開く暗幕
「……それで、何の用ですか」
数分後、帰ってきたレインは開口一番そう言った。鉄格子越しの声は普段にもまして冷たく聞こえる。
俺達を阻む鉄格子は、近づかない、近づかせないという彼女の意思表示だ。
それにショックは受けない。俺と彼女の関係性を考えれば当然の対応だ。こうして理性的に話を聞いてくれるだけ彼女は優しいと言える。
「頼みがある。これの中身を解析してほしい」
固い声でそう言った。俺の言葉には、追い詰められたもの特有の余裕の無さが意図せず滲み出ていたはずだ。
手を伸ばしデータクリスタルを見せる。レインは僅かに顔を顰めた。聡明な彼女は、それを見ただけで中身が何を察したのだろう。
俺達の置かれた状況を鑑みれば、その中身は限られる。
彼女は険しい顔で小さな結晶を見つめる。その沈黙の意味は何だろうか。拒絶か嫌悪かあるいは憐れみか。せめて迷いであってくれと切に願う。
「………いいでしょう。夜にまた来なさい」
短い沈黙を破った言葉は、俺を安堵させた。そして確信を抱いた。あの時の言葉の意味を。それと同時に締め付けられるような後悔に襲われた。
だがそれは表情には出さない。きっとそれが一番彼女を傷つける。偽善とは分かっても、せめて彼女の心を荒立てたくはなかった。
レインは俺が差し出したチップを指先だけでつまみ、一歩下がった。彼女が俺の頼みを聞く義理は無い。メリットもない。それでも彼女が頼みを聞いてくれたのは、断じて善意などでは無かった。
「悪いな。脅す形になって」
そう口に出たのは、罪悪感を抱えきれない俺の弱さだ。
それを見透かしたようにレインは振り返らない。ただ足早に家の中へと戻っていった。
1人、雨の中に残される。雨粒がちっぽけな人を責め立てるように降り注ぐ。
思い返すは彼女との出会い。『瑠璃の珊瑚』に雇われる試験のため、共に仕事をした時の彼女の姿。
あの時から、俺と彼女の関係は最悪だった。
その時、彼女は俺への不信を口にした。俺は得体の知れないものなのだと。
だがそんなものは嘘だ。得体は知れている。高い身体能力を持ち、ハックできない生身で、男だ。
彼女が厭うものが何かは分かっていた。初めから、その瞳の奥にちらつく怯えの色が全てを物語っていた。
それを分かってて、それでも自分のために、彼女を脅したのだ。
彼女の恐怖を見透かし、頼み込んだのだ。憐れみを誘うように下手に出て、誰かのための謝罪を口にした。
せめて二度と会わないようにしようと、落ち行く日差しを眺めながら決める。
そうしなければ耐えられない。浅ましい自分に。静かに震えていた彼女の心に。
体の内が穢れた気がして酷く気分が悪かった。
◇◇◇
――データが完全ではなかったので全ては復元できませんでしたが、貴方たちの欲しがるものはあると思います。
レインはそう言った。
今、俺たちは車の中で彼女の分析したデータを見ている。ドース・ウェイブの電脳の中身。大半が、新薬の情報ではあったが中には無視できない情報もあった。
ドース・ウェイブのメール履歴。そこには驚くべき情報が眠っていた。
「………亡命とはな」
テンが驚きを露わにする。そしてそれは俺達三人の総意でもあった。
ドースは、他企業にテネス・コーポレーションの情報を売り払おうと画策していた。
相手のエージェントのメールはセキュリティが強く、コピーした段階で壊れていたので、ドースのメールしか見えなかったが、そこには亡命後の住処、安全の保障や、幾度にも渡る価格交渉の痕跡が残っていた。
「豚に掛かってた一億クレジットの賞金は、亡命に気づいたテネスのもの?」
「だろうな」
ローズの呟きにテンが賛同する。
