剣呑な顔合わせ

夜。閉じられたカーテンの奥から微かな夜光が差し込み、明かりの消えた室内にほんの僅かな影を映し出す。


話し声はなく、2人分の微かな呼吸音とテレビの中のコメンテーターの陽気なトークだけがベッドだけの簡素な室内に響いている。


俺はベッドの中で寝転がりながら、どこぞの局の人気番組をぼーっと眺める。

普段からテレビを見ない俺は、よくしゃべるMCのことも、ゲストらしき俳優たちも知らないので、彼らの楽し気なやり取りを無表情で眺める以外にすることはない。


胸元にしな垂れかかり、余韻を楽しむように微睡んでいたカーラが身じろぎをする。長い金の髪が耳元を這い、彼女の熱い吐息が喉をかかるのを感じる。


半身に感じるのは彼女の柔らかな肢体と素肌が触れ合う官能だけだ。


カーラのしなやかな繊手がするりと俺の顔に伸び、想像以上に力強く顔の向きを変えられる。テレビから胸元のカーラへと。


「それ、面白いの?」


むくれるように頬を膨らませたカーラが、普段よりもワンオクターブ下がった声で問い詰めてくる。その表情は、こっちを見ろと雄弁に物語っていた。


彼女は大人びた妖艶な笑みを浮かべることもあれば、物語の妖精のようないたずら好きな一面もある。今のように幼い子供のような仕草を取ることも。


きっとそのすべてが彼女の本当で、それが彼女の魅力だ。


俺が宥めるように頭を撫でると、安心したようにふっと息を吐き、体重をかけてきた。柔らかな二つの膨らみがより一層押し付けられ、温かな体温が近づいた。


「……ねえ、ソラが私を紹介してほしいって頼まれた人、覚えてる?」

「ああ、確か、カントとかいうホテルマンの」


俺が傭兵を始めた時に、カーラと泊まったホテルの従業員だ。貧民地区の市場で会って、カーラを紹介しろと言われたのだ。


結局あの後、カーラに断ってと言われて、彼にはその旨を伝えるメールを入れたが、結局返信は来なかった。


それっきりなので忘れていたが、今その名前を言うことになるとは……


「彼、私の店に来たみたい」

「店っていうと、娼館?」

「そう」


その言葉に、胸がドキリと跳ねるのを確かに感じた。カントとカーラが寝たかもしれないと思ったから?それとも今まで触れたことのないカーラの仕事に触れたからだろうか。


「私を買いたいって大金を持ってきたみたい。客を取るかは私の裁量に任されているから寝てないし、そもそもソラと出会ってから店に顔を出してなかったから急に連絡が来てびっくりしちゃった」


