『赤薔薇』と『鋼腕』
時を遡ること数分、ローズとバーンの仲間の一人であるベルフェイの戦いは初手から激しい銃撃戦となっていた。
ローズの持つショットガン〈バグフィー〉から甲高い射撃音が連続し、ベルフェイの身を隠す廃材を瞬く間にハチの巣にした。
だがローズの射線を呼んでいたベルフェイはあえて障害物の少ない方へと転がり出ながら、銃撃する。
虚を突かれ、僅か一瞬遅れた回避行動。
だが、ローズは並外れた機動力で、鋼の弾丸を躱す。
顔の横、豊かな緋色の髪を焦がしながら飛んでいった銃弾は、廃工場の基幹となる太い鉄骨に巨大な穴を空けた。
(大型義体者用の強撃銃。単発式ならいけるか……)
敵の銃器を盗み見、その性質を看破したローズは障害物から足を踏み出した。
射線と引き金を引くタイミングさえ分かれば当たらない、と言わんばかりにローズは果敢に前進していく。
廃材の陰から突き出たベルフェイの銃だけを見て、ゆるりゆるりと弾を躱す。
傍目から見れば偶然弾が外れているようにしか見えない動きだが、武芸者が見れば驚嘆の念を禁じ得ないほどの、確かな技だった。
だがベルフェイもまた、一流の傭兵だ。ローズの『動き』も考慮に入れ、放たれる銃撃は段々と彼女の姿を捉えつつあった。
彼我の距離が僅か5mに詰まったとき、それは起こった。ついにベルフェイの『読み』がローズの『動き』を捕捉し、その身体の中心に弾が放たれた。
だがそれすらも読んでいたローズは《バグフィー》を犠牲にすることでその強力な一撃を防いだ。銃身が半ばからへし折れ、ドラムマガジンから銃弾が零れ落ちる。
ローズは次弾が放たれる前に一気に踏み込む。左手のブレードが幾つもの関節を伸ばしながら展開される。ローズはそれを斜めに切り払った。
廃材が切り裂かれ、いくつもの破片が舞う。だがその中に、ベルフェイの血肉は無い。
(どこに――)
一瞬。廃材の欠片が影となり、ベルフェイの姿を見失う。
無防備なローズを狙い、ブレードを振り抜いたローズの元へ、銀の塊が振り下ろされる。その鈍重な鋼の塊の正体は、ベルフェイの右腕だった。
ローズは体勢を崩しながらも何とかそれを回避した。
地面に当たった一撃は、コンクリートの地面を砕き、その拳の内に内包した衝撃波を解き放った。
ローズは後退する。義体の力を使った跳躍力で確実に拳の間合いから離れた、が、そこにもまた、拳が振り下ろされる。
普通なら物理的に届かない距離。だがそれを届かせるのがベルフェイだとローズは知っていた。
「ふッ!」
腕の側面にブレードを叩きつけ、足の力を抜くことで、ローズは相手の一撃すら利用し、背後に吹き飛んだ。
ベルフェイはさらに追撃することなく、腕を戻し、その場に留まった。
互いに無手。ローズのショットガンは砕け、ベルフェイのライフルは両断されている。だがそれは、戦力の低下を意味しない。
彼ら二人にとって、
「やるねぇ、『赤薔薇』。我流でその動き。殺すのが惜しくなるよ」
ゆるりとこぶしを握り、ベルフェイがそう言った。喋りながらもその視線はローズの四肢を捉え、彼女の隙を探っている。
この会話も、ただの意識逸らし以外の意味はない。
だからローズはこう返した。「死ね」と。
(『鋼腕』ベルフェイ。水仙流体術の達人で、アタシと同じ、全身義体者)
特徴的な見た目から『鋼腕』と呼ばれているが、その本質は義体の操作技術と鍛え上げた武術にあることをローズは知っている。
(こいつがいるってことは、もう一方のデカブツがバーン・フォーゲンね。なら、さっさと片付けないと)
バーン・フォーゲン率いる一団は、都市でも有数の傭兵チームだ。ローズの眼から見てもまだ甘いソラでは勝ち目はない。そう考えたローズは即殺を決意した。
(『赤薔薇』。いかれたサイコ女って話だが、意外と上手く戦うねぇ)
ベルフェイもまた、ローズのことを知っていた。雇い主にすら咬みつく狂犬だが腕は確か。
特徴的な赤い髪と敵対した相手の噴き出す血流が赤い死花に見えることから、『
武術の有無はあれど、彼らは『全身義体者』。
バーンやソラの様な生まれながらの『特異』を持つ者ではない。骨格を鋼に変え、強力な人工筋肉を組み込むことで常人を超える力を手に入れた殺人者たちだ。
向き合う二人の耐格差は一目瞭然。ローズは180cmほどの長身を誇るが、ベルフェイの義体は2mを優に超えている。加えて、身体の厚さは比べるまでも無い。
肉体のサイズが違うということは組み込めるインプラントと人工筋肉の量が違うということ。義体者同士であっても耐格差は無視できない要素だ。
だがローズは自身が不利だとは思っていない。彼女の武器は、それではない。
