エピローグ

湿った空気が流れる。荒い息を吐く呼吸音だけが聞こえる。

あれほど、騒がしい軍靴の音を発していた機械たちは、一斉に動きを止めていた。

まるで彫像のように立ち尽くすその姿は、エネルギーの切れた玩具のよう。


「どうしてわかったの?」

刃を突きつけられたミレナは、俺の背後にいるローズに視線を向け、問いかけた。


「アンタの機械の操り方のこと?それともシールド発生装置の場所のこと?」

そう問われ、苦々しく顔を歪めるミレナを見て、ローズはにっこりと嫌な笑顔を浮かべた。


「アンタは機械を、シールドの動きで操ってた」

ローズは答えを告げる。

ミレナは地下のシステムにハッキングし、機械を操っていたのではなく、シールド発生装置に干渉して、無理やりTM-10を操っているように見せただけだった。

まるで呪われた鎧のように、機械を覆うシールドが動き、中身が動いていたのだ。


「その証拠に、整備室の外から機械が来ることが無かった。これは、アンタが機械を操れない何よりの証拠」

シールドの範囲は室内のみ。なら、元から室内にある機械以外は、操れない。


「シールド発生装置の場所は誰でもわかるでしょ。本来はポッドを守るもの。なら、ポッドの中に仕込むでしょ」

シールドは本来はポッドを守るもの。それはミレナが俺たちの戦意を折るために伝えたことだ。


俺は関係ないと聞き逃したが、ローズはそこから、敵の心臓部とも言える最大の弱点を推察した。


「………正解よ。一から十まで全部ね。だけど、あなたたちは終わり。すでに地下へと続く道は全て、警察隊が封鎖しているわ」

時間切れ。ミレナを捕えても、俺たちが捕まれば終わりだ。


「それはアンタもでしょ。逃げ場はないのは一緒よ」

「どうかしら。私はあなたたちのように行き当たりばったりで動いていないもの」

自信ありげなその声音。夜空のような澄んだ黒眼は、全てを諦めた敗者のそれではない。


「どうやって逃げるんだ?」

「さあ?」

俺の問いに、ミレナは蕩けるような微笑みを浮かべた。

ローズが舌打ちをし、その頬に刻まれたタトゥーが苛立たし気に歪んだ。


「ソラ、刻め」

端的でめっちゃ怖い命令。思わず振り返った俺に、ローズは顎をしゃくってさっさとやれと伝える。


「別にいいわよ?私は全身義体だから痛覚ぐらい切れるもの」

彼女は微塵も怯えない。全身義体者に外傷を与えても、義体に傷がつくだけ。拷問をしたければ、電脳に特殊な信号を送る専用の機器が必要になる。


「………はあ。それで?アンタの命の対価は逃走手段ってことでいいの?」

ローズは諦め、しぶしぶ交渉のテーブルに座った。

「それと、テンの命よ」

「――生きてたのか……」


「大型義体者だから何とかね。私の仲間が回収したわ」

「その仲間が、逃げる手段ってことでいいの?」

「ええ。貴方も知ってるでしょう?のことを」

そう言って、ミレナが案内した先は水路だった。そしてそこに浮かぶ、見覚えのある潜水艦と小さな少年。


「お前ら、グルだったのかよ」

「うむ。そういうことだ」

『不動産屋』の右腕であるビードは悪びれることも無くそう言った。


「だが気にするな。今回限りの利益抜きの協力だ。次からは正しく金におもねり、安全な隠れ家を提供すると約束しよう。ぜひ、今後とも『不動産屋』を御贔屓に」

利益抜きの協力、というのが気になったが、それは今は関係ない。

俺はいけしゃあしゃあとそんなことをのたまうビードを睨みつけるが、奴はどこ吹く風で潜水艦の入り口を指し示した。


これも悲しい「資本主義」というやつだ。力あるやつには逆らえない。

きっとこれからも『不動産屋』には振り回され続けるのだろうと悲しい予感を覚える。それほど、彼はこの都市の犯罪者にとっては欠かせない存在だ。


俺は文句を言うのを諦めて相変わらず狭い潜水艦に乗り込む。前回は俺とミレナの二人だけだったが、今は四人だ。一人は子供並みに小さいとはいえ、身動きできない程度には狭い。


