地底の鼠

俺は早足で車に乗り込み、通信端末を開く。メールを開き、送信されてきた位置情報を表示させ、車のエンジンをかけた。


時雨がボンネットに撥ねる音に交じり、電気自動車の静かなエンジン音が響く。

俺は車を発進させ、集合地点に向かった。


時雨はいつしか豪雨へと変わり、ワイパーが忙しなく往復を続けている。

俺は路肩に止めた車の中で待ち人からの連絡を待っていた。


「まだかよ……」

既に約束の時間を三十分は過ぎている。


俺が待ちくたびれたタイミングを図ったように、通信端末が震え始めた。


「ようやくか」

通話ボタンを押し、応答する。


「遅かったな」

『ごめんなさい。相手のセキュリティとの間に連絡の齟齬があったの。あの男……』


冷静な彼女の言葉の最後には、僅かな苛立ちが宿っていた。どうやら彼女も中々苦労していたようだ。


「それで、どこに行けばいいんだ?」


その言葉に返答は無く、助手席のガラスがこんこん、と叩かれた。


そちらを見ると、ミレナが車内をいたずら気な微笑みを浮かべながら覗いていた。

ぽた、ぽたとウルフカットの黒髪の先から、雨粒が滴っている。


窓を開くと、彼女は短く「出て」と言った。


俺は武器を装備し、車外に出た。


「お待たせ。行きましょうか」

「あいよ」


俺はミレナの後をついていく。俺が雨の日にミレナと待ち合わせをしていたのは逢引きと言うわけではない。


そんな言い訳を、頭の片隅から顔を覗かせるカーラにしながら、昨夜のメールを思い出す。


何でも、テネス・コーポレーション株価操作作戦の肝となる『隠れ家』の提供者が俺と会いたいと言い出したそうだ。


ミレナは迷う様子も無く、住宅の合間を縫いながらどんどんと路地裏へと進んでいく。


「この辺なのか?『不動産屋』の住処は」

「そうよ。ここ」


彼女がそう言って指さしたのは、雨に打たれる丸いマンホールだった。


「……そいつネズミか何か?」

「ふふっ。降りるわよ」


ミレナは住宅の軒下に置かれた箱の下から、バールのような器具を取り出し、マンホールの蓋を開けた。そしてそれを元の場所に戻し、地下への梯子に手をかけた。


「蓋は閉めてね」

「お、おう」


するすると降りていくミレナに取り残されないように、俺も慌てて後を追う。

数メートル降りると、俺たちは水路に辿り着いた。真ん中を水がゆっくりと流れている。


だがおかしなものが一つ。


「潜水艦?」

小さなポットのような潜水艦が水路に浮かんでいた。


「そう。これに乗るの」


ミレナと共に潜水艦に乗る。

2,3人しか乗れないほどの狭い艦内は、何と言うか気まずい。


頭半分ほど小さいミレナが身じろぎするたびに、彼女から香水のような柔らかな香りが漂う。


だが気にしてるのは俺だけみたいだ。ミレナは平然と通信端末をいじりながら、到着を待っている。


「……どれぐらいで着くんだ?」

「そうね、10分ぐらいかしら」


潜水艦で10分。しかも体感的に下に潜っている。


(具体的な場所を掴ませないためか)

この潜水艦には窓も無いため、自分たちがどこにいるのかも分からない。


(いい隠れ家だな)


潜水艦でなければ行けない水路の奥の隠れ家。裏社会の大物が潜むには最高の場所だし、恐らく『不動産屋』の物件紹介も兼ねているはずだ。『自分はこれほどの隠れ家を持っているのだ』という。


潜水艦に揺られること数分、がたりと大きく揺れた後、ハッチが開いた。到着だ。


「ようこそ、お客人。ボスがお待ちだ」


潜水艦から出た俺たちに声を掛けたのは小柄な少年だ。100センチちょっとぐらいの身長の子供のような容姿だが、その声音は中年の男のように渋く低い。


「貴方が直前で指定場所を変えなければ待たせることは無かったけれど」

「嫌味はやめたまえ、ミレナ嬢。……そしてそちらの男がソラ、か」


「……どうも」

「武器はここで預かろう」


俺は差し出された彼の手に銃と短剣を置いた。


「来たまえ」


おっさんみたいな少年はスリーピースの襟元を正し、水路の脇に取り付けられた無駄に豪華な扉を開く。


一体奥には何がいるのか。僅かな緊張を押し殺しながら、俺は足を進めた。

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