始めの一撃はベルフェイだった。身体がスライドするような自然な動きで距離を詰め、拳を振りかぶる。
一歩、遠い間合い。ローズのブレードも届かず、当然拳も届かない距離だ。だがローズは迷わず身体を沈め、四肢に力を込める。
頭上から振り下ろされた鋼の腕がぐねりと歪み、伸びる。鞭のようにしなる腕が瞬く間に間合いを潰す。
それを躱したローズは迷わずベルフェイの間合いに踏み込み、ブレードを突き出すが、それは伸ばさずにおいていた片腕で弾かれた。
蛇腹の両腕は人体の仕組みを超えた間合いと稼働を可能とする。
身体の倍ほどに伸びるその腕を使った白兵戦こそ、ベルフェイの本領。だが白兵戦を得意とするのはローズも同じだ。
囲い込むように伸びた鋼の腕に退路を断たれたローズだが、振り下ろされた銀閃を容易く避けた。
「……!」
赤い残像だけを残し、彼女はベルフェイの背後へと回り込む。ベルフェイの意識を置き去りにした超加速。
振られたブレードがベルフェイの脇腹を切り裂く。最初の一撃はローズの物となった。
振り向きざまに振られた蛇腕が空間を裂くが、ローズはその時には間合いの外へと逃げていた。
ベルフェイは脇腹に手を当て、傷の深さを確かめる。出血はあるが、内臓までは達していない。
「その足、前期文明の『遺物』かい?」
ベルフェイは半ば確信を持って問う。神経系も眼球も強化義体に換装しているベルフェイでも捉えられない速度をあの細脚が出せるとは思えない。
そんな義足があるとすれば、『遺物』だけ。
そしてそれは正解だ。ローズの両足の人工皮膚の下には黒い二足の義足がある。
その正式名称を《Step of Hermes》という。前期文明の競技用の義足であり、瞬間的な加速能力に長けるブランド品だ。
ローズはそれに返さない。ただ赤薔薇を求め、獲物の首を狙うのみ。
ローズはブレードを構え、待ち構えるベルフェイへと突き進む。爆発的な加速により、足元のコンクリートが砕け、その身を一筋の赤閃と変える。
その動きは、ソラの突撃と似ていた。迎え撃つ者が『水仙流』の使い手だということも。
ならば、結末も同じだ。『水仙流』は後の先に長けた武術。力と速さを技で受け流し、己が一撃を叩き込むことこそが極意。
ベルフェイはローズの急加速に狼狽えることも無く、冷徹に拳を打ち返す。腕は伸ばさない。その必要も無い。
たかが一人の一刀から逃れるほど、彼の『武術』への誇りは低くない。
ベルフェイの拳域にローズが踏み込み、拳が振るわれた瞬間、再びローズの姿が掻き消えた。
「……!」
完全に拳が伸びきった無防備な姿。それを側面から冷然としたルビーの瞳が見詰めていた。
(あり得ねえッ……!)
――最高速度のまま直角に曲がり、空ぶらされた。
驚愕に埋め尽くされた脳裏とは裏腹に、武術家としての冷静な思考は、眼前で起こった『異常』の正体を弾き出していた。
だがそれは物理的にあり得ない動きだ。たとえどれだけの力があっても、『慣性』は殺せない。
ローズは困惑したベルフェイに構わず、ブレードを突き出す。その切っ先は真っ直ぐに首筋へと向かっている。
頸を断ち、脳の入った頭蓋を義体から切り離すつもりだ。それは恐ろしいほど、正解だった。
義体者の絶対に消せない急所は『脳』だ。
そこだけは生身のため、絶対に守らなければならない。
だが頭蓋は頑丈な装甲で守られている場合が多いため、全身義体者を相手にするときは、頸を断つのが正解だと言われている。
普通ならそれで終わり。人間では不可能な動きにより、虚を突いたローズの勝利で終わったはずだ。だが、人理を超えた力を付け足しているのはベルフェイも同じだ。
突き出された鋼の腕が、肘辺りから曲がり、帰って来る。『鋼腕』の人工筋肉を利用した強引な動きであり、威力はほとんどない。
だがそれでいい。これは敵を打ち倒す『拳』ではなく、刃を防ぐ『盾』だ。
ローズの渾身の刺突はベルフェイの肉体を抉ることなく義手に当たった。殺り損なったローズが無意識に舌を弾く。だが、ベルフェイの誤算も一つ。
ローズの一撃は偶然にも蛇腹に伸びた義手の関節部分に当たっていた。激しい激突音が鳴り響き、火花が涙のように零れ落ちる。
神経系まで絶たれたのか、義手の手が不規則な開閉を繰り返し、捻じれ動く。
「――ッ!」
ベルフェイは迷いなく制御下から外れた義手を引きちぎり、地に放り去った。
再び、二人は距離を取る。だがその理由は二人で違う。
ベルフェイは隻腕になったことにより、ローズの速度に至近距離で対応することが出来なくなったため。
そしてローズは、脚を冷却するためだ。
