺に背を向けたまま、しゃがみ込んで刃を交わした。
「―――ッ!」
伸びた刃は黒煙を切り裂いて、青い空を映した。
遅れて切り裂かれた家具が重力を思い出す。
「おいおいおい!すげえ速度だな!一瞬で来やがったッ!」
明らかにこちらの行動を読んでいた男の言動に、俺は眉を顰める。
踏み込み、距離を詰めようとした時、男は俺に銃口を向ける。
俺が立つのは廊下。弾を躱す隙間はない。
だがそれは、相手も同じだ。射線は限られる。
―――ぶった切ってやる
弾丸一発程度なら、刀でいなせる。そう判断した。
だが男の顔に浮かぶ派手な笑みと、得体の知れない銃器が俺の足を鈍らせた。
反射的に腰に手を回してハンドガンを取り出す。対モンスター用の銃特有の強力な反動を腕力でねじ伏せ、弾を放つ。
身体能力でごり押しの早打ちは、相手よりも早く飛翔し、その銃身に当たった。弾かれた弾丸が室内にめり込む。強力な威力に銃口は逸れて、放たれた銃弾は俺の真横を音もなく通り抜けた。
視線だけで着弾点を見る。きれいな円形が出来ていた。1センチほどの円が壁にめり込んでいる。その周囲にはひび割れも無く、銃跡というよりも、工具で切り抜いたようなものだった。
―――明らかに通常の武器ではない。
「――やべっ」
連射はできないのか、男は狼狽える。俺は冷や汗を流しながら前進する。
今のは当たれば死んでいた。外れたのは偶然と男の技量の低さだ。
今まで相対してきた敵と比べれば、お粗末だ。今の冷や汗も嘘ではないだろう。
刃域まであと一歩という距離。
その瞬間、地面が爆ぜた。
何か巨大な構造物が突き出し、薄い床を砕きながら壁のように眼前に聳えたつ。
それは巨大な腕だった。俺の胴ほどはあろうかという腕が、地面から突き出していた。そして手の平が俺の方へとむけられる。
咄嗟に地面を蹴った。巨人の手のひらから噴き出した火薬と炎が入り混じった赤を天井すれすれに跳ぶことで躱す。僅かに背が焼かれ、炎の熱を感じる。
「―――熱ッ」
慣性に引かれた俺は、そのまま天井付近を滑って、壁に空いた穴へと向かう。飛び降りる寸前、TVの腕を掴んで諸共飛び降りる。
「ははっ!すげえ!これは回るぜ!」
背後から男の歓声を聞きながら俺は悲鳴を上げるTVと共に着地する。二人分の体重を乗せられた地面が悲鳴を上げてひび割れる。俺はすぐさま建造物の陰に逃げ込んだ。
「テン、TVを回収した。俺の現在地を見て、回収してくれ」
『了解。ローズも敵を逃したらしい』
俺はその言葉に動揺する。室外での戦闘で、機動力特化のローズが敵を取り逃すなど、そうそうない。俺の動揺を察したテンは言葉を重ねた。
『妙に強力な兵器を持ってたらしい』
「俺の方もそうだ」
明らかに、都市のチンピラが持つには過剰すぎる武器だ。俺の方では遺物らしき狙撃銃も確認した。そして地面から生えたあの手。
あれは遠めに見たことしかないが、都市警備隊が持つ人型兵器のようだった。
俺は敵の射線を切るように素早く、障害物の合間を走り抜ける。
そして裏路地の人通りの少ない広間のような場所で、俺は足を止める。担いでいたTVを下ろして、一息つく。
ここなら狙撃の心配も無いし、外から人が来ればすぐにわかる。
足は俺のほうが早いし、逃げる分には問題は無い。潜むにはちょうどいい場所だ。
「それで?次はどうするんだ、TV?」
隠れ家がバレて、殺されかけたTVは、ショックを受けているようだがすぐに立ち直り毅然とした態度を纏いなおした。
「都市間輸送の集合場所に行く。あそこは都市の警備下にある。安全だ」
「了解」
依頼主の要望だ。拒否することはしない。だが俺は疑問を宿した瞳でTVを見る。
その人間味の無い義体と人工音声から、意味のある証拠を抜き出そうと意識を研ぎ澄ます。