ドースが情報を持って亡命する前に犯罪者を使い、始末する。テネスがドースを殺そうとしたという確かな証拠はないが、状況的にその可能性が高いだろう。
「だけど、ミレナには繋がらない」
「いや、そうとは限らん」
俺の言葉をテンが否定する。
「ミレナもこのメールを見て、俺たちにその事実を隠した。ということは、こいつはミレナにとって知られたくなかった事実。つまり、ミレナに繋がる手掛かりだ」
ドースの亡命をミレナが隠したがった。それはつまり、ミレナは何らかの形でドースの亡命事件に関わっていたということだ。
彼女はただ、テネス・コーポレーションの株価を操作しようとしただけではなく、別の目的があり、ドースに近づいたということ。
ドースの亡命、それに対するテネスの行動、ミレナの隠し事。つまり――
「ミレナはドース暗殺の依頼を受けていた?」
多分に疑念を孕んだ言葉が俺の口から零れ落ちた。
亡命しようとするドース暗殺のために雇われた《
今手に入った情報を整理すれば、そう言う結論が導き出される。
テンもローズも否定しない。彼らも同じ結論に行きつき、熟練の《
だがそれは、おかしい。ミレナがではなく、テネス・コーポレーションがだ。
「ミレナが主導した仕事で、テネス・コーポレーションの株価は大暴落し、今も激しく動いている。
とてもドースを殺すための費用としては割に合わない。むしろ、ドースの亡命なんかよりも大問題だろ」
そう、彼女は明らかに暗殺の過程でテネスに敵対するような行動をとっている。それをテネスが許容するとは思えない。
「簡単な話よ。ミレナはテネス・コーポレーションからドース・ウェイブ殺害依頼を受けながら、並行してテネス・コーポレーションの株価下落をしようとしたのよ」
その言葉の意味することを一瞬、分からなかった。
「アタシたちも裏切られたけど、テネスも裏切られたのよ、あの女に」
予想だけど、と前置きしローズは話を始めた。
まず、ミレナはテネス・コーポレーションからドース・ウェイブの殺害依頼を受けた。その時きっと、ミレナはもう一つの作戦を思い付いたのだろう。
すなわち、ドースを利用し、テネスの株価を下落させ、株で大儲けする作戦だ。
彼女は表向き、ドースの暗殺を進めた。俺達と言う協力者を使い、ドースを誘拐し、そしてテネスに依頼して賞金も懸け、ドースが死んでもおかしくない状況を作った。
そして彼女は裏でドースから抜いた情報と彼の権限を使い、工場を破壊、情報を流出させたのだ。
「その時点でアタシたちは用済み。始末するために雇われたのがバーン・フォーゲンたちでしょうね。あいつらはミレナ個人に雇われた傭兵のはずよ」
俺達が死んだ後、ミレナは情報操作を行い、ドースの誘拐と情報流出の犯人として俺達を仕立て上げるつもりだったのだろう。
そしてきっとテネスにはこういうはずだった。同じタイミングでドースを狙っていた者たちに先に殺された。ドースの電脳内の情報を流出させたのも、そいつらだ、と。
死人は何も語らない。《
今思えば、ミレナは仕事の中で、俺達を始末するための準備を進めていたのだろう。
運転手を狙った際に襲ってきた者たち、そして隠れ家を襲撃してきた者たちもミレナの手の者であり、俺たちの戦力、情報を集めるための捨て駒だろうとテンが補足を入れる。
「だけど誤算もあった。アタシたちがバーンに殺されなかったこと」
それだけは唯一の彼女の誤算だろう。俺たちは多くの物を失い、傷を負いながらも生き延びた。
そしてミレナにとっては不運にも、ローズは大きな傷も追わず、義体の不調だけで済んでいた。そして俺たちは三人とも離れることなくずっと一緒にいた。
そのため、ミレナも傷ついた俺達を追撃することが出来ず、時間だけが過ぎていった。いずれ、ドースの死は明らかになる。そして新薬の情報流出もだ。