……その言葉を聞き、安心してしまった。カーラとの関係性をはっきりさせずに、何も聞かなかった俺がそんなモノを抱くなんて分不相応だと分かっているのに。


俺は罪悪感と惨めな自虐を悟られないように顔を傾け、小さく相槌を打つ。


「店の人が断ったらしいけど、それでも相当揉めてたみたい。私まで連絡が来るなんてよっぽどよ。ソラは顔を合わせたことがあるみたいだし、気を付けてね」


彼から返信が来なかったことから、嫌われているとは思っていたが、俺の想像以上に嫌われていそうだ。例えそれが筋違いでも、女がらみの恨みつらみは簡単には消えない。


この都市では金さえあれば人の命も買える。しばらくは警戒していたほうがよさそうだ。


「分かったよ。俺の方でも調べてみる。ありがとな」

「ふふ。どういたしまして」


カーラは柔らかく微笑み、俺の頬を撫でる。そして耳元で小さくこう言った。

「安心した?」と。


◇◇◇


数日後の夜、俺は『マインロック』を訪れていた。


目的は次の仕事の依頼主とテンとローズの顔合わせだ。


俺は相変わらず騒がしいホールを通り抜け、二階の特別ルームに向かう。派手なミラーボールがホールを紫に染め、爆音の音楽に背中を押されるように階段を登る。


俺はカルロスと話をした部屋に入ると、ホールが見える大きな窓とソファに姿勢よく座る一人の女性の姿があった。


黒い夜闇のようなウルフカットと切れ長の涼し気な目元。黒いシンプルな戦闘服がモデルのような彼女の肢体を覆っている。


彼女はちらりと扉の方に視線をやり、鈴を鳴らすような綺麗な声音で「こんにちは」と挨拶をしてくる。


「こんにちは、ミレナ。元気そうで何よりだ」


俺は彼女と机を挟んだ反対側のソファに腰を下ろし、机上のビンの中身をグラスに注ぐ。琥珀色の液体に顔を近づけ、匂いを嗅ぐと、強く甘い酒精の香りが鼻の奥を刺激する。


(これって、女を酔わせて持って帰るときに使えってテンが言ってたやつだよな。なんで交渉用の特別ルームに置いてあるんだよ)


このクラブの管理はカルロスがしている。ということは、この酒のラインナップもあいつの趣味なのだろうか。


間違いないのはレインのチョイスじゃないってことだ。


俺はグラスを傾け、酒を呷る。二人だけの特別ルームには甘い雰囲気は一つもなく、痛いほどの沈黙だけが横たわっている。


しゃべることないと、飲み物に手が出るのは全人類共通だろうか。


俺は何かを喋ろうと思い、口を開くが零れ落ちたのはため息交じりの嘆息だった。

(何喋ればいいんだよ…)


人づきあいが得意ではない俺が、ほぼ初対面の奴と二人きりは難易度が高い。こういうときって天気の話題はNGなんだっけ?


そんなことを考えながら、ちびちびと酒を舐めていると、ミレナが沈黙を埋める話題を提供してくれた。


「これから来る二人、腕は確かなの?」

「ん。ああ、確かだよ。テンはドライバーとしても戦闘要員としても一流だ。ローズはクソみたいなバトルジャンキーだが、近遠ともに戦える万能型だ。アンタの要望通りの人選だ」


「そう。それは会ってから確かめるわ」

「そうしな。もう来たみたいだし」

「…え?」


俺の耳に、扉の手前に立つ二人分の足音が届く。このルームは防音仕様だが、扉の前までくればその存在を聞き取れるほど、今の俺の五感は鋭くなっている。


俺の言葉を証明するように、がちゃりと重々しい鉄の扉が開き、ローズとテンが入ってくる。


ローズはいつも通りの女帝の如き威圧感を纏い、俺を睥睨し、そしてミレナを値踏みするように睨みつける。


ローズは訝しむように鼻を鳴らし、俺の隣に乱雑に腰を下ろす。後から入ってきたテンが丁寧に扉を閉め、一人掛けの椅子に座った。

まるで女帝に従う従者のようだなと俺は失礼にも思ってしまった。


テンはこの都市では珍しいほど良いやつなのだ。だからわざわざローズを待って、一緒に入ってきてくれたのだろう。ローズが依頼主に噛み付かないように見張るために。


いきなり睨みつけたローズに対し、ミレナも気分を害したように僅かに表情を歪ませる。

せっかくのテンの気遣いにも関わらず、俺たちの顔合わせは剣呑な状態で始まった。


「アタシがレッド・ローズ。横のでかいのがテン。で、このバカ面がソラよ。こいつのことは知ってるみたいだけど」


誰がバカ面だ。割とイケメンって評判なんだぞ。カーラに…


「ええ、知っているわ。以前仕事を一緒にしたから。とても優秀な《傭兵ウルフ》だから、依頼を出したの。あなたたちも彼と同程度の腕だと思ってもいいのかしら?」

「チッ。アタシはこいつより強いわよ」


冷静に返すミレナに対し、ローズは苛立ったように眉を顰める。ローズの長くしなやかな足が苛立ちを表すように揺れ、俺の足を踏みつぶす。


「いッ――」

小さく呻く俺に、ミレナとテンが怪訝そうな顔を向ける。二人には大きな机が陰になって見えていないのだろう。


ローズが踏みにじるように足を動かすたびに骨が擦れるような痛みが走る。

俺が横目で睨みつけ、やめろと伝えるが、ローズは素知らぬ顔で正面を向いている。相変わらずの女王様だ、こいつは。


そもそもなんでこいつはキレてるんだよ。そして何で俺に八つ当たりすんだよ、このクソ暴君め。


俺は踏まれている足を引き抜き、お返しとばかりにローズの膝を蹴りつける。


非難の意を伝えるための軽い攻撃だったのだが、それを受けたローズは親の仇を見るような殺意のこもった視線を向けてきた。理不尽だ…


「ローズのことは気にしないでくれ。態度が悪いが、腕はいい。アンタもこいつの噂ぐらいは聞いたことあるだろ?ソラから軽く聞いた話じゃ、荒事になるようだし、ローズは雇った方がいい。もちろん、この俺もな!」


