初めての喧嘩
夜、眠っていた俺はインターホンの音で起きた。目を開けると、テレビのディスプレイが目に映った。どうやらソファで眠ってしまったようだと、おぼろげな頭で思い出す。
おかしな女のトラブルに巻き込まれたことで、知らず疲れていたらしいと思いながら立ち上がる。
そうしている今も、インターホンの感覚がどんどん短くなっているからだ。急かすようなその振る舞いに心当たりがあった俺は、早足で玄関に向かって扉を開けた。
「こんばんは。寝てたの?」
にこり、と真実を確かめるように微笑むのは目も覚めるような美女だった。
長いウェーブした金髪に異性の目を引くメリハリの効いた肢体。
シンプルな服装が驚くほどに似合っている。
「……カーラ。どうしたんだ?」
俺は見透かすようなカーラの言葉に答えたくなくて、疑問を返す。
カーラはそれに答えずに俺の横を通り部屋に入った。その手には大きな紙袋が持たれている。
「晩御飯作りに来てあげたの。嬉しいでしょう?」
「夜中の3時じゃなければもっと嬉しかったな」
晩御飯の時間としても人を尋ねる時間としても非常識な時間だが、それを感じさせないのはカーラの一つまみの無邪気さゆえだろう。
「大丈夫よ。私は会えて嬉しいから」
カーラは廊下の中ほどで振り返り、どこか蕩けるような笑みを浮かべた。
後は、許してしまう俺のせいでもあるか。
◇◇◇
「どうぞ」
カーラは机の上に料理を並べる。枝豆の冷製スープに暖かそうなシチューにブルーベリースムージー。どれも俺の家の皿を使ったとは思えないほど、高級感あふれる見た目だが……。
「………固体は?温度差やばくない?」
嚙み切れるものが無い上に、料理間の温度差が凄まじい。胃が温度差で砕けそうだ。
俺の疑問にカーラはこてん、と首を傾けた。大きなルビーの瞳がぱちくりと動く。
「無いよ?今日のテーマは四季と……液体だもの」
彼女の中には夏と冬しかなく、付け足されたテーマが武骨に光っている。
俺は黙ってスープを飲んだ。
「おいしい」
これは本心から言葉だった。
「そうでしょう?自信作なの」
カーラは嬉しそうに笑った。俺は食べる前に文句を付けたこともあって、少し決まづくなり黙って食事を続けた。
それが分かったのか、カーラはますます楽しそうに笑った。
「それで、今日はどうしたんだ?」
俺はカーラに尋ねてきた用件を聞く。彼女が料理を作りに来ることは何度かあったが、連絡も無く来たことは無かった。
「んー、生活できてるのかなー、って」
カーラは唇に指を当て苦笑するように言った。
俺はミレナの依頼と、裏切られたことによる出費で貯金のほとんどを失った。そして今日の装備の新調で残金は子供義体使いから巻き上げた10万クレジットのみだ。
カーラには金のことを言ってはいなかったが、俺が賞金首になった経緯と結末から金に困っていることを感じ取ったのだろう。
「………まあ、正直に言うとギリギリだな」
ギリギリと言ってもアウトの方だ。家賃を支払えば餓死し、食費に回せば家を失う。それが今の現実だった。
すぐにでも仕事をしなければならない。
だが今の俺には仕事を回してくれていた『瑠璃の珊瑚』というバックはいない。俺が賞金首になったときに切られたからだ。
となれば、別の『
そこでは、仲介屋がネットを介し、仕事を斡旋している。だが傭兵としての実績が少ない俺では足元を見られて買いたたかれるのがおちだ。
大金を稼ぐとなれば、危険な依頼を引き受けるか、あるいは『
外のモンスター討伐依頼は都市から恒常的に出ているし、遺跡探索をして遺物を見つけることが出来れば大金になる。
だがこれは《
俺もアサルトドックと呼ばれる生体モンスターの討伐依頼は受けたことはあったが、それも『
都市内で信用できない《
正直、気が進まなかった。
そういえば、テンとローズはどうしているのだろうか。ローズからは一度無理やり連れだされたが、テンは義体の損傷も深かったこともあり、あまり会えていない。
また2人と仕事をしたいと思うが、俺が誘った仕事で損をさせた以上、俺からは誘いづらい。
金のこと、2人のこと、色々と複雑な考えが表情に浮かんでいたのかローズは悟ったように笑う。いや、あくどく何かを企むような蠱惑的な笑みだった。
「じゃあ、私が養ってあげよっか?」
朗らかに跳ねて、だけどどこか温度の無い作ったような声が部屋に響く。
その獲物を見定めるような眼差しに、背筋に寒気が走るのを感じた。
「遠慮しとく」
なんか怖いし。
「えぇー?優しくしてあげるのに」
そう言って冗談っぽく笑ったが、割と本気で言っていたことは短い付き合いながらも分かっていた。
「でも、頭に入れておいた方がいいよ。後がない状態だと、人って思うように動けないものでしょう?」
