決別

プラジマス都市北方は、一言でいえば高級地区だ。


富裕層と官僚たちが住まい、雲を超えるほどの高層ビルが軒を連ねている。


俺のような下っ端の傭兵ウルフじゃあ、一生縁のない場所だ。


北方の駅は、南方の駅とは違い、ガラスや大理石を多用した美術館のような造りになっている。


俺は駅を降り、ホームに上がる。無駄にだだっ広いその場所には、謎の絵画や壺なんかが置かれている。

高そー。貧民地区に置いたら、一日で消えるな。


俺は改札に通信端末をかざし、駅を出た。通りに出ると、そこにあったのは、所狭しと並ぶ無機質な鋼鉄のビル群だ。


ところどころに古めかしいレンガの建物や、緑あふれる公園があるおかげで、狭苦しいという印象は無い。テクノロジーと歴史と自然が調和した完璧な地区だ。


道を走るのはどれも高級車ばかりで、道行く人も仕立てのいい服を着ている。俺のように防弾コートを纏い、武装している者はほとんどいない。


「いやな目立ち方だ……」


俺はジロジロとこちらを眺めるでかい帽子の貴婦人の視線を避けるように足早に目的地に進む。幸いにも場所は遠くない。徒歩数分だ。


辿り着いたのは、白亜の巨塔だった。石造りの冷たい外壁が流線型を描き、高くそびえ立っている。


入り口には黒服の警備が二人、武装して立っていた。俺はそれが見える対面の喫茶店に入り、席につく。


コーヒー一杯1000クレジットだ。狂ってるね。

あんな苦いだけの飲み物に1000クレジット払うのは富裕層ぐらいだ。


あるいは、メニューに並ぶ文字列に打ちのめされた俺のような貧乏人か。


一杯のコーヒーで長時間居座る俺に、店員が迷惑そうな目を向け始めたころ、娼館で動きがあった。深くフードで顔を隠した男が建物に入れず、揉めていた。


多分、だ。あの背丈には見覚えがある。


俺は席を立ち、店を出る。車に轢かれないように気を付けながら、道を渡った。同じ歩道に出ると、男たちの言い争っている声が聞こえた。


声は潜めているが、その言い争いはかなり過熱している。


「だから、金はあるんだ……!定価の倍は払うから、彼女に繋いでくれよっ」

「そうは言われましても。貴方は、入店を拒否されていますので……」


興奮する男に対し、黒服は冷徹に告げる。対応するのは一人だけで、もう一人は男の動きに目を光らせている。


俺はフードの男に近づき、その肩を叩く。驚いたように振り返ったその顔は、俺が探し求めていたものだ。


「やっぱり!カントさんじゃないか。こんなところで何を?」


俺は日常の中で友人と出会ったように、大げさに彼の肩を叩く。カントも俺のことを認識したのか、その表情は驚きから困惑へと変わった。


「な、あんた、なんでここに……」

「ちょっと用事があってね。よかったら、少し話さないか?」


俺はそう言って、背後にある今までいたカフェを指し示す。


「すいません、忙しいので」


カントは乱雑に俺の手を振り払い、迷惑そうな顔を向ける。その行動は、彼の余裕の無さを表しているように思えた。


「だけど、怪しまれてるよ?」


小声でそう囁く。俺たちのやり取りを見ていた黒服たちは、明らかに警戒した眼差しを向けている。その一人は、懐に手を伸ばし、いつでも武器を抜けるように構えている。


「な、な、えっと……」


敵意を向けられた経験があまりないのか、黒服たちの敵意を受け、狼狽えている。


「すいません。出直しますね」


俺はカントの背を押し、その場から離れる。狼狽えたカントは、特に抵抗せずに俺の誘導に従った。


店員の、「こいつすぐ戻ってきたな」という訝しむ視線に耐えながら、再び小さなコーヒーを頼み、席に向かう。


「ごゆっくりどうぞ~」(コーヒーだけでまた居座るんですかー?)


