テン
「あーあ、無理だったな」
フィリップは浮かべていた予備のナイフを懐に戻しぼやいた。
「おいおいおい、まじかよ!せっかくの三億が逃げちまったじゃねえかよぉ!」
フィリップの仲間である《
周りを見れば、フィリップたちと同じようにソラ達を狙っていた者たちが、同様に苦渋の表情を隠しもしない。
だがその顔に諦めの色は無く、爛爛とした欲望が渦巻いている。
(こいつら、まだやる気かよ……)
フィリップは信じられないと心の内で吐き捨てる。フィリップは、あの三人が『フィーネホテル』に逃げ込んだ時点でこれ以上追うつもりは無かった。
いずれ出てくるだろうが、それでもホテルに害が及べば、全てが終わる。
そんなリスクを背負うなら、三億の首も色あせて見えるというものだ。だが、そう考える賢明なものは少数派だ。そして、フィリップの相方でもあった男は、多数派であった。
「おう、なるほどな、俺達も嚙ませてくれ。今行くからよっ!」
男は上機嫌に誰かと電脳通信をしている。それを見て、フィリップは嫌な予感がした。
「おい、フィリップ!向こうの連中と一時的に手を組むことにしたからよ、お前も来いよ。儲からせてやるぜ!」
「…………あー、俺はいいや。別の仕事も入ったんでな」
「はあ!?ちッ、知らねえぞ」
あからさまなフィリップのウソに、男は不機嫌になり、どこかへ去っていった。フィリップはそれを無視し、ホテルに背を向ける。これ以上、愚かな男に関わる気は無かったし、きっと二度と会うことも無いと割り切ったためだ。
それに、仕事が入ったというのもまるっきりの噓ではない。正確には、数時間前から依頼されていた仕事を受ける気になった、と言うのが正解だ。
フィリップは電脳通信を繋ぐ。相手はすぐに応答した。
「アンタの仕事、受けるぜ、ミレナ」
◇◇◇
ゆらりゆるりと揺蕩う。水面へと振るえるたびに意識に差し込む光を厭うて沈んでいく。
静かな安寧の中は穏やかで心地よい。だがそんな
「…………いてえ」
意識が覚醒する。視界に映ったのはシーリングファンがくるくる回っている白い天井だった。
静かな風切り音を立てながら回るファンを見ながらぼんやりと頭を働かせる。最後に覚えていることは、ホテルに派手に突っ込んで、ぎりぎりで逃げ切ったところまでだ。
その記憶が夢ではないことは、包帯がまかれた右腕が証明している。
「起きたか」
ベッドで体を起こした俺にコップを差し出しのは、筋骨隆々の体をTシャツで包んだ巨漢だ。俺は色々聞きたいことを飲み込み、コップの水を一息で飲み干した。
「……ふう。お互い、生きてたな」
「一番死にかけてたのはお前だけどな。ちなみにローズは《
そうか、と返しながら身体の調子を確かめる。まだ『
「ここにはいつまでいられるんだ?」
「理論的には金が続く限り、だ」
その意味ありげな言葉に訝しむ視線を向ける。
「このホテルは独自のシステムを取っててな。部屋が満室の時はオークション形式で部屋を落としていくんだ」
「ん?」
「つまり、俺たちがここにいることを知った《賞金稼ぎ》どもが部屋を埋めれば、金を持ってる奴から順に部屋が割り振られて負けた奴は追い出されるんだ。持って数日だろうな」
「数日か……。ローズの義体の調整は間に合うだろうが、俺の傷は癒えないだろうな」
あまりに短い期間に嘆息する。
「あ、そういえば……」
「あん?どうした」
テンが俺を訝しむ。
「ありがとう。お前のお陰で生きてる」
「お、おお……、ありがとよ」
初めにテンがホテルまで突っ切ると言い始めた時は、いかれたかと思ってたが、テンはそれを実行した。
あの場でただ一人で俺たちの命を預かると言った彼への重圧はどれほどのものだったのか。俺たちは間違いなく、テンの技術と精神力に助けられた。
「照れんなよ、きもいな」
だがそれはそれとして、大男が照れる姿はきつい。
「うっせえ!ったく、クソガキめ……」
「……なあ、あんな腕、どこで身に付けたんだ?」
俺は迷いながら言葉を発した。《
「あー、俺は昔、《
「そんな都市があんのか」
「まあ、小さい田舎だ。俺は、口うるさい『管理AI』が嫌で都市を出たんだ。大変だったぜ、馬鹿でかい変異種から逃げ回ったり、《
なるほど。中々波乱万丈な旅を乗り越え、この都市に行きついたみたいだ。
「何でここに住み着いたんだ?」
テンほどの腕があれば、こんな物騒な都市で《傭兵》なんてやらなくても、食っていけるだろう。俺にはテンが暴力が好きな人間には見えなかったし、スリルを楽しむタイプでもないことは、短い付き合いでも知っていた。
「……んーー。まあ、お前ならいいか」
テンは重苦しく悩んだ後、口を開いた。
「これがいるんだ」
そう言って、テンは小指を立てた。古臭い映画みたいなジェスチャーだが、言いたいことは分かった。
「まじで!?彼女いたのかよ!」
「おう。広まったら、俺の弱みになるし、巻き込みたく無かったからな」
《傭兵》の仕事は人に恨まれる。時には大企業やギャングたちからも。だからこそ、テンは恋人の存在を誰にも伝えずにいたのだろう。
「《傭兵》をやってんのは一番金を稼げるからだ。彼女の身体が、な」
「……聞いといてなんだが、よかったのか?」
今聞いた話は、間違いなくテンの弱みになる話だ。
「お前が漏らさないって信頼ぐらいはしてるし、何よりお前は生身だからな。ハッカーに抜かれることもねえだろ?」
そう言って、テンはにかりと笑った。
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