テンがローズの暴挙をフォローする。そしてちゃっかり自分もアピールしている。流石テン。できる漢は違う…!俺は地獄に現れた救世主に、感謝の視線を向ける。テンは不気味そうに俺を一瞥した後、ミレナの方へ向き直った。


「それで、どうだ?俺たち以上の逸材はそうそういないぜ?」


テンは冗談めかして伝えたが、その言葉に謙遜の色は無い。

テンは自身の腕に絶対の自信を持っている。そしてそれは事実だ。こいつのドライブテクニックは常軌を逸している。


ミレナは考え込むように目を伏せ、そして「雇うわ」と短く答えた。


(何とかなったな…)


これでようやく『作戦』の第一弾階が進んだ。メンバー間の関係性には課題が残るが、能力だけなら十分な4人が揃った。


ミレナは雇うと言った言葉を証明するように、3枚のメモリーチップを机の上に置く。恐らく仕事内容が入っているものだ。


「これが作戦よ。各自読み込んで」


ミレナの声に従い、各々がチップに手を伸ばす。ローズとテンは自身の首筋にある挿入口にデータを入れ、俺は通信端末に挿入した。


「アンタ、電脳化してない上に、まだそんな旧式の端末使ってんの?猿人なの?」


通信端末を取り出した俺を、ローズは信じられないと言いたげな表情で見てきた。というか言ってた。わざとらしく作った表情は俺を揶揄う気満々だ。


この都市では全てのサービス、インフラはデジタルによって制御されている。それは視覚情報や決済もだ。


そのため、金が無い一部の人間を除き、全ての住人は脳内に電子チップを埋め込み、思考でインターネットと接続できるようにする『電脳化』を済ませている。


俺のようなデバイスを使うのはかなりの少数派だ。そのデバイスにしても、大体が網膜投射機能を持つアクセサリー型が基本だ。


「うるせえな。俺はこっちの方が性に合ってるんだよ」


電脳化には、何か、本能的な恐怖を感じるのだ。こいつに言ったら絶対にバカにされるから言ったことは無いが。


ローズはそれ以上踏み込むことなく、データの閲覧に集中し始めた。


「なるほど。狙うのは工場そのものではなく、責任者か」


俺をにやにやとからかっていたローズと違い、真面目に作戦を読んでいたテンは合点がいったと頷く。


「そうよ。ターゲットのドース・ウェイブはテネス・コーポレーションの工場責任者で、工場の管理AIの制御ライセンスを持っているの」


「テネス…なんだって?」


「テネス・コーポレーション。最近プラジマス都市に来たベンチャー企業よ。

南方の工業地区に新設された製薬工場では、テネス・コーポレーション肝入りの新薬を製造しているの。

安価で製造できる特定難病の治療薬をね。2週間後には、メディアで派手にお披露目される予定になっているの。

作戦決行日は発表の翌日。彼を捕まえてマルウェアを仕込み、工場を停止させる」


新薬発表後に工場が停止。しかもベンチャー企業の株だ。派手に下落するだろう。その株を前もって空売りすることで利益を得るのが今回の計画だ。


「特定難病の治療薬ね…」


テンは僅かに眉を顰め、誰に聞かせるでもなく呟いた。

恐らく彼は薬の工場が潰れることで、その病気の人が苦しむことを思い浮かべたのだろう。


テンはギャングにしては優しいやつだ。優しすぎるほどに。だがその苦悩は懸念だ。


「問題ないわ。だってその薬、使用段階に達していないもの」

「は?」


テンが怪訝な顔でミレナを見る。

「効能は確認されているけれど、副作用が酷いの。それこそ、命に関わるレベルのね」

「ああ、そういうことね」


黙って話を聞いていたローズが得心言ったと頷く。テンはさらに苦渋の表情を深くした。


この手の話はよくある。製薬会社が開発段階の新薬を開発済みと偽り、非認定薬品として売り出す。

