映画
俺はローズに肩を組まれ、よろめきながら部屋を後にする。
歩くたびに腕に魅惑の感触が押し付けられ、ふわりと薔薇の香りが漂う。近いほどすぐそばにある横顔は端正で、中身を知らなければ見惚れるほど美しい。
こいつに足代わりに使われるのは癪だが、美女を送ると思えば、少しはやる気が出る。俺は自分を騙し、駐車場への道を一歩ずつ歩んでいった。
俺はローズに連れられ、自分の車に乗り込む。赤い5人乗りの普通車だ。
一応防弾仕様だが、馬力やら操作性の問題で傭兵の仕事には使えない。格安でマルスに譲ってもらったものを普段使いにしている。
運転席に座りエンジンを掛けると、騒々しい音を立て、眠りから目を覚ます。古いタイプの車なので、未だにガソリンで走る骨とう品だ。
ローズは我が物顔で助手席に座り、優雅に足を組んでいる。俺の車なのに俺より寛いでいる。
「で?どこまで送ればいいんだ?」
車内の僅かな光だけに照らされるローズの横顔は、普段よりも淡然としており、炎のような威圧感も控えめだ。彼女の形のいい唇が開き、言葉を紡いだ。
「位置情報送るから、そこに行って」
それだけ言い、彼女は再び黙る。普段なら暴言と皮肉がセットで付いてくるのだが、今日はなぜかおとなしい。
それはいいことなのだが、俺にはどこか、怒っているようにも見えた。
俺は通信端末のマップを開き、彼女の指示通りの場所に向け、車を走らせる。
大きなビルに囲まれた4車線道路に入ると、夜にも関わらず多くの車が道を走っている。
この辺りは娯楽施設も多く、住宅街の清閑さとは程遠い。
娯楽施設と言っても、ハイウェイ地区のような『大衆』向けではなく、大きな声では言えないような猥雑で低俗でこの都市らしい場所だ。
大通りにもかかわらず、その一角では卑猥な格好をした男女のホログラムが絡み合い、薄着過ぎる格好をした者が道の端で獲物を見定めている。
ホログラムの信号機が赤に変わり、横断歩道を囲うように半透明の仕切りが現れる。惜しくも渡り切れなかった俺は、ブレーキを踏み、最前列で横断歩道を渡る人間をぼんやりと見る。
「アタシ、この場所結構好きなのよ」
「知らなかったよ。ここのどこがいいんだ?」
「底辺なところ。傭兵で人殺しのアタシよりクズなごみが溢れてるから安心するのよね」
クソみたいな理由だ。見下せる奴がいるから好きなんてこいつ以外誰も言わないだろう。
「俺は嫌いだ」
欲望に満ちた目で商売女と腕を組む中年も仕事帰りで群れる社会人もどいつもこいつも安心しきった顔で道を渡っている。
その全てが苛立たしい。
「アンタが嫌いなのはこの都市でしょ」
「…まあな」
否定しようかと思ったけれど、そうはしなかった。
きっと彼女はそれを確信しているし、知ったところで何もしないだろう。
俺とローズは似ている。だから気づかれたのだ。お互いに原始的な欲望を抱き、それが己の全てを成している。
信号が変わる。表示が点滅し、それをみた歩行者が早足で道を渡り切る。俺は青い光に照らされながらアクセルを踏み、ホログラムの消えた横断歩道を通り去った。
「ここか?」
「そうよ」
通信端末に表示された位置情報は、右前方にある大きなビルを指し示している。
下層域は全て駐車場となっており、俺は3階部分に伸びる車道を昇り、中へと入る。
駐車場は混んでいるとは言えず、疎らに止まった先客たちに習うように、俺も他の車両と距離を放し、車を停めた。
「結局なんだよ、ここ」
ローズは俺の質問に答えず、さっさと車を降りてしまう。それどころか、未だに車の中にいる俺を置いて、歩き出してしまった。
どんだけ自己中心的なんだよ。思いやりを知らない哀れな奴め…!
俺は心の中で義憤を燃やしながら、急いで車を降り、ローズを追いかける。薄暗い駐車場を二人で並んで進む。途中で、2人組の男とすれ違った。
普通のスーツを纏った40代ほどの男だ。彼らは並んで歩く俺とローズを見て、僅かに意味ありげな表情を見せた。
訝しむ俺と違い、ローズは気にした様子もなく、エレベーターに乗り込んだ。
「早くしなさいよ」
苛立ちを含んだ声が投げかけられる。
「おい、ちょっと待て!」
俺は慌てて閉まりかかった扉に飛び込み、エレベーターに滑り込む。こいつ、閉めるボタンを押してただろ。
壁面のパネルには階層が表示されており、16の数字に明かりが灯っている。どうやらそこが目的地のようだ。
未だにここがどんな場所なのか分からないのだが、ローズに聞いたって教えてくれないだろう。
俺は壁に浮かび上がるホログラムの表示を見る。そこにはどこの階層に何があるか、事細かに記されていた。
店の種類は多く、一見した限り、多種多様な企業が入っている複合テナントビルのようだ。問題は入っている店だ。
「うん?」
LOVERSだの何とかパレスだの妙に艶めかしい名前が並んでいる。名前の横に浮かぶ写真もベッドルームのものだ。
(これは、ラブホテル――)
それ以外にも風俗店やストリップクラブなど、夜の店の名前がずらりと並んでいる。
飲食店や雑貨屋らしき店の名前も並んでいるが、それ目的にここに来る奴はいないだろう。
ここに男女で来るというのは、これから致そうとしているということだ。
それに気付いたとき、駐車場ですれ違った二人組の視線の意味にも思い至った。
あれはこれから致そうとする男女を見た男の、下世話な好奇心と美女を連れた男を見定める視線だ。
(うっわ、恥ず…!)
