夜這い

「……ッ!」


急速に意識が覚醒し、ベッドから飛び起きる。何か理由があるわけではない。ただ妙な悪寒に支配されたのだ。


ベッド際に置かれた時計を見ると今の時間は午前2時。まだ真夜中だ。


恐る恐る周囲を見渡すが何も異変は無い。いつも通りの狭い俺の部屋だ。

だというのに、俺の背筋に走る悪寒は消えない。まだ疲れの残っているはずの肉体は、活力に溢れ、ナニカに備えている。


(なんだよ、これ)

悪夢を見ただけにしては過剰な反応だ。


異常の真っただ中にいる俺は、酷使した体がバグったと笑い飛ばすこともできない。


そうやって警戒すること数分、かさりと何かが擦れるような音がした気がした。普段であれば気のせいで済ましていた環境音だが、今日だけはそれが妙に気になって、確かめたくなった。


俺は過去最速と断言できる速さでベッドシーツを捲り、眼前の空間に投網のように投げかけた。


それは不思議なことに、空間にあるナニカに引っかかるように止まり、立体を形作った。俺にはそれが人型に見えた。


「うおっ……!」


家で寝ていたら透明人間に見られてた。俺はそんな恐怖体験に悲鳴交じりの掛け声を上げ、人影に前蹴りを見舞った。


体重を乗せ、押すように放った蹴りは、人影をシーツもろとも壁に叩きつけた。

だが俺はそれを見ることもなく、玄関の扉に飛びついた。


(見つかった……!)


俺には襲撃者の正体に心当たりがあった。俺の予想通りの相手なら生身の蹴り程度でダメージを受けたりはしない。あいつが体勢を崩しているうちに逃げなくては……!


俺は焦りから震える手で扉の鍵を解除し、ドアノブを開く。だが――


「開かねえ!」


何度も扉を開こうとするが、ロックが掛かっているようにガンガンと不快な音を立てるだけで、一向に開く気配は無い。


「無駄。ドアはロックしてるから」


騒がしく音を立てる俺に侵入者が答えを教えてくれる。その声は、俺の予想に反して若い女性の声だった。

だがその声音は苛立ちからか低く、俺を押しつぶすような威圧感を伴っていた。


壁に叩きつけられた侵入者はその身に纏うシーツを剥ぎ取り、地面に放り捨てた。


白いシーツの下から現れたのは白く透き通るような裸体だった。


女性らしく膨らんだ胸部も隠されることなく晒された下半身もそのすべてが見えている。全身に入れられたタトゥーが彼女の肢体を彩っていた。


魅力的な肉体の上に乗っているのは美麗な顔と真っ赤な長髪だ。モデルでもしてそうな整った顔だが、今は、頬に刻まれた牙のような赤いタトゥーが彼女の機嫌を表すように歪んでいた。


「それがアンタの能力?小癪すぎでしょ。玉斬り落とせよ、クソ野郎!」


その身に宿す激情を表すように震えていた声は、すぐに恐喝へと変わった。俺に叫び散らかした彼女の目には隠しきれない殺意が宿っている。



なんて理不尽な話だ。自宅に不法侵入してきた初対面の侵入者にボロクソに罵られている。だが今分かることは一つ。彼女は死ぬほど短気で激情家だということだ。


「……お、おい、待て待て待て!話し合わないか?不幸な行き違いがあったみたいだ」


両手を突き出し、なんとか彼女を落ち着かせようと必死に言い訳をする。腰も引けて無様この上ない様子だがそれを気にするような余裕は無い。


冷静に考えれば相手を煽っているだけだが、今の俺にはそれに気付くことが出来なかった。気づいたとしても後の祭りだ。もう言ってしまったし、それを聞いた彼女は明らかにキレてる。


「その話ってアンタの指をねじ切りながらでも聞ける?」

嫌に穏やかな笑顔を浮かべながら彼女はこてんと頭を傾げた。


見惚れるような笑顔だが話している内容があまりに怖すぎる。指をねじ切るなんてギャングでも言わないだろ。あと表情がコロコロ変わって怖い。多分感情はずっと怒り一色なのも怖い。


彼女は俺の恐怖をあおるように嗜虐的に笑いながら、ゆっくりと歩み寄って来る。扉からは逃げられない。可能性があるとすればリビングにある窓だ。あれは電子制御されていないただの窓ガラスだ。思いっきり殴れば割れる。


問題があるとすれば窓は彼女の向こう側にあることぐらいだ。俺は彼女の顔を改めて見る。ただの中華料理店の新人アルバイトに一杯食わされたのが頭に来たのか、俺を無事で逃がすつもりは無さそうだ。それを見て、ようやく覚悟が決まった。


腰を落とし、半身になる。先ほど彼女を蹴り飛ばしたときの感触は明らかに生身ではなかったが、全身を機械に置換しているわけではないのか、体重は俺の方が重い。


(それなら……!)

地面を蹴り付け、一気に加速する。短い廊下を疾走し、彼女を下からすくい上げるようにタックルをかます。


(持ち上げれば、力も関係ない!)

少し殴られるかもしれないが窓を突き破るまでの我慢だ。ここは3階だが彼女をうまく下敷きにできれば生きて着地できるかもしれない。


そんな運に頼り切った策とも呼べない博打は、その第一歩で躓いた。


「ばぁか」

仕返しとばかりに繰り出された前蹴りが俺の顔面を捉え、吹き飛ばした。俺は床を転がり何度も頭をぶつけながら元居た場所に押し戻される。


「あ、があッ……!」

顔の中心がじんじんと熱を持ち、脳に激痛を訴えかけてくる。鼻の奥の血管が切れとめどなく血が溢れてくる。


痛い痛い痛い痛い!

あまりの痛みに顔を抑え、立ち上がることが出来ない。


浅はかだった。真正面から立ち向かうなんて無謀そのものだ。そう後悔してももう遅い。俺の唯一の策は砕けた。後はイカれた女に拷問されて泣き喚くだけだ。


「今から突進しますみたいな体制しておいて、アタシを攻撃できると思ってたの?ねえ?アンタの中でアタシってそんなに弱いのかなあ!?」


女が何かを喚いているが何も聞こえない。言葉の意味を解する余裕は無かった。俺の中にあるのは諦観と絶望だけだった。


だが、殴られた肉体は俺の心とは裏腹に熱を帯び、内から溢れ出しそうなほどのナニカを内包していた。


「……チッ。つまんないわね」

何も言い返さない俺に興味を削がれたように女はぼそりと呟いた。それでも俺を見逃す気は無いらしく、倒れ伏す俺に手を伸ばす。

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