そうなれば、ドースの近い位置にいたミレナは疑われる。彼女は早急に罪を着せる死体を用意する必要があった。
だから彼女は
そうすることで《賞金稼ぎ》たちが俺たちを殺すことを祈りながら。
「俺たちに懸けられた懸賞金の理由もわかった。表の懸賞金は
その結果が、今。俺たちはドース暗殺の犯人となり、テネス・コーポレーションには、薬の情報をばら撒いた怨敵として認識されているだろう。
そしてミレナは素知らぬ顔でテネスから暗殺の報酬を受け取り、株価下落で得た売却益を独り占めしている。
「確かに、それなら筋が通るな」
「ああ、こいつは朗報だぜ!」
テンがここ数日で一番うれしそうな声を上げた。
「朗報か?どの道、ミレナに繋がる道はねえぞ」
ミレナとテネス・コーポレーションの繋がりは判明したが、それだけだ。別に報酬を手渡しで貰いに行くわけでもあるまいし、彼女は居場所は依然、行方不明だ。
「いや、繋がったさ。だってミレナは俺達を殺さないといけないんだからよ」
「……ん?ああ、口封じか」
「ああ。それと俺とローズの電脳の回収だな」
テンとローズの電脳内には、ミレナがテネスに牙を剝いた証拠が残っている。
もしもそれが回収され、バラされれば、今度はミレナがテネス・コーポレーションに狙われることになる。
俺たちがミレナを追う側だと思っていたが、逆だ。ミレナが俺たちを追って口封じをしなければならないのだ。そして、電脳を回収する必要があるのならば、俺たちの近くにいるはずだ。少なくとも、彼女の手のものが。
「なら、待ってればいいのか?」
「そうでもねえよ」
「相手に時間をかければ、今度はこっちが不利になる。クソ女もアタシたちを殺す準備は進めてるでしょうし、なるべく早く食いつかせないと」
すでに《賞金稼ぎ》を使った俺たちの暗殺は失敗に終わった。表の警察は職務怠慢で使えない以上、彼女自らが俺達を殺すしかない。
だが、わざわざミレナが直々に俺達と戦いに来るとは思えない。
彼女は《ハッカー》。前に出る役割ではない。俺たちの近くに来るのはリスクしかない。
「多分、《
遠い。それではミレナまでたどり着けない。
そう分かっているローズの言葉は重く、空虚に響く。
情報が揃い、事件の全貌が見えてきた。それでもまだ、選択権は向こうにある。
だが、だとしても、俺は何かが引っかかっている。ずっと最初から。この一連の仕事の中で、まだ腑に落ちないことが一つだけある。
喉元まで出かかっているのに、上手く形にならず、額の奥へと消えていく。そんなもどかしさが付いて回っている。
そんな時、通信音が鳴った。音の出所は、俺が使っていた通信端末。アクセサリー型に変えたが、それでも愛着があり、捨てるに捨てきれなかったもの。
画面を見るとそこには、「カーラ」の文字が。
――ねぇ、ソラ。知ってる?□□□□のこと
そう言ったのは確か彼女だ。そういう者が最近現れたと――
「――ッ!分かったぞ!」
「な、なんだよっ!」
興奮した俺の大声に驚いたテンが声を上ずらせ、ローズはぴくりと白磁の様な肩を震わせた。そして、目を細め、げしげしと肩パンをし始めた。
「ご、ごめんって……」
それよりも、もしも彼女がそうなら、話が変わって来る。彼女は傭兵を雇うよりも直接的に、そしてより近くにやって来るはずだ。確実に俺達を殺すために。
そしてそれはチャンスだ。唯一、ミレナに近づく最後の機会になる。だがそのためには、環境を整える必要がある。
「なあ、この都市で電波が届かない場所ってあるか?テネスのビルみたいなさ」
俺の言葉に、2人はきょとんとした表情を見せた。
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