…………気まづいなぁ。


ビードが操縦席に行った結果、潜水艦後部の室内にいるのは俺とローズとミレナの三人になったが、空気は先ほどよりも重くなった。


まあ、そうだろう。さっきまで敵対していたもの同士だ。しかも裏切り者。

陽気な会話なんて望むべくもない。

美女二人に挟まれて、こんなに逃げ出したくなるとは思わなかった。


だが気まずいのは俺だけなのだろうか。ローズは我関せずと長い脚を折って鋼鉄の甲板にもたれかかっている。こう見ると、本当にモデルみたいだ。

あの苛烈すぎる性格と鋭すぎる眼差しが無ければそっちの道でも大成できただろう。

まあ、あり得ない仮定だが。


そしてもう一方の美女、ミレナは片手をポケットに入れて姿勢よく立ち、くるくると髪を弄って暇そうにしている。

目の前で狂犬『赤薔薇』がいて、よくこんなに落ち着いていられるもんだ。俺なんて、味方だけどそんなことできない。


ふと、緋色の瞳と目が合った。大きなアーモンド形の釣り目は、彼女の意志の強さを表すように輝いている。

なに?と視線だけで問い返すと、彼女は不機嫌そうに瞳を細めた。


本当に何だよ。ローズの機嫌はジェットコースターよりも乱高下が激しい。

きっと何かが気に障ったのだろう。

理由は分からないが目を付けられたくはないので、ローズから目を逸らし、ミレナの方へと視線を向けた。


怖い怖い。ローズはテンがいないとどこまでも暴れ狂うからな。


その点、ミレナは素晴らしい女性だ。理不尽に暴力は振るわないし、理性的だし、視線で威嚇もしない。

おまけに美人でハッカーとしても凄腕だ。

この辺りが、裏切られてもいまいち嫌いになれない理由だろう。


にしても、すごいスタイルだなー。ローズのようなモデル体型というか、出るところは出てるというか。彼女も彼女で《傭兵ウルフ》らしくない。


「ソラ」

ミレナのことを考えながら横目で見ていると、そんな底冷えするような声が浴びせられた。気づけばローズは腕を組み、、俺の顔を睨みつけていた。

「………なに?」

艦内の空気がひりつき、俺は返事を返すのにしばしの時間がかかった。

……まずい。怒ってるよ、これ。

「後で話あるんだけど」

「はい」

碌な話じゃないだろうなぁ。まだ着かねえのか、この船。早くこいつと離れたい。とりあえず、ぶん殴られない距離に行きたい。


◇◇◇


気まずい以上に最悪な空気になった艦内で、俺は辿り着くまでの数十分耐え続けた。

早く止まって欲しい。俺の心はその一色だけだった。

「到着だ」

ビードの低い声が聞こえ、僅かな衝撃音の後、潜水艦は浮上した。


「この上に行けば、闇医者のアジトがある。そこに君たちの仲間はいる」

ハッチが開き、そこから天井が覗く。変わらない地下の景色。だが、獣の匂いはせず、地上の車両の走行音も響いている。

地上付近の場所に辿り着いたみたいだ。


誰よりも外界の空気を望んでいた俺は、一番乗りでハッチから飛び出し、水路脇の通路に飛び乗った。

続いて、ローズ、ミレナ、ビードが降りてくる。


「角の先の梯子を使い、上へ向かうといい。人通りのほとんどない路地裏に出るが、目撃者がいれば、消してくれ。一応、秘密の通路だ」

可愛らしい顔をしてとても物騒なことを言う。だが、この都市では命の価値はその程度だ。俺は小さく首肯した。


そして俺は、ビードの背後にいるミレナに視線を向ける。

「………懸賞金は?」

「解いたわ。これ以上は割に合わないもの」

というか、すでに割に合ってはいないだろう。俺達も彼女も大赤字だ。それどころか、『不動産屋』もテネス・コーポレーションも。

クソみたいな依頼だった。


だがとりあえず、目的は達した。俺は通信端末を使い、都市の懸賞金リストを見て、俺たちの名前が消えたことを確認した。