(チッ。今ので仕留められなかったのは痛いわね……)
ローズは視界の端に表示された義足のインターフェイスを見る。そこには双脚の図形がオレンジに表示されていた。
ベルフェイは片腕を失った混乱で気付いていないが、ローズもまた、ここでベルフェイに仕掛けられない。
ローズの義足、《Step of Hermes》はどこからでも最高速度を出せる。だが、機械の当然の原理として無理な動きをすれば義足内部の機構に大きな負担がかかる。
最高速度から更に最高速度での方向転換など、義足への負担はかなり大きい。
互いに距離を詰める理由を失くした二人の戦いは、硬直へと変じていた。
片腕を失ったベルフェイと義足の限界が近いローズ。状況は五分。だがローズは、あえて笑みを浮かべた。獲物を前にした猟犬のように、あるいは毒の棘で溺れる哀れな虫を見たかのように。
ベルフェイは、その闘気とも狂気とも取れる異様な笑みを見て、身構えた。動きは変わらずとも、武術家としての精神が確かに『受け』の姿勢へと変じた。
その刹那、ローズは反転した。
背を向け、身をかがめる。それは疾走の姿勢だ。ブラフでも何でもない。次の瞬間には走り出している。そんな姿勢だ。
それはベルフェイの遠距離武器を潰したからこそできる無防備であった。
(どこに……バーンさんかッ!)
彼女の向かおうとする先にあるモノ。それはバーンとソラが戦う戦場であった。
それを察した時、ベルフェイはローズの狙いを知る。
(先にバーンさんを狙う気か!)
彼女にしてみれば、ベルフェイにこだわる必要はない。先にバーンを仲間と協力して倒し、その後、隻腕となったベルフェイや仲間たちを殺せばいい。
例え、目の前で走り去られても、飛び道具を失ったベルフェイでは背を撃てず、彼女の足ならば、ベルフェイが追い付くまでの僅か数秒、バーンと2対1の戦況を作り出せる。
――少年にローズが加わっただけでバーンさんを殺せるのか。しかも僅か数秒で……!
答えは、分からない。だが、可能性がある、というだけでベルフェイがローズを逃がすことは出来なかった。
「うおおおぉぉぉおおっ!」
男は、大地を踏みしめる。それは二の次を考えない愚直な一手だった。だからこそ、隻腕とは思えない力の篭った一歩だった。
地面が陥没する。硬質な大地が返してくる力までもを拳に込め、延ばす。
ローズの背へと伸びた鋼拳は、あまりにも素直で愚直で読みやすい。
その一撃は当然のようにローズの影だけを捉え、次の瞬間、ベルフェイは上下に両断された。
「ガァッ――ツ」
断面から人工血液やオイルをまき散らしながら、ベルフェイは地に伏す。遅れながら、下半身がバランスを崩し、倒れ込んだ。
「クソがッ……。すいません、バーンさん……俺のせいでっ」
全身義体者であるベルフェイは下半身が無くても即死することは無い。ただ、このまま人工血液が流出し続ければ、脳の生命維持機構が作動し、意識を失う。
それは戦場ではイコールで死だ。
ローズは重くなった義足を動かしながら、ベルフェイへと近づく。
「アンタ、馬鹿ね」
それは愚者を嘲笑う言葉ではなく、どこか賞賛を含んだ呆れの言葉だった。
「うるせぇよ……」
ローズは思い悩む。彼を殺すべきかどうかを。だがそれが実行に移されることは無かった。
「止まれ、レッド・ローズ」
重厚な声が響き渡った。決して大声では無いというのに、その声は空間を支配した。
巨大な男がそこにはいた。二メートルを超える巨体。体格だけならばベルフェイと同じだが、そこに内包する密度が違う。
ベルフェイが鋼ならば、男は岩山だとローズは場違いにも感じた。
「……バーン・フォーゲン。アンタ、ソラを殺ったの」
バーン・フォーゲンと戦っていたソラが来ず、バーンが来た。ならば、そういうことだ。
緋色の髪が、ヴェールのように俯く顔を覆い隠す。
問うその言葉は氷河のように冷め、その真意を感じさせない。だが、静かに構えた刃に内包する熱が、その心に宿す怒りを現わしていた。
「殺していない。見逃した。代わりに貴様も見逃せ」
「…………分かった。アタシもアンタと殺る気は無いから」
バーンの言葉を聞き、刺すような殺気が霧散する。そしてそのままローズは、その場から走り去っていった。
『すまねぇ!ドース・ウェイブを殺されたっ』
『狙撃手がいるわ!気を付けて!』
ソラの元へと向かうローズの耳にテンとミレナの言葉が響く。だがそんな言葉すらも、今のローズの耳には届かなかった。
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