そして情報を集められない貧民層をモルモット代わりに使うのだ。


十分な治験が出来れば、薬を改良し、政府の認可を受け、高額で上流階級に売りつける。上から下まで金をむしり取れるビジネスだ。


「…クソが!胸糞悪りい!」

テンが拳を勢いよく叩きつけ、頑丈な机に罅を入れる。グラスが倒れ、氷と酒が地面に滴り落ちた。


予想外の苛立ちを見せたテンに、俺とローズが一驚するが、ミレナは構わず言葉を紡ぐ。


「もし、新薬の情報が手に入ったら、工場の停止と合わせて公表してもいいかもしれないわ。ドース・ウェイブが機密情報を持ち出すバカだったね」


「ねえ、空売りの原資はどうすんのよ。アタシたちも出すの?」


「いいえ。急に口座に大金が移されたら、事件後に違法取引で見つかる可能性が高くなるわ。

使うのは専用の口座とそこにある1000万クレジット。その譲渡益をパーセントで分配するの。

50%を金融取引監査機関の人間に渡す。20%が私で、あなたたちが10%ずつ」


ミレナが視線で文句ある?とローズに問いかければ、ローズは黙って視線を背けた。


やっぱりこいつら仲悪いな。初対面でこんなに険悪になるなんて、中々できないことだ。


「ドース・ウェイブは毎週金曜日、決まった地下クラブに行き、そこで女を買う、と」

「ええ。いわゆる【人形売り場ドールショップ】って呼ばれるところ」


それを聞いた俺たちの顔は一様に顰められた。人形売り場はいわゆる娼館の一種だが、そこで売られている女性たちは普通の状態ではない。


彼女たちは客に一時的に義体の操作権を預けているのだ。そうすることで、客の安全性と歪んだ欲望を満足させる文字通りの《人形ドール》となる。


もちろん、それは違法だ。義体の操作を他人に譲るソフトウェアは開発もダウンロードも禁止されているため、見つかれば即逮捕。

当然、その手の施設は警官と仲が悪い。もめ事が起きても、勝手にもみ消すだろう。


「そこで仕掛けるわけだな!」


テンが拳を打ちあわせ、気炎万丈に吠える。やる気は十分のようだ。…十分すぎるように見えるが。


「ええ。ただし、私たちが『瑠璃の珊瑚』とバレないようにする。珊瑚の敵対組織だからね」

『瑠璃の珊瑚』のルールその1。どんな悪事をしても、組織に持ち込むな。俺もローズもミレナも、珊瑚から仕事を受けている以上、そのルールを守る必要がある。


「他に質問は?」

ミレナが全員を見渡し、反応を探る。誰も言葉を発しないのを確認してから、ミレナは言葉を発した。


「なら、今日は解散よ。各自、武装を整えておいて」

ミレナはそれだけ言うと、立ち上がり、スタスタと歩き部屋を出た。


「…俺も行くわ」

最後に残ったグラスの酒を呑み干し、俺も席を立った。その俺の肩を、ローズが掴む。


「……何だよ」

「可憐なレディを一人で返す気?送りなさい」


可憐なレディは、エスコート役の肩を握りつぶさないもんだ。

だけどそんなこと、ローズの鋭い眼光の前では無力だ。俺は肩の痛みに耐えながら、ぎこちなく顎を引いた。


「テン!お前はどうする?」


今も一人掛けのソファに腰を下ろしたテンに俺は問いかける。どうせローズの要件は家までの足代わりだ。

一人を送るのも二人を送るのも変わらないから、テンも送ろうと思って声を掛けたのだが、テンは俯いたまま何も答えない。


「おい、どうした?」

「ん?ああ。俺は、もう少しここにいる」

「…そうか。じゃあな」


テンは何かを考えているように見えた。なら、それを邪魔しないようにさっさと立ち去ろう。幸いにも、この場は下界の喧騒とは切り離されているのだから。

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