仲介

「あの!……あのう、ちょっといいですか?」

俺の背後から裏返ったような大声で呼び止められる。俺を呼び止める声は、音量調整をミスったのか、続く言葉は極端に抑えられていた。


俺は自分に向けた言葉ではないことを祈りながら、足早にその場を去ろうとする。


「あの、黒髪の男の人!ちょっといいですか!」

そう言いながら男は俺の眼前に回ってきた。


……チッ。やっぱり俺かよ。俺の不機嫌な顔から、話したくないって気づかないもんかなあ。そんなんじゃ接客業なんてやっていけませんよ。


接客業のコツは客の気づいてほしそうな眼差しを無視して、流れ作業のように捌くことだ。特にレジ打ち。お前の貯めてるポイントなんて知らん。


……ん?じゃあ、こいつ接客業、天職じゃないか。

そんな風に現実逃避をしていると、眼前の男がしゃべり始めた。


「少し話があるのですが……」

俺の顔を見て一瞬怯えたような様子を見せるものの、男は引く気が無い様子だ。


(こいつ、どっかで……)

「あの、昨日宿泊していたホテルで……」


ああ、あの時の奴だ!俺がホテルを出るのを盗み見ていたフロントの男だ。彼の職場からも離れた場所なんだが、こんな所で会うとは奇遇だ。


「ああ、フロントの」

「あ、覚えていて……」

「それで、用件は?」


男は言い辛そうに口をもごもごと動かした後、意を決したように口を開いた。


「昨日、一緒にいた女性は、その…」

煮え切らない言葉だ。一緒にいた女性というのはカーラのことだろうが、いったい何が聞きたいのか分からない。


「その?」

「その、もし彼女では無いのなら、私を紹介してくれませんか?」

「……はあ」


つまり、こいつはホテルに二人で入った男女の片割れにもう片方を紹介しろと言っているのだ。……すごい根性だな、こいつ。


まあ、俺とカーラは別に付き合っているわけでも友人でもないから、紹介するのに問題は無いのだが。


男は爛爛と眼を輝かし、俺の返事を待っている。


「あー、まあ、本人に聞かないと」

とはいえ、本人の許可なく、会わせると約束することは出来ない。俺はとりあえず、お引き取り願おうとどっちつかずの返事を返す。


「今、聞いてもらうのは可能ですか!」


だが男は俺の返事を、遠回しの否定だと捉えたのか僅かに語気を強くし、問い詰めてくる。


今聞けるわけねえだろ。後、初対面の人間に詰め寄るなよ。俺が短気な傭兵ウルフだったらぶん殴られてるぞ。


「……アンタの連絡先を教えてくれ。後で連絡する。それでいいだろ」

俺は面倒になり、折衷案を提案する。男は僅かに迷うような仕草を見せた後、俺に名刺を渡した。


「えっと、カント、さんね。近日中に連絡するよ」

「はい、お願いします!」


俺は頭を下げるカントに背を向け、その場を立ち去る。とりあえず、この近くに泊まるのは無しだな。あいつと道で鉢合わせるのは二度と御免だ。


◇◇◇


「遠い…!」


俺は疲れをにじませながらそっと息を吐いた。市場から離れた安いホテルを探していたら、かなり遠くまで来ることになった。

俺は登ってきた坂を振り返り、通信端末のマップが壊れていないことを切に祈る。


ここはディーン地区の一角にある小高い丘を登った先だ。調べた地図によると、この先にあるそうだ。


俺は通信端末を片手に足を進めると、それらしい建物を見つけることが出来た。

「ここ、だよな?」


俺は廃墟の前で疑念の声を漏らす。

それは、住宅地に囲まれるようにひっそりと佇んでいた。


俺は壊れた看板の横を通り、恐る恐る扉を開く。中に電灯がついていることで、ここが目的地だとようやく分かった。


「いらっしゃいませ」

狭い通路を進んだ先、僅かに開けたカウンターに自販機のようなものが鎮座していた。


「1泊したいんだが」

「2000クレジットです。電子マネーでお支払いください」


そう言った自販機の正面にある電子パネルがピカピカ光る。俺はそれに通信端末をかざし、支払いを済ませた。


