出社

『言っておくが情報が漏れたのはこちらからではないぞ』

車に備え付けられたスピーカーから幼い、されど年季を感じさせる重厚な声が聞こえる。


「じゃあ、偶然あの家の場所がバレたと?」

それに対し、ミレナは苛立たし気に返した。

『それかお前たちが付けられたかだ。……あの家の修繕費は依頼料に付けておこう』


「ふざけないで!」

ミレナはハンドルに付いたボタンを押し、通話を切った。


結局、『不動産屋』が俺たちを売ったのかどうかは分からずじまいだ。

「まあ、まあ、落ち着けよ。今は情報が漏れた経路より敵の正体だろうよ」


「……分かってるわ」

テンに宥められたミレナは大きく息を吐き、そう返した。


「それについては分かってる、というか隠されてもねぇ」

俺は運転席側に通信端末を差し出し、その画面を見せる。


「こいつは……懸賞金バウンティリスト?」

これはギャングや麻薬カルテルが連名で運営している『レッドサイト』だ。

そこにはドース・ウェイブの顔写真と共に一億と言う額が記載されていた。


「このサイト以外にも有名どころには全部貼られてる」

「てことは、あいつらは賞金稼ぎかよ……。誰が掛けてんだ」


「さあな。でも賞金が掛けられたのは二日前だ」

つまり、俺たちがドースを誘拐した当日の金曜日だ。


「……きなくせえな。こいつ、恨まれてんのか?」

「そいつに聞けよ」


ドース・ウェイブは意識を失ったまま荷台に積まれている。電脳に侵入しやすいように強力な麻酔薬で意識を失わせているこいつはしばらく起きないだろうけど。


「何でもいいでしょ。工場を潰したらそいつがどうなろうと関係ない」

一人、静かに座っていたローズがそう言った。確かにその通りだ。


工場を潰したらミレナが電脳に仕込んだマルウェアを作動させ、記憶を封印してさようならだ。その後こいつが死のうが生きようが俺達には関係ない話だ。


「まあ、な。ところで新薬の情報は抜けたのか?」

「まだよ。途中で邪魔されたせいで7割しか終わってないわ。残りは工場から直接抜かないといけない」


「どのみち侵入は必要か」


ミレナはアクセルを踏み、高架道路を進んだ。聞こえるのは冷えた夜風が車体で切れる鋭い音と揺れるタイヤとエンジン音だけだった。


今の時間は日付が変わってすぐの深夜1時ごろ。


俺たちは日曜の午前中に何食わぬ顔でテネス・コーポレーションのオフィスに侵入してシステムに干渉する手筈だったが、ドース・ウェイブが何者かに狙われていると分かった以上、面倒ごとを抱え込むのは御免だったので、今から潜入することになった。


多少目立つだろうが、それは仕方がない。


俺は急いで車内に残しておいたウィッグやカラーコンタクトを付けて変装をする。

今回の侵入には俺、テンが護衛役として、ミレナ、ドース・ウェイブを連れて行くことになる。


ミレナがついて行くのはドース・ウェイブを操作する必要があるからだ。


テネス・コーポレーションの内部は独自回線スタンドアローンで機能しているため、外部のインターネット回線を経由してドースの義体を操ることが出来ない。

そのため、ミレナは近くでドースをマニュアル操作するしかないのだ。


俺達の乗る赤い車がテネス・コーポレーションのプラジマス都市支店ビルの前の通りで止まった。


大きな社員ビルの真横に隣接するように巨大な工場が建てられている。

入り口には警備の人間が立っているが、見たところ通る社員に対しては電子IDの確認だけで厳重な警備を敷いているようには見えない。


「これなら行けるな」

「ええ。ローズはここで待機して異変があれば教えて」

「分かってる」


俺とテンは適当な服屋で買ったスーツに身を包み、変装を施している。ぱっと見、ドースの連れていたガラの悪い護衛に見えるだろう。


ミレナはそのままだが、漂う上品さから《傭兵ウルフ》の類には見えないから大丈夫だ。


俺達はミレナに操られているドースに付き従うようにその背後を歩む。

ビルへの入り口に差し掛かると、門の上に取り付けられた読込装置スキャナーが作動し、ドースのIDを確認し、そして俺たちのIDも確認し、オールグリーンを示した。


俺達は警備員に怪しまれることも無く、システムに異常を検知されることも無く、テネス・コーポレーションの敷地に侵入で来た。


「楽勝だな」

「ええ。ここのシステム、色々雑だもの」


ミレナの言う通り、ここに入るにはドース・ウェイブの権限で仮IDを発行するだけでよかった。

この企業がざるなのか、それともこいつが大きな権限を握っているのか……。どちらにせよ、この馬鹿に権限を持たしている時点で間抜けだろう。


施設内は壁に囲まれているが、閉塞感を感じないように地面には芝が敷かれ、大きな緑葉植物がぽつぽつと壁沿いに生えている。


俺たちは地面に敷かれた石畳の上を歩きながら、ビルへと向かっていった。重要な情報はビルの上階にあるドース・ウェイブのオフィスにある。


時たま、社員らしき人間にすれ違うが、その数は少ない。今日が休日だからだろう。

ビルに入り、エスカレーターに乗る。


「何階だ?」

「58よ」


テンの問いかけにミレナが答える。テンが58の数字を押すと、鉄の箱は静かに上昇を始めた。


ドース・ウェイブは不機嫌そうな表情を張り付けたまま、黙って立っている。というか、こいつは今も催眠薬の影響で意識が無いため、ミレナが人工筋肉を操り、動かしているのだ。


ここまで自然に人の表情を操る《ハッカー》は見たことが無かったので、かなり驚いた。経験の浅い俺が知らないだけかと思っていたが、テンも驚いていたし、かなり珍しい技術なのだろう。


静かな稼働音を立てながら動いていたエスカレーターが止まり、チン、と軽い音を立て扉が開いた。


フロアには幾つかの机が並べられており、その奥のガラス張りの一室がドース・ウェイブの執務室である。俺たちは無人のフロアを進み、ドースの執務室へと入った。


ミレナはドースを操り、その電脳と工場のシステムを繋げた。

そしてドースの首元の挿入口に小さなチップを埋める。ディスプレイが目まぐるしく動き、様々なタブを広げながら情報を開示し続ける。


そのまま待つこと数分、ミレナはドースの首元からチップを抜き取り、「終わったわ」と言った。

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