第二の人生
空に昇った太陽がコンクリートを燦燦と照らし、俺の体もついでに照らす。
通勤時間になったのか学生や社会人が道を歩き、各々の居場所へ向かっていく。
裸足の寝間着姿のまま道の端で座り込んでいる俺に目を向ける者は誰もいない。
だけどそれは当然の話だ。
この都市で浮浪者なんてありふれている。わざわざ目を向けて絡まれるリスクを冒す者などいない。俺も、そうだった。
視界には入れても意識には入れない。この都市で生きていくなら必須の処世術だ。その無関心が今の俺にはありがたかった。
人波の端に居れば孤独は感じないし、一人で居られる。きっと俺と同じように通りの端にたむろしていた彼らも同じものを求めていたのだろう。
「いい天気ね」
「…くそ暑いだけだろ」
道の端に座る俺の目の前に、昨夜の女がいた。俺は結局、行く当てもなく、頼れる友人もおらず、ただ物思いにふけりながら一晩歩き回り、この道の端に行きついた。
そんな俺を見下ろす女は、今日はキレていないのか、穏やかな口調で新鮮だ。
身体に張り付くようなパンツと腹部が露出したジャケットを身に着けている。普段であれば魅力的な腹筋と派手なタトゥーに見惚れていた所だが、短気なサディストに不埒な目を向ける度胸は無い。
女の隣には若い男がいて、不機嫌そうに貧乏ゆすりをしている。
「付いて来てもらう」
女はしゃがみ込んだ俺の後頭部に声を掛けた。こんな人通りの多い場所で揉め事を起こすつもりは無いらしい。
「言っておくけど、仲間もアンタを狙ってるから逃げようたって無駄」
女は俺たちの頭上を浮かんでいる小型のドローンを指さす。音もなく飛ぶそれは、鋭くなった俺の五感にも引っかからなかった。きっとあれが昨夜から俺に付いていたせいで、彼女たちに居場所がばれたのだろう。
「なぜ俺を狙う」
「それはアンタが良く分かってるでしょ」
分かってる。きっと、俺が逃げ出したトラックの持ち主だろう。捕らえられていた俺をまた捕えに来た。目の前の企業の従業員には見えない暴力的な女はその依頼を受けたギャングか傭兵だ。
「なあ、適当にぼこしてさっさと連れてこうぜ。カルロスが待ってんだからよお」
若い男が馴れ馴れしく女の肩に手を置く。
それを不快気に振り払った女は屹然と男を睨みつけた。
「触んな、クズ。交渉はアンタの大好きなカルロスがアタシに任せたでしょ」
男はあしらわれたことに苛立ちの表情を浮かべ、唾を吐き捨てた。
「お前には後で立場ってもんを分からしてやるよ」
にやにやと笑いながら女の体を嘗め回すように見るその様子から、男が何を考えているのかは一目瞭然だった。
「童貞が無理しない方がいいんじゃない?」
女も蠱惑的に笑い、挑発し返す。仲間らしいが仲は良くないらしい。今にも殺し合いを始めそうなほど剣呑だ。
だがそんなことはどうだっていい。
「……俺が狙われているのは知っていた。この日が来ることも。でも、いざ死ぬとなれば怖いもんだ……」
「で?悪いけど見逃せないから」
俺の話を興味なさげに聞き流していた女は、冷徹に告げる。別に言われなくても、見逃してもらうことなんて端から期待していない。伝えたいのは別のことだ。
「ならせめて最後ぐらいは、自分の人生を生きてみたい」
俺は気づいたらここにいた。光に集る蛾のように都市に惹かれ、存在もあやふやな追跡者の陰に怯えながら暮らしていた。まるで無力な虫のように。牙を削がれた獣のように。
でも今はあの時とは違う。この手はコンクリートを握りつぶせるほど力強く、この足は地平の先まで届くほど速くなった。
もしかしたらと思わずにはいられない。もしかすれば、俺は都市の外に広がる荒野を踏み越え、自由を手にできるかもしれない。
「自分語りご苦労さん。じゃあ行こうか、モルモット君よぉ――ッ」
俺は昨夜の焼き直しのように、眼前の女を蹴り付け吹き飛ばした。今度は自分の意思で。
俺の蹴りは、硬い感触を超え、内臓にまでダメージが通した。吹き飛んだ女は歩道を転がりながら10メートル以上先に飛ぶ。
だが終わりじゃない。女は転がりながら体制を立て直し、上手く地面に足をつけ衝撃を殺す。
嘲笑を浮かべたまま固まっていた若い男は、それを見てようやく我に返り、懐からハンドガンを取り出す。だがその動きは、遅すぎた。
俺は無造作に腕を振るい、男の首の骨を砕く。喉から空気が漏れるような声を出し、名も知らない男は息絶えた。
頭上のドローンから放たれた針を軽く横に動くことで躱す。飛行音のしないドローンの音は聞こえなくても針の射出される空気音は聞こえた。
避けようと思った意識に体が反射で従う。鋭い五感や全能感に振り回されながらも、俺は努めて冷静に周囲を伺う。
この辺りの住人は騒ぎには慣れているのか、騒ぎ立てることは無いが皆駆け足でこの場から離れ、中には通信端末を使い、警察に連絡しているものもいる。この都市ではありふれた光景だ。
そして俺が蹴った女は、その腕から鋭いブレードを展開し、俺の隙を伺っている。
目には殺意が宿っているが、その表情はどこか楽し気だ。
俺は地面に落ちた男のハンドガンを拾い、構える。撃ったことは無いが、ブレードを防ぐ盾代わりにはなるだろう。
「手足の1,2本は落とすから」
女は昨日と同じ嗜虐的な笑みを浮かべ、宣言する。あくまで俺を生け捕りにするつもりのようだ。
「ぶっ殺す!」
俺も歯をむき出し笑う。相手の闘気に気圧されないように、己が決意を示すように。きっと恐怖と緊張で歪な笑みだったけど、それでいい。
これが第一歩だ。3か月遅れの人生を始めよう…!
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