「………まあな」
カーラの言葉は過激だったが、俺のことを慮ってくれていたのは確からしい。
「傭兵業に失敗すれば、俺はカーラの犬か。嫌だなぁ」
ウルフからドッグへ。中々の退化だ。
「天国だよ?家から出たらダメだけど」
「ディストピアかよ」
俺は小さく笑った。そしてカーラの心配を解消するように、言葉を続ける。
「別に、金を稼ぐだけなら難しくは無い」
カーラは、俺が金を稼ぐために逸って危険なことをすることを懸念しているようだが、それはあまりないとは思っている。
この都市では、力があれば端金には困らない。俺がチンピラに追われている女を助けて10万クレジットを稼いだように、チンピラを殺せるだけの装備と実力があれば金の種はどこにでもある。
生きていくだけなら、今の実力だけで十分なのだ。
「それなりの装備があれば、俺の実力ならギャングの用心棒をするか適当な依頼を受けるだけで今の生活は維持できる」
その金は、上に登るにはまるで足りない端金だ。その安寧に身を浸した時点で俺の実力は頭打ちになり、この都市にいるなんてことはない《
だけど、今の生活には足りないものはない。それなりの家と真面な食事、それとカーラもいる。それを全て失うリスクをかけて、賭けに出る理由が俺には無かった。
安定的な生活も悪くないのではないかと、俺は回りくどくカーラの意見を伺った。
「ダメよ。そんなの許さない」
俺をカーラの声が貫いた。
冷然とした声音に絶対の意志を乗せ、カーラは俺を否定する。
その冷たさに俺は唖然と口を開け、彼女を見返した。
「ありふれた何かになるなんてつまらないわ。そんなものになったらもう愛してあげない」
霜焼けのように俺の心を凍てつかせるその言葉にも、糸のように細く歪めた艶やかな唇にも、愛さない以上の激情が宿っていた。
とんでもなくカーラの機嫌を損ねた。それこそ、殺意とも呼べる冷たい意志を向けられるほどに。
「………さっき養うとかどうとか言ってたろ」
「それは別の話よ。私が諦めさせるのはいいけど、自分で諦めるのは駄目。私は、どんなソラでも愛してあげられるほどソラが好きじゃないわ」
意味が分からないし、かなりひどいことを言われた。
「この都市を嫌ってるソラが都市の中で生きるなんて言うのも嫌い。それにソラは外に行きたいのでしょう?」
「それは…………目的じゃなくて『衝動』だ」
だから、戦い続ける理由にはならないと、言外に告げる。
俺は確かに都市の外への興味があった。それは、記憶をなくし目覚めたばかりの頃から抱いていた『衝動』だ。
見る夢も、外の景色ばかり。
そこに何かがあると、本能が叫んでいる。
俺は無くした過去と記憶を知りたいと、ずっと思っていた。
だけどそれは、理由もない本能と同じようなものだ。理解できない感情に従い、行動するのは愚かだと、俺でもわかる。
それなら、過去のことなんて諦めて今のために都市の中で生きたほうがいい。
そう思い、衝動を殺すのも間違いではないはずだ。
「カーラは、俺が都市の外で危険な真似して死ぬのは嫌じゃないのか?」
卑怯な問いだ。口に出しながらそう感じたが、飲み込むことは出来なかった。
カーラははっきりと眉を顰めて言葉に迷った。
「それは………私の感情とソラの決断に関係は無いわ」
一瞬いい淀んだカーラは、しかしきっぱりと断った。
「理解できない『衝動』に従うのは馬鹿だろ」
嫌なことを聞いたと分かっている俺は、先ほどの質問を塗りつぶすように慌てて言葉を重ねた。
「理解できないって……。そうなった理由を覚えてないだけでしょう?」
呆れたようにカーラが嘆息する。
それは、物忘れを指摘するように、何気なしに呟いた言葉だったのだろう。
俺の『衝動』にも理由があって過去があって、思いがあると伝えたかったのだろう。
それは痛いほどの真実だった。だけどどんな悪態よりも俺の心を突いた。
「うるせえよ」
激情が自分から口をついて出る。カーラの困惑した表情を見て、自分が口走ったことを知る。だけど、もう止まらなかった。
「―――俺には過去なんかねえよ!名前だって自分でつけた!好きなものも親のことも知らない、今まで何してたのかも覚えてない!
俺の衝動だって、自分の過去を知りたいっていうつまらないもんだ!そんなもののために、全部を捨てられるか!」
ガラスの棺桶で目覚めたばかりの俺は、何もなかった。
だから衝動の言いなりになって外へ出るいつかを夢見てた。
失うものが何もないから、手を伸ばせば届く自由を求めてローズに立ち向かった。
だけど今は違う。それなりの生活も手に入れた。仲間と呼べる存在が二人もいる。かけがいのない人がいる。
だからそれを大切にしたいと思うのは、間違いなのか?