ようやく、平穏が戻った。

それを実感し、大きく息を吐いた。


だが問題は山積みだ。賞金稼ぎどもを殺しまくったせいで、恨みは買いまくっただろうし、何よりも金が尽きた。そして、俺たちの飼い主でもあった『瑠璃の珊瑚』とも縁が切れた。


明日からどうするのか。《傭兵ウルフ》を続けるには、《斡旋人ブローカー》から依頼を受けなければならないが、傭兵歴の浅い俺にはそんな伝手も無い。

だがそれでも、俺とローズとテンは何とかやっていくだろう。


彼女はどうするのだろうか。《傭兵ウルフ》を続けるのか、それとも――

「なあ、ミレナ。お前これから――」

「行くわよ、色情魔の屑害獣」

横から伸びてきた白い手が、俺の耳を掴み、ねじり、引っ張った。

「いてぇ!?普通に歩くから放せ!いや、ほんと痛い!ごめんって!」

ローズは俺の懇願に耳を貸さず、すたすたと歩き、角を曲がった。


俺が最後に見たのは、困惑したようなミレナの顔と、欠片も表情を崩さないビードの平然とした表情だった。


◇◇◇


――こんなことが何度もあるんだろうな。

俺は梯子を昇りながらそう思う。

俺にとっては《傭兵ウルフ》になってから最大の仕事で激動の事件だった。

がむしゃらに戦い、切り抜けてきた疲れが今になって出たのか、身体はとても重い。


だけど、先に昇ったローズは気にした様子は無かった。いつも通りの平然としていて、どこか狂っていて、鋭い刃のように暴力的だ。


きっと傭兵をしていればこんなことぐらい何度もあるのだろう。

俺はマンホールから出て、辺りを見渡す。久しぶりの陽光。眩しさから目を細め、周囲を見渡す。幸いにも人はおらず、俺は急いで蓋を戻し、現在地を確認する。


大通りに出て、看板を見る。見覚えのある番地。そういえば、闇医者の近くに出ると言っていたなと、ビードの言葉を思い出す。

俺は見覚えのある薬剤店を見て、心の底から息を吐いた。


そして、俺のことを待ちもせず、すでに通りの向こう側に渡っていた赤髪を追って、俺は走った。


◇◇◇


「では、我々も行こうか」

2人の姿を見送ったビードはミレナに告げた。どこに行く、とは聞かない。

そんなものは分かり切っている。


この件に関しては、『不動産屋』ココロに多大な便宜と不利益を被らせてしまった。

いくら向こうから言い出してきたことだったとはいえ、挨拶はしておくべきだと、常識人のミレナはそう思う。


「ええ、行きましょう」

ミレナは潜水艦に乗り込み、ポケットに手を入れる。

用意していて、結局使わなかった切り札。


ドース・ウェイブの電脳から抜き出し、完全消去しておいた思いもよらぬ副産物だ。

硬質なその手ごたえは、データクリスタルであり、内部にあるたった一つのファイルの名は、『仮定敵性生命体忌避超能力者について』。


唯一添付されていた写真データには、透明な棺桶らしき箱の中で拘束され眠る黒髪の少年の姿があった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ここまで読んで下さり、ありがとうございます。

これで第一章終了です。

これからも続けますが、ストックが切れたので、また書き溜めてから更新したいと思います。

第二章は、フリーランスになったソラ達が、都市の内外で冒険を繰り広げる、そんな話になると思います。

遠くない内に投稿するので、それまで待って下さると幸いです。


【お知らせ】

ギフトをくださった方がいたので、サポーター限定で近況ノートに番外編を書きました。第一章が終わった後のローズのお話です。

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