がちゃんという音と共に、下にある取り出し口に鍵が落ちてくる。今時珍しいアナログな鍵だ。


それを見ると、『202』と書かれている。

俺は階段を登り、2階に上がってすぐにある202号室に入った。


中にあるのは簡素な椅子とシングルのベッド、そしてトイレルームのみだ。

壁のスイッチを押すと、僅かならタイムラグの後にじわじわと明かりがついた。


全体的にぼろい。あと、立地が最悪だ。確かにこれは2000クレジットのホテルだな。


恐らくここの経営者も立ち寄ってはいないのだろう。完全に自立機械スタンド・マシーンのみで運営されている。人にも見捨てられた機械が惰性に乗って動いているだけの場所だ。


ベッドに腰を下ろすと、木が軋む音がした。ここにはテレビも何もないのですることが無い。とりあえず、通信端末を充電器に繋ぎ、覚えていた番号を打ち込む。


全ての数字を打ち終わると、保留音が鳴り始める。彼女は数コールで出た。


「ソラだ。カーラで合ってるよな?」

『…こんばんは、ソラ。連絡先、覚えていてくれたんだ』


耳に充てた通信端末から、耳朶をくすぐる甘い声が聞こえた。今朝ぶりだがもう懐かしく感じる。


「記憶力はいい方なんだ」

くすくすとカーラが笑う。……何か引っかかる笑い方だ。


『ふふ。拗ねないで?』

それも見透かされる。どうして電話越しで俺の考えが分かるんだよ。


「……拗ねてない」

『ほら、拗ねてる。…それで、どうしたの?もう人肌恋しくなったの?』


揶揄うように、楽しむようにカーラが問いかける。これで少しでも動揺したらしばらくいじられることになる。


「違うよ。……さっき、昨日泊まったホテルの従業員に絡まれたんだ。カーラを紹介してくれって」

ため息をつきそうな気分を押し殺して、呟く。電話をかけて数分だが、もう疲れてきた。


『それで、どうしたの?』

「……どうもしてない。本人に聞くって返したよ」

予想外に冷たい声音に戸惑いながら、返事をする。問い詰めるような言葉は、カーラのものとは思えなかった。


『なら、断って?興味ないもの』

彼女はそう吐き捨てた。


冷徹な冷たさと誘うような蠱惑的な響きが同居していて、不思議な気持ちになる。カーラはそれ以上何も言わない。話はこれで終わりということだ。


「分かった。断っとくよ」

残念ながらカント君は玉砕した。問題は彼がそれを聞き入れてくれるかだ。


『ソラは今日、どこに泊まっているの?』

心の中で合掌をしていると、カーラから質問が飛んできた。


「ディーン地区の端にあるホテルだ。中々眺めがいいし、静かだよ」


俺は窓の外を見る。そこからは、ディーン地区が一望できた。寂れた廃墟、かすれた電灯の明かり、人気を避けるように道の端を行く人、そのすべてが見える。


立地もサービスもクソだが、眺めだけはいい。

『へえ。お仕事は上手くいった?』

「ああ。5万クレジットになった」


『…そっか。いつでも呼んでね、ソラ。おやすみ』

「ん、ああ。おやすみ」


カーラとの通信が切れ、室内に静寂が戻って来る。

そのまま端末を操作していると、カルロスからメールが入っていた。レインの連絡先を教えられていたので、そこからカルロスにIDが伝わったのだろう。


その内容は、ごちゃごちゃ書いてあったが、要約すると『合格』だ。俺の働きはカルロスの満足いくものだったらしい。それと借金200万クレジットを忘れるなとも書いてある。


昔の俺なら絶望するような金額だが、今はそうでもない。このまま傭兵業アウター・ジョブを続けていけば返せるぐらいの額だ。


「明日から頑張るか」


俺は通信端末の電源を切り、ベッドに横たわった。自分の呼吸音だけが聞こえ、その規則的な音に、段々眠くなってくる。俺は心地よい疲労感と眠気に身を委ね、意識を手放した。

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