俺のそんな思いをカーラは間違っていると断じた。一番理解してほしかった人に否定された。俺はそんな行き詰まりに頭を抱えた。
「知らねえ理由で好かれて勝手に嫌われて、お前の我儘に付き合うのは御免だ」
俺が記憶喪失だとカーラにはっきりと告げたことは無い。だからカーラの表情には驚きが滲んでいたが、それはすぐに苛立つような不機嫌な表情に掻き消された。
「私を夢を諦める理由に使わないで」
毅然とした彼女はこんな時でも美しかった。
「夢じゃねえよ。ただ、忘れなかっただけだ。願望も思いも無い。覚えてるだけの何かだ。放っておけばすぐに忘れて、何もないように生きられる」
「それが嫌なの」
カーラはそのしなやかな繊手を伸ばし、俺の頬に触れる。冷たく細い感覚がじんわりと俺の内へと広がっていく。
「何でもないというけど、貴方の『衝動』は記憶の無いソラが唯一抱いたものでしょう。きっと、時間が経っても絶対に忘れない。ずっと覚えて、ずっと失った過去を悔やみ続ける」
だから諦めないで、と優しく告げる。そして一息ついた。
「それでも、諦めるならもういいわ。私は知らないから」
そう言って、カーラは立ち上がる。一度も俺の方を見ることなく、部屋を出て行った。
玄関の扉が閉まる音を捉え、俺は大きく息を吐いた。
「意味わかんねぇよ」
―――絶対に忘れない。
そう言われた言葉が、頭を離れなかった。
カーラは、俺が『衝動』を諦めれば俺の元を去ると言った。
だけど俺は、カーラのためにも、『衝動』を忘れて普通の生活をしたかった。
相反する矛盾が俺の中を駆け巡っていた。
◇◇◇
「やっちゃったなー」
私は今更の後悔に襲われて足元の石を蹴り飛ばす。
からん、ころんとマンホールの中に消えていったそれは、まるで二人のこれからを表すように暗いどこかへ消えていった。
―――知らねえ理由で好かれて勝手に嫌われて、お前の我儘に付き合うのは御免だ。
そう言われた言葉が、私の奥へと沈んでいく。
全くその通りだと、らしくない自嘲の笑みを浮かべる。
始めて、彼を見た時を思い出す。雑踏の中でスリを捕まえた迷子の子供。
真っ白で無垢で色だらけの世界に怯えて泣きそうに見えた。
だから声を掛けた。一夜を誘って揶揄ったのは、ほんの出来心。
断られてあっさりと引き下がったのは、その程度の興味だったから。
憐憫と少しの好奇心だけが、彼への全てだった。
二回目は、確かな興味を持って。
また会ったのは雑踏の中。
ひどい服装をしていて、面倒ごとに巻き込まれたことは一目で分かった。
どこか嫌世の雰囲気を漂わせていた彼は、この都市の住人になっていて、それでも心はここには無かった。
白い無垢の子は、別の色に染まったけれど、その内に抱いた願いは何よりも美しく輝いて見えた。それは、灰色の都市の中で育ってきた私だから抱いた淡い
願いを叶えて欲しいと勝手に思う押しつけがましい夢だった。
興味はいつしか愛に変わり、強くなっていく彼を見て、いつか彼が抱いた願いを叶えるのだと理由も無く思い込んだ。それがどんな内容かは知らないけれど、何であれ、味方であると決めていた。
だけど―――
「記憶が無いなんて言わなかったじゃん……」
子どものような言葉遣いで、ソラへの不満を述べる。
もう三か月ぐらいの付き合いになるし、この都市では誰よりもソラと仲がいいと思っている。
それなのに、ソラは自分のことを話さなかった。聞かれなかったと言われればそれまでだけど……。
歩く私の髪を、風が攫って行く。それが煩わしくて、乱雑な手つきで髪を結んだ。
ソラが記憶喪失だと知っていれば、忘れてる、なんて無神経なことは言わなかった。
そうしたら、こんな気分で夜道を一人で帰ることも無かったのに。
ソラには酷いことを言った。それを素直に謝れなかったのは、私も腹が立っていたから。
ソラが私のことを大切にしたいと考えて、安定をとってもいいと言ってくれたのは分かっている。
だけど私もソラを大切にしたい。私のせいで、彼が『衝動』を諦めた後悔を抱え続けるのは嫌だった。それが彼の過去だというのなら、なおさらだ。
そこに、愛した人に愛した時のままでいて欲しい、ただの《傭兵》じゃなくて特別な何かになって欲しいという女の理由が無いとは言わない。だけど、それだけじゃない。
「………色々間違えたなぁ」
初めに安定した生活はどうかと聞かれた時、お姉さんぶって上から目線で答えなければよかったとか、ソラが怒ったとき変なプライドを出さずに謝ればよかったとかいろんな後悔が浮かんでくる。
だけど今更どうしようもない。後悔は取り返すことが出来ないから痛いんだ。
私は一人静かに、家へと向かった。
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