大鼠
「ねえ、行くの?」
ローズの機嫌は、埃の舞うぼろい通路を見て急降下した。カビの匂いがきつく、俺も進みたくはないが……。
「この先に行けば機械どもはいねえんだろ?」
テンが問いかけてくるが、俺は頷けない。
確かに機械の音はしないが、脅威はないとは言い切れない。
このカビの匂いに混じる独特の匂いは、都市には似つかわしくないもの。
何かがいる。
「――っ!何かいるぞ」
俺は足音を捉え、一歩前へと進む。
機械に探知されないようにする以上、銃は使えない。なら俺が出るのが一番いいだろう。
通路の先の暗闇を蠢く者の姿を、義眼の暗視機能で捉えた二人の表情が生理的嫌悪で歪んだ。
そこにいたのは、人の膝丈ほどの大きさの鼠だった。瞳の数は三つ。それが不揃いに並び体は大きく膨らんでいる。
「都市外のモンスターだと!?何でいやがる!」
モンスター。前期文明の生物兵器、もしくは化学汚染に適応した異常種を指す言葉。過酷な外の環境を生き残った生物たちは非常に強力であり、現代文明における最大の脅威だ。
本来ならば、都市外に存在する『
俺は〈蒼凪〉を引き抜き、正眼に構える。それは、一気に走り出した。
ギイィィイイッ!という不快な叫び声をあげた敵は跳躍し、俺の首筋を狙った。
俺は身体を半身にし、すれ違いざまに刃を押し当てた。
肉が焼き切れ、不快な悲鳴が木霊する。
殺った。深く肉を裂いた感触でそう判断した。
「まだよっ!」
背後でローズが叫ぶ。俺はそれを聞き、反射的に身をかがめた。
何かが頭上を通り過ぎる。扇状に飛んだそれを避け、反転すると大口を開けた鼠の姿が目に映る。
鼠が体勢を立て直すよりも早く、俺は刺突を放った。
青光を纏った刃先が頭を潰し、ようやく大鼠は息絶えた。
「あぶねえ……」
背後を振り向くと、壁に付着した液体が深いな刺激臭を放ちながら岩肌を溶かしていた。
あの鼠、強酸の体液を吐き出しやがった。
おまけにあのタフネスさ。体に蓄えた分厚い脂肪のせいか、刃が深くまで届かなかった。
「気を付けなさい。モンスターはその環境に適応した最適種よ。この手の閉じた環境なら雑魚はいない」
最適種。それがあの鼠だというのだろう。
暗い地下に適応した多眼に狭い通路を制圧する溶解液。
多少の攻撃は通さない脂肪の防具。
確かにあの鼠はこの地下に適応した強敵だ。
「これがモンスターか……」
厄介この上ない。鼠と言うからには数もかなりいるはずだ。あまり深くまで潜るのは危険かもしれない。
「だが、噂は本当かもしれねえな」
「そうね。あの鼠、隠し通路から来たのかもしれない」
本来いるはずのないモンスターの存在。それは、都市外へと繋がる通路の存在を示唆していた。
「で?どうするの、進む?」
ローズが問いかける。
この地下通路、想像以上に危険な場所だ。恐らくTM-10の巡回路から外されているのも、モンスターの存在を警戒しているからだろう。
そして都市は間違いなく地下のモンスターの存在を知っているはずだ。この場所にTM-10がいないのがその証拠。破壊されないように意図的に距離を放し、それでも警戒するように数多の機械を配置している。
恐らく、モンスターが地下から地上へ登ろうとした時に備えてだろう。あの機械どもの数は、地下の清掃用にしては異様に数が多かった。
その異常な警戒網からは、都市のこの地下に対する警戒度合いが垣間見える。
そして、それを放置していることの意味も分かる。
都市がモンスターの存在を知りながら、放置しているということはこの旧通路には都市でも手が回らないほどモンスターが繁殖しているか、あるいは強力なモンスターがいるか。
進み過ぎるのは危険だろう。
「………俺の索敵範囲には他の生物はいない。もう少し進んで広い場所を探そう。隠れ家に使われていた旧通路なら広間の様な場所があるはず」
「とりあえず、機械に察知されない場所を探すってことだな?」
「ああ。そこで決める」
「…………」
ローズも何も言わない。何か懸念があるのだろうか。そう思い、表情を見ると嫌そうな顔をして眉を顰めていた。……ああ、ただ鼠の巣に行くのが嫌なだけか。
「んじゃ、行くぞ。俺が先頭。殿はローズ。テンはやばくなったら銃で援護してくれ」
「おう!」
「……ちゃんと殺しなさいよ」
ブレードを汚したくないローズは、人を睨み殺せそうなほど鋭い眼差しで俺を見ていた。
俺達は闇の奥へと足を進めた。
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