「何で殺されなかった?」
俺がTVの元に向かうまで、FMがTVを殺す機会は何度もあった。それにもかかわらず、TVは無事だ。
「後で話す。それよりも敵には優秀なハッカーがいる。僕の隠れ家がバレたのもそのせいだ。僕の側にはお前が居ろ。義体者は信用できない」
「分かった」
俺達はテンの運転する装甲車に素早く乗り込んだ。そしてできるだけ警備の厚い北区を中心に遠回りしながらも、都市外の都市間輸送の出発場所に辿り着いた。
◇◇◇
都市間輸送の集合場所は都市の外であり、都市警備隊の防衛線の内側だ。
そこは荒野であり、見渡す限りの赤い砂と地平線を遮る岩陰しかない。
モンスターは防衛線で撃退されているため、植物も虫も何もいない文字通りの「死の荒野」である。
出発まであと一時間程度。商隊も列を組み、護衛も布陣している。俺たちの装甲車はその護衛の一角に止められた。
車両の周囲には何人もの武装した兵士が、銃口を向けている。
「僕たちは都市間輸送の参加者だ。確認してくれ」
TVが一枚の透明のカードを差し出す。受け取った30代ほどの男はそれを専用の読み取り機械にかざすと、「進め」と不愛想に告げた。
ゆっくりと進む車内の中で、俺は周囲の護衛を見る。
みな、画一的なP.A.S.や銃を持っている。どれも強力な装備だ。恐らく、新調したテンやローズの装備よりも遥かに高性能な一品だろう。あの引き金が引かれれば、俺たちはなすすべなく木っ端みじんになることは疑いようもない。
また、彼らの駆る車両には、同じ紋章が刻まれている。
軍人や警察の類ではない。
都市内で見たことがない奴らだ。
だからと言って《
「なあ、あいつらは?」
俺はローズに尋ねる。
「《
「…………あの装備、アウトじゃねえの?」
俺はちらりとローズの横顔を盗み見ながら尋ねる。
確か、強すぎる装備を持つ者は、都市内では消されるとか。彼らの装備はそれに接触している気がした。
ローズはその話をテンがした時に怒っていたので、機嫌を損ねるかと思ったが、特に気にした様子もなく答える。
「だから都市外にいるでしょ」
「お前たち、天罰を気にしているのか?」
助手席にいたTVが嘲るように笑った。
「お前は否定派か?」
「当然だろ。都市の裏側を知れば知るほど、そんな奴はいないという確信を持つ。大体、そんなことをして何の得があるんだ」
「ロマンねえなあ」
「そんなものはいらない」
どうやらTVは現実主義者らしい。むしろ、その手の噂話を嫌っているようにも見えた。
車が進んでいく。するとようやく都市間輸送の本隊が見えてきた。
「すげえ…………」
それはあまりに巨大な車両だった。全長100メートルを超える小さなビルほどもある緑の装甲を持つ車両だ。
無限軌道のキャタピラーを持ち、四角い車体の前面には巨大な歯車のような機構が組み込まれている。
対大型敵性機械用の巨大砲口があちこちから突き出しており、その武骨な車体の用途を一目で分からせる。それが何台も荒野に連なっており、その周囲に小さな車両が寄り添っている。
「『
「あれが僕たちの乗り込む車両だ」
TVは手袋で隠された小さな指で、最後尾の車両を指さした。
「あれに乗っていくんだろ?襲撃なんてあるのか?」
あの巨大車両に乗るには、周囲を護衛する《探索者》のチェックを受けた上で入り口でも許可証が必要になる。内部にも企業の護衛や貨物品を守る《探索者》がいるだろう。
あの車両はモンスターだけではなく、貨物や乗客を狙う敵対者すら寄せ付けない絶対的な要塞だと思えた。
「忘れたのか?相手は護衛だらけの仲介屋すら殺している奴らだ。何があってもおかしくない。僕の護衛に集中しろ。仕掛けてくるなら都市間輸送の間だ」
