名前

「全部で4万クレジットだ」


露天商の男は不愛想に呟いた。相変わらず接客態度の終わってる店だ。


「4万!?ライトマシンガンもあるんだぞ」

「碌に整備されてないガラクタ同然だ。文句あるならよそへ行け」


露天商は4つの目を閉じ、俯いた。これ以上話をするつもりは無いという合図だ。交渉すらさせてもらえないなんて終わってる……。


「分かった、それでいいよ。代わりに現金でくれ」


「……現金なんて骨とう品、使える店の方が少ねえだろ。まあいいが」


そう言って男はくしゃくしゃになった紙幣を4枚こちらに投げ捨てた。

仕方がないだろ。通信端末が壊れて電子マネーが使えないんだから。


「どうも」

受け取った現金を懐にしまい、歩き出す。以前のように神経質にスリを警戒する必要はない。今の俺の五感なら、見逃す方が難しい。


とりあえず、今必要なのは替えの服と今晩の宿だ。通信端末も無い俺は、宿を求めてさ迷い歩くことになるだろう。


「……はあ」

あと『マインロック』とやらについて調べないと。泊る宿に検索ツールがあればいいんだが。


「こんばんは。お兄さん?」


のろのろと道の端を歩む俺を呼び止める声がした。いつか聞いたような声だった。


振り替えると、歩道橋の階段の上からこちらを見ていた。そこにいたのは長い金髪を風になびかせ、体の各所が露出した服を着た女性だ。

彼女は露店の明かりに照らされて、艶めかしく微笑んでいる。


「あんたは……」

確か、都市に来た時に出会った娼婦の人だ。

あの時も今日のように、唐突に声を掛けられた気がする。


懐かしいな。たった三か月前だがはるか昔の気がする。あの露天商と言い、今日は珍しい再会をする日だ。


「あら、覚えていてくれたのね」


「まあな。あんた美人で目立つし」


実際、彼女は目立っている。先ほどから彼女の横を通る男は、彼女の蠱惑的な容姿に見惚れたように振り返るものも少なくない。


都市に来たばかりの俺は気づかなかったが、こんな郊外の貧民区域で客寄せをするような容姿ではない。高級店で貢がれるようなタイプだ。


「……前と少し変わったのね」


綺麗な瞳が、俺を見透かすように細められる。彼女の視線が絡みつき、俺は訳の分からない緊張感に苛まれた。


何が変わったのだろう。変化が分かるほど、彼女と深く関わったことはないというのに。だがそんな不思議なことを言いそうならしさが彼女にはあった。


俺は彼女の視線から逃れるように身を捩る。それを見る彼女の顔は、少し楽し気に見えた。


「夜は空いてる?」

彼女は唐突に話を変える。その言葉は、都市に来たばかりの俺には意味が分からなかったが、今なら分かる。


「……空いてるが金はやっぱり無いな」

今の手持ちはたったの4万クレジットだ。宿に泊まって服を買えば全て消える程度の額しかない。


「あなたなら1枚でいいわよ」

彼女は挑発的に、そして誘うように微笑む。1枚、というのは紙幣1枚、つまり1万クレジットでいいということだろう。あまりにも安すぎる金額だ。


彼女ならその100倍は取れる。どうしてただ同然で誘ってくるのか聞きたいが、きっと彼女は答えない。

ほとんど知らない仲だが、あの不思議な笑顔で受け流されるという確信がある。


「見てたのかよ」


代わりに口をついたのは、苦し紛れの苦言だった。


今時、金額を紙幣で例えるやつはいない。きっと彼女は俺が露天商から紙幣を受け取る所を見ていたのだろう。だけど彼女は俺の問いを無視した。


「それで、どうするの?」


囁くような声が耳朶をくすぐる。気づけば彼女は距離を詰め、俺に抱き着くように肩に手を載せていた。


するりとしなやかな繊手が腕を撫で、彼女の柔らかな体温を伝えてくる。誤魔化すための色仕掛けだと分かっても、抗えない。


彼女は魔性だと俺の本能が告げる。頭の奥が火照るように思考が交わりに向かっていく。彼女の手を引き、雑踏に消えたいと思うが、理性は俺を留める。


彼女の提案した1万クレジットは、極上の美女と一夜を共にするには破格の値段だが、俺の全財産の4分の1だ。明日の状況すら分からない現状で一クレジットたりとも無駄にできない。ここは断るべきだ。


「2万渡すから、適当な服と宿も見繕ってくれないか?」


だけど俺の口は、理性と正反対の決断を下した。断るのは昨日までの俺だ。変わると決めたのなら、少しは自分を信じて刹那的に生きるのも悪くない。


俺の言葉を聞いた彼女は、ぽかんとしたあどけない表情を浮かべた。


「なんだよ」

二足歩行の猫を見たような驚き方をされるのは心外だ。


「ううん。何でもない。それよりも行きましょ。壁が厚くていーっぱい声を出せるホテルがあるの」

「その表現やめろ。色々やばいから」


彼女は楽しそうにスキップし、俺を先導する。輝くような笑顔は、先ほどの妖艶な雰囲気と違い、年相応のものだ。


ふと、彼女が足を止め、こちらを振り返ってきた。


「わたし、カーラ。あなたは?」


「……ソラ」

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