変だな。店員の声が二重に聞こえるよ。


俺は副音声付きの声を背中に受けながら、カウンターから離れた角のテーブル席に腰を下ろす。


カントはコーヒーを飲みながら、せわしなく視線を彷徨わせている。居心地が悪いというよりも、俺と一緒にいることに気まずさを覚えているように見える。


「さて、実は俺たちの再会は偶然じゃない」


びくり、とカントの肩が震える。俺はその反応を見て、微かな悲しさを覚えた。できれば、間違った情報であって欲しかった。


「な、何の話ですか?」


「お前がカーラの誘拐を依頼したんだろ?あの組織を潰したのは俺たちだ。お前の情報も入ってる」


カントは目を震わし、反射的に懐に手を伸ばす。だがその手は、かちりという金属音を聞き、止まる。


「余計なことはするな」


腰から抜いた銃を、店員からは見えないように机の下で構え、セーフティーを外す。奴が抜くよりも早く、俺が引き金を引く。


カントはぎこちなく、降参するように両手を机の上に置いた。


「……俺を殺す気ですか?」

「その気ならこんなとこには来ない。……忠告だ。都市を出ろ。何もせずに。そうすれば、俺は何もしない」


憂鬱な雰囲気を纏い、首を垂れるカントの顔は伺い知れない。彼は、大きく息を吐き、その顔を挙げる。


鋭い眼差しが俺を射抜く。その目には、怒りと憎悪と嫉妬が煮詰まっていた。


「どうして、お前みたいな犯罪者崩れが彼女を抱けて、俺が抱けないんだ……!」


抑えていた感情が溢れ出すように、その語気は強くなり、店内の注目を集める。だが続く言葉が無ければ、彼らも興味を失くし、それぞれの日常へと戻っていく。


「……お前が何を言っても、彼女には届かないよ。……早く忘れて、別の場所でやり直せ」


「アンタも遊ばれてるだけだよ。あんな尻軽に尽くして、絶対に後悔するぞ……」


彼は俺の言葉に返さず、思いつく限りの罵詈雑言を並び立てる。

だが、何を言ってもそれは負け惜しみだ。


彼の言葉からは、自分に身体を許さなかったカーラに対する子供のような怒りと醜い欲望しか感じない。


「行け」


俺が殺意を込めて、そう告げる。すると、カントは水をかけられたように黙り込み、最後に一度俺を睨んでから店を出た。


「……めんどくさいな、嫉妬ってやつは」


俺も席を立ち、店を出た。ありがとうございました~!という、店員の妙に元気な挨拶が耳に残った。そんなに嫌な客でしたか?


◇◇◇


「くそ、くそ、くそ、くそ、くそお…!」

カントは苛立ちから身を震わしながら、足早に歩く。


それは、早くこの都市を出なければならないという焦りからではなく、最後に植え付けられたソラへの恐怖ゆえだ。


ぶつぶつと呟くカントに対し、歩行者が不気味そうな眼差しを向けながら、距離を取る。


誰に対する苛立ちか。あんな傭兵一人に逆らえない無力な俺か。それとも俺を見下した傭兵と生意気に客を選ぶ娼婦にだろうか。


そんなことを考えてもどうしようもない。ただ一つ確かなのは、俺はこの都市にはいられないし、カーラを愛することも、彼女を売ることもできなくなったことだ。


カントは真っ白になった思考のまま、立体駐車場を昇り、車に近づく。周囲に人はおらず、僅かな照明に照らされるだけの駐車場は、ひどく薄暗い。


カントは運転席の鍵を開け、扉を開こうとした時、窓ガラスに映る人影に気づく。それは、自分のすぐ後ろにいた。


「なん――」


カントは懐の拳銃を引き抜きながら、勢いよく振り返る。


命の危機に瀕したその動きは、素人とは思えないほど素早く、下手なチンピラぐらいなら撃退できるほどスムーズなものだった。


だが、カントが拳銃を引き抜くよりも早く、胸に灼熱のナニカが広がった。


「あ、がっ……」


熱の発信源を見る。そこには、鈍い銀色に輝くナイフが突き立ち、赤い血が流れ落ちていた。


震える視界で下手人を見る。そこには、深くフードを被った青年の冷たい黒の眼差しがあった。


「うそ、つき」

そう言い残し、カントは23年の人生を終えた。


◇◇◇


カントを殺した俺は、彼を車の中に入れ、ナイフを捨てる。このナイフはさっきの犯罪組織のアジトで拾ったものだ。こいつから俺を追うことは出来ない。


同じくアジトで拾ったグレネードを手に取り、タイマーを仕掛ける。時間は、3分。


俺は電子音を立て始めたそれを、運転席に倒れたカントの死体の上に置き、静かに扉を閉める。


俺はフードを深くかぶり、立体駐車場を後にした。


俺は初めから、カントを生かしておくつもりは無かった。彼をカフェに誘い、会話をしたのは彼が黒だと確信するためだ。


俺は知っている。今は弱い敵も、いずれは力をつけることもある。逆襲されないための一番の手は、敵を皆殺しにすることだ。


来た道を辿って駅へと戻る途中、通りの先で爆発音が轟き、空気が振動する。

平和を謳歌していた市民たちが、怯えたように悲鳴を上げ、警察へと通信を始める。


北方では治安維持が異常な水準で保たれているため、貧民地区よりも早く警察が動くだろう。


だが、俺に繋がるものは無い。身体拡張をしていない俺は、顔を隠せば電子的な網に引っかからないし、使用した武器も俺のものじゃない。


「寒くなってきたな……」


都市に来たときは、暑かったこの都市も、夜になれば冷えるようになってきた。俺はポケットに手を入れ、カーラの家に向かった。


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