今更ながらかなり気まずい状況だったと思い、頬に熱が溜まる気配を感じる。ラブホで人とすれ違い、じろじろ見られるなんて、あまり気分のいいものではない。
というか、ローズはこの場所のことを知っていて、あんなに平然としていたのか…。
どんなメンタルしてんだよ。
(……てか、俺は今、ローズにラブホに連れ込まれてんのか)
扉付近で黙って立っているローズを凝視する。後姿しか見えないが、彼女はいつも通り、可憐な赤髪をたなびかせ、優雅に立っている。そこに動揺も緊張も見られない。
何考えてるんだ?こんなとこに連れ込むなんて…。ひょっとして俺に気でもあるのだろうか。
「あのー、どこに行ってるんですか?」
かつてないほど下手に出てローズのご機嫌を伺いながら問いかける。この返答次第では関係性がガラリと変わる。
緊張感を滲ませながら問いかけたが、対するローズの返答はあっけないものだった。
「映画よ。上にシアタールームがあるの」
「……あっ!映画ですか~」
反射的に答えた声には安堵感が滲んでいた。それとほんの少しの落胆も。
ローズは頭だけで振り返り、宝玉のような瞳で俺の顔を見返した。
「…キモ」
何の感情も乗っていない声で、ローズはぼそりと呟いた。知り合って数か月、ありとあらゆる暴言を吐かれてきたが、今のが一番傷ついた。
仕方ないじゃない。俺だって男なんだから…
本気で意気消沈している俺をよそに、エレベーターは目的の階に辿り着く。さっさと降りていくローズの後を、黙ってついて行く。
16階層にあるシアタールームは俺の想像していたものとずいぶん違っていた。16階層は黒を基調としており、穏やかな光が控えめに辺りを照らしている。
一般人なら10mも離れれば相手を区別できないほどの暗さだ。
一階層まるまる通した階層の中には、いくつもの黒いガラス張りの小部屋が等間隔で並んでいる。縦横4mほどの大きさで、数字が割り振られている。
ローズは無人の受付に行き、のっぺらぼうのような白いボディのアンドロイドに話しかける。
「一室2時間」
『…料金は1万クレジット、になります』
ローズは無言で義眼を瞬かせ、振り込みを完了させた。
『12号室をお使いください』
「ほら、行くわよ」
部屋は手前から順に1から並んでいる。12号室は奥の方だ。薄暗い通路を通り、部屋に向かう。
途中にある小部屋を眺めるが、外からは中に人がいるのかも分からない。完全なプライベートルームのようだ。
ローズは12号室の数字に手をかざすと、壁に切れ目が浮かび上がり、静かにスライドした。
中に入ると、そこには地面に敷かれた柔らかな敷物とクッション、そして壁一面を使ったスクリーンだ。
ローズはリモコンを手に取り、クッションの一つに身を横たわせるように座った。そして、突っ立ってる俺に視線を送り、座るように促す。
俺はどうするか悩んだが、結局ローズの隣に腰を下ろした。
「…見たい映画あるのよね」
天井に吊るされたプロジェクターがスクリーンに画面を投影し、様々な映画のタイトルが並ぶ。
今上映されている最新作から前期文明の遺跡で発掘された骨とう品のような映画まで様々な作品がある。
「へえ。俺も気になってる映画が――」
「聞いてない」
バッサリ斬られた。ローズは俺の方を見ることなく、手元の端末を操作している。
やがて目当ての映画を見つけたのか、スクリーンの表示が切り替わり、映画が始まった。
ローズってどんな映画を見るのだろうか。案外恋愛映画を泣きながら見るタイプかもしれない。
そんなことを思っているうちに、初めのスタッフロールが流れ終わり、本編が始まった。
『血と硝煙の渦巻く戦場で、その男は生まれた。愛を知らぬ男は後に――』
はい、グロとアクションの戦争映画でした。プロローグのナレーションが残酷な世界観を語っている。
舞台は20世紀とかいう時代らしい。原始的な銃器を持った兵士たちが、荒れた大地を駆けている。
「前期文明の映画よ」
「へえ…」
ということは、前期文明の戦争風景だろうか。持っている武器も映る自然も、今とは違い過ぎていて、異世界の光景を見ている気分になる。
だけど、内容は面白い。戦場で生まれ育った男が、仲間と共に戦場を生き延びる、といったストーリーのようだ。
横を向くと、ローズは普段の荒れぐらいとは程遠い静けさを身に纏い、じっと映画を見ていた。
(こんな顔もするのか…)
俺が知っているローズは、戦場の姿だけだ。彼女の日常も趣味も何も知らない。だから少し舞い上がってしまったのだろう。うん、そうに違いない。
「ねえ、アンタ何であの女の仕事受けたの?」
「金だよ。掛けるのはミレナの金だから俺にリスクは無いし、金融取引監査機関への根回しもしてくれるんだ。受けない理由もねえだろ」
ふーん、と気が抜けるような返事が返ってきた。どうにも俺は、彼女が望む答えを返せなかったようだ。
「リスクもあるでしょ。でかい仕事を信用できない奴と受けるリスクが」
「お前かテンが受けなかったら断ってたよ」
「…そう」
それっきり、俺と彼女の間に会話は無かった。二人で一時間半の映画を見て、彼女を送り、別れた。
結局、何がしたかったのか分からなかったが、ストレス発散にはなったみたいだ。帰りは少し優しかった、かもしれない。
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