「分かってるよ」
TVの機械音声には、隠し切れない恐れのようなものが滲んでいた。
「車両は自動追尾で追わせておけ。行くぞ」
俺達は巨大すぎる緑の巨大車両の近くに辿り着いた。周囲には荒野しかないが、まずは俺たち三人が降りる。そしてその中央にTVを配置して、巨大車両へと向かっていく。
入り口で探索者に同じようにIDを見せて、車体の中ほどへと延びる足場を進んでいく。分厚い鉄の扉を潜り、俺はほっと息を吐いた。
とりあえず、外部からの狙撃はこれで不可能になった。
車内は武骨な外面と比べて、ゆるやかで落ち着いた内装をしていた。
白を基調とした広い通路が伸びており、搭乗員が部屋へと案内してくれる。
俺達の部屋はTVの隣だ。
まずは全員でTVの部屋に入る。
「カーテンは開けるなよ」
シャッ、と外の景色が覗ける窓を塞ぐ。
そしてローズはまるで我が部屋のように長椅子に座り込んで、備え付けの酒を飲んだ。
「おい!僕のだぞ!」
「うっさいわね、今はアタシのよ」
苛ついたTVがローズに噛み付くが、人差し指だけで小突かれてあしらわれる。
「くっ、この女っ…………!」
「諦めろ。ローズに取られたものは二度と帰ってこねえぞ」
俺はかつての自分を見ているようなTVの姿に微笑ましく感じながらソファに座った。ちなみにテンは真面目に室内の盗聴器などをチェックしている。
「それより、FMの目的は何だったんだ?」
俺が尋ねると、テンとローズの視線がTVに向かう。
隠れ家から逃げた時、俺はTVが殺されなかった理由を尋ねたが、後回しにされた。それを今、聞きたい。
TVは荒々しく椅子に背を預けて、「僕も確信はないが」と前置きして話始めた。
「あのFMのリーダーの全身義体者、ファニー・スマイルとかふざけた名前を名乗った男は、この写真を見せてきた」
TVは腕を捲って義体の地肌を見せる。そこには小さな差し入れ口のようなものがあった。
俺は怪訝な顔を浮かべ、その部分を見つめる。
すると、ウィーン、と駆動音をたてながら、一枚の写真が出てきた。
「何それ?ダサ」
小さく鼻で嘲笑うローズを、TVは睨み返す。
「もう販売停止になっている貴重品だぞ!これだからモノの価値を介さない野蛮な傭兵は…………」
声を荒げたTVは、話しているうちに気を取り直したのかやれやれと言いたげに肩を竦めた。
そして早口で腕の名前やパーツの機能を説明し始めた。
…………こいつ、ガジェットマニアか。
「それは?」
俺は本題から離れ始めた話題を戻すため、握りしめられて折れた写真に言及した。
話を止められたTVは僅かに恥ずかしそうに視線を逸らしながら、写真を渡してきた。
「これは僕の電脳が録画していた視覚画像を出力したものだ」
そこには、虹色の髪をしたサングラスの男が、今時珍しい紙の写真をTVに向けていた。
義眼の性能がいいのか、細部まで見れる。
俺の背後に回り込んできたローズが、俺の頭に肘を置いて覗き込む。
「…………何よこれ」
直に触れる肌から感じる熱と滑らかさ、そして香る薔薇のような香水の香りに俺は僅かに頬を染める。
ローズは写真を覗き込もうとますます体重をかけてきて、すると当然彼女の豊満な胸部が俺の肩に触れる。
柔らかく形を変える塊に耐え兼ねて俺はばっ、と席を立つ。
「お前が座れ」
俺は写真を渡してローズを座らせる。
「は?まあいいけど」
頬のタトゥーが怪訝そうに歪む。俺はローズの脇から写真を覗き込んだ。
「写真の中身を見ろ」
TVの言葉に合わせてファニー・スマイルの持つ写真へと視線を移す。
それは、街中の景色だろうか。暗い夜の海際のように見える。色とりどりのコンテナが並び、交易の拠点らしき場所だが、地面やコンテナの一部は切り裂かれており、不穏な気配が漂う。
