二度目の目覚め
襲撃者の女、レッド・ローズは標的である『仮想超能力者』を見下ろす。蹴られたショックで蹲り、ローズに顔を向けることも無い。完全に諦めきった腑抜けの姿がそこにあった。
だがそれを見てもローズが気を緩めることは無い。既に一度不意を突かれ、同僚に知られれば向こう半年は笑われるほどの醜態を晒したのだから。
(感知能力者だと思うけど……)
ローズは敵の
ローズは光学迷彩を使い、この部屋に侵入した。
だがその瞬間、標的が急に眼を覚まし、辺りを警戒し始めたのだ。
そして足音を立てないように動かないでいたローズに標的がシーツを投げつけ、蹴りを食らった。
そんなことは、生身の人間ではありえない。
ローズの全身の皮膚は熱光学迷彩対応の特殊人工皮膚に置換されている。サーモグラフィーにも映らない彼女の隠密能力は、人間の五感ではまず認識不可能。
それを睡眠状態で感知したということは、五感に頼らない第六感で察知したのだとローズは考えた。
このことから、ローズは標的の能力を限定的な範囲内の動体物を感知する能力だと推測している。
『
感知系の能力を持つということは、戦闘系の超能力は持たない。
(念のために意識は奪っておきましょうか)
この状況から逃げられる恐れは少ないと思うが、ローズは念のために首を絞めて気絶させることを決めた。
先ほどは気が高ぶって指をねじ切るとか言ってしまったが、生け捕りの依頼で標的を拷問するのはまずい。ゆっくり首を絞めて2、3分ほど苦しめるだけで許してあげよう。
ローズは嗜虐的に微笑みながら、倒れ伏す標的の首に手を伸ばし、そして空ぶった。
「は?」
疑問が口から零れた瞬間、ローズの視界はぶれ、壁に頭をぶつけた。
「―――ッ!」
攻撃を受けたと認識した瞬間、彼女の頭から生け捕りの4文字は消え失せ、反射的に右腕部からブレードを展開する。
ぱりんと窓ガラスが割れる音が背後から聞こえる。
ローズはその音を頼りに腕を背後に向け、脳内の制御チップに信号を送る。合図を受けた右腕の機構はブレードに電気を送り、電磁気力によりブレードを射出した。
だが――
「……逃げられた」
室内にも血まみれの標的の姿はなく、割れた窓から地面を見下ろしても潰れた死体の姿はない。月明りの照らす街並みのどこにも、標的は見当たらない。既に遠くに逃げられた。あの一瞬でだ。
『どうなった?』
脳内に野太い声が響く。今回の依頼のリーダーだ。窓ガラスが割れた音を聞き、異変を察知したのだろう。
「逃げられたわよ。無茶苦茶な早さでね!」
室内の家具を蹴り飛ばし、八つ当たりをする。木材が砕け、破片の散る音が静謐な夜のマンションに響き渡る。
『ハッ。聞いてた話と違ってきたな。あの頭でっかち共、情報を隠してやがったのか。……いったん合流しろ。標的の危険度が高いなら報酬を吊り上げられる』
苛立ちが最高潮を迎えた彼女に関わりたくないのか、声の主は手短に指示を伝え、通信を切る。
「チッ」
ローズは舌打ちを残し、荒れ果てた部屋から消えた。
◇◇◇
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
路地裏に荒い息遣いが響く。走り続けて疲弊したのではない。むしろ、疲れない肉体への恐怖から息が乱れていた。
「どうなってるんだよ」
襲撃者の気配を頭上に感じ、死ぬと覚悟した瞬間、体の内の熱が弾けた。その場にとどまっておけず、がむしゃらに襲撃者を蹴り付け、窓から飛び降りた。
何も考えずに建物の合間を走り抜け、気づいたらここにいた。
3階の高さから飛び降りて平気な頑強さも異常な速さで駆け抜けた速度も全てがおかしい。そんなこと、生身の俺にできるはずがない。
「……また、ここに来たな」
都市に来た時、何も知らない俺は都市の路地裏で一夜を明かした。それもここと似たような行き止まりの細道だった。
だけど、あの時と同じようにここで一夜を明かすことはできない。この都市のことを知った今なら、あの時人攫いにも会わず、ギャングにも襲われなかったのは奇跡のようなものだと今ならわかる。
薄汚いバケツの陰から目が三つある嫌に小さな鼠が這い出てくる。それは、俺の眼をじっと見つめた後、ちょろちょろとどこかに逃げて行った。
多分、『外域』からやってきた生物兵器の末裔か化学兵器に侵された変異種なのだろう。
まるで俺みたいだ。どこからやってきた何かも知らず、こそこそと人目を避けて逃げ回っている。そう思うと、何だか笑えて来る。
一度落ち着くと、考える頭が返ってきた。
「通信端末も……家か」
つまり一文無しということだ。取りに戻ることもできない。俺が襲撃者なら自宅に罠ぐらい張っておく。
バイトも、もう行けない。自宅までばれていたのならバイト先も知られているだろう。
俺がこの都市に来て積み上げてきた3か月が全て崩れ去った。俺は何もできず、ただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
◇◇◇
翌朝
プラジマス都市の郊外に存在するモーテルの駐車場にオフロード仕様の四輪車が停まった。
4人乗りのその車は、追加装甲により中の様子は伺えず、物々しい雰囲気を醸し出している。
運転席の扉を開け、降りてきた男もまた、物騒な雰囲気を漂わせていた。ワニ革の艶めくパンツを履き、上半身にはファー付きのコートだけを身に着けた異常な男だ。
この暑い都市で分厚いコートを身に着けているのは並々ならぬこだわりを感じさせる。
全身を金の装飾品で着飾っており、全体的に派手な男だが、不思議とそれが似合っていた。
男は金の髪を撫でつけ、モーテルの受付に向かう。古びたモーテルは2階建てでお世辞にも過ごしやすいとは言えないが、ここの売りはホテルとしての機能ではない。
「201号室」
受付に約束の部屋番号だけを伝える。それを聞いた受付は黙って201号室に内線を入れた後、男に鍵を渡す。受付はそれ以外に何もしない。
男の要件を聞くこともしなければ雑談も無い。受付は何も聞かないことが何よりのサービスだと知っている。
ここは都市の《
鍵を受け取った男は2階に上がってすぐの部屋の鍵を開け、中に入る。シングルのベッドが二つと小さな机があるだけのシンプルな部屋だ。その中にはすでに先客がいた。その男は黒いスーツに身を包み、潔癖な性格を表すように立って待っていた。
「話と違ったな」
男は交渉相手に本題を切り出す。その言葉は、情報を隠していた取引相手を責めていた。だが企業のエージェントはそれに取り合わず、無表情で男を見返した。
「こちらとしても想定外だ。まさか、熟練の《
その言葉はエージェントの本心であり、まんまと標的を取り逃した男達を皮肉るものでもある。
「それで、報酬は?」
「君たちの要求通り報酬は上げよう。生け捕りの場合は500万。死体なら100万だ」
十分な増額だ。男としても異論は無かった。得体の知れない能力者だというのが懸念だったが、500万という報酬はそのリスクを冒すに足るものだ。
「OKだ。ペットを入れる檻を準備しておくんだな」
金の歯をむき出し手にして笑った男は、上機嫌に部屋を後にする。そして義体に組み込んだ通信端末を操り、仲間にメールを送る。
追跡再開、と。
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