その写真の中心には、一人の女性がいる。
こちらに背を向けて立っている。立ち姿や体に貼り付く特徴的な服装が露わにするスタイルから、街中に居れば目を引くだろう。
その髪は長い海の青。水底に煌めく光の悪戯のように、青く澄んだ美しさを宿している。
人工物の中にありながら、女性の存在ひとつだけで、非現実的な絵を見ているようだ。
「誰だよ」
歌手か芸能人だろうかと思い尋ねるが、TVは緩やかに首を振った。
「分からない。ファニー・スマイルは、この女の姿を探っているようだった」
「知ってるのか?」
「いや。知らない女だ」
俺は改めて女性の姿を見る。
そしてローズの横顔を窺う。ローズも知らないのか、いつもの不機嫌そうな表情で写真を見ていた。
「場所は海洋都市ラグーンね」
「ああ。海があるのはあそこぐらいだ」
海洋都市ラグーンというと、プラジマス都市の西側に存在する交易都市だ。
前期文明の生きた遺跡があり、その機能を使い海の向こうの国家と交易をしている。
そのため、街には港も整備されている。
「その正体に心当たりは?」
仲介屋は、情報に敏感だ。うまみのある仕事、荒事の気配、腕の立つ傭兵の情報、それらを集め交渉し、自身の儲けに変える。
情報屋を当たっても分からない情報があれば、仲介屋に聞いてみろ、とはダークネットの掲示板でよく言われる冗談だ。
案の定、TVは迷いなく、その正体を推測する。
「恐らく機械人形だろう。この服装は前期文明の遺物だ。姿も過去に確認された機械人形と整合性がある」
「へえ。てことは『遺物』か!」
機械人形は、高度なAIを組み込んだ人型機械だ。
前期文明のものは、それこそ現代製を超える人工知能や強力な遺物を所持しているため、遺跡で発掘される遺物の中でも最も高価な品だ。
「FMは恐らくどこかの犯罪組織に雇われて、この遺物のありかを探っているんだろう」
「そして情報を独占するために、仲介屋を殺して回ってる、と」
俺は筋の通ったTVの説明に納得の声を漏らす。
ローズはじっとTVを見る。そしてそっと視線を逃した。
その時、がたり、と室内が揺れた。
そして車内アナウンスが、出発時刻を告げる。
窓際から小さくを顔を出して、都市間輸送の最前列を見る。大きな土煙を上げながら、巨大な緑の車両が荒野を走り、その周囲を付き添うコバンザメのような小さな戦車たちが警備する。
ここから数日間、俺たちは荒野を進む。
蒼凪を握りしめて緊張を押し殺す。
そんな俺の側に、音もなくテンが寄ってきた。盗聴器のチェックは終わったのだろうか。そんなことを思いながら視線を向けると、テンは真面目な顔で囁いた。
「ソラ、油断すんなよ。TVはまだ何かを隠している」
「…………何だ、聞いてたのか。何かって?」
「分からねえ。だけど、車内での襲撃も警戒しろ」
それだけを言ってテンは俺から離れた。『
この大型車両には、特殊なIDが無ければ入れない。周囲を固めるのは、都市内では見ないほどの装備で身を包む『探索者』たち。
これを掻い潜り内部に潜入することは不可能だ。
だがテンはそれが可能だと考えている。TVはFMの背後には犯罪組織がいると語った。
ただの犯罪組織が都市の実施する都市間輸送に干渉できるのだろうか。
俺は、ローズと戯れるTVを盗み見る。
FMの目的、TVの隠し事、そしてモンスターの住処である『外域』。
厄介ごとだらけの旅になりそうだと、俺はため息を吐いた。
Empty Sky -未来世界を生きる- 蒼見雛 @turdh1582
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