お誘い

都市の最外縁部は住宅地だった。時間帯も相まって人通りはなく、荒野の風で荒れた建物群は無人の廃墟のようだった。


碌に整地されていない道を通っていくと、だんだん人通りも増え、飲食店らしきものも見えるようになってきた。


建物の合間にはネオンで彩られた広告らしきものが目に入る。それは卑猥なものや、聞いたこともなく、用途も不明な製品の広告もあった。


「すげえ…」


上京したての田舎者のように街並みを見渡す。

この場所を一言で表すとだ。錆びた鉄と煤けた布で開かれた屋台もあれば、数万人を優に収容できるほどの桁外れに巨大なビルもある。


足を止めると、ここまで歩いてきた疲れが一気に溢れ出してくる。熱気を感じ、検査着のような服の襟を仰ぐ。


この都市は夜にも関わらず暑い。南国のような気候に合わせ、道にはヤシの木が等間隔で植えられ、コンクリートと鉄だけの都市を緑で彩っている。


道路には武装した車両やバイクが走り、ホログラムの信号が淡く光っている。

信号を待つのは、スーツに身を包んだ社会人や制服姿の学生たちだ。彼らはホログラムの誘導に従い、横断歩道を渡っていく。


だが決して治安がいいとは言えない場所だ。横断歩道を渡った先には、数個のベンチと自販機が生け垣に囲まれた休憩所があるが、今は封鎖されている。


小さな休憩場所は、真っ黄色のホログラムの線で囲まれ、人が入れないようにされている。その中には制服を身に着けた警官らしきものが、地面に倒れ伏す血まみれの人間を観察していた。


だが誰もそれを珍し気に見ることは無い。平和そうな顔をして談笑する学生も疲れ切った社会人も何も無いようにその横を通っていく。話題に出すこともない。


それだけで、この光景がありふれたものなのだと分かる。


例外があるとすれば、警官を見て歩く道を変えたやせ細った男や、僅かに緊張を露わにしたサイボーグの大男だ。明らかに堅気ではない。

そんな悪人の姿があちこちにある。


建物の玄関口には、ぶつぶつと意味のない言葉を呟きながらよだれを垂らす男の姿がある。

(治安悪すぎるだろ……)


俺もまた、警官に見つかるのは好ましくない。なにせ事故現場から逃げ出した逃走者だ。俺は事故現場から離れ、巨大なビルとビルの合間にある通りに入り、端にある屋台に近づく。


地面に布を引き、その上に機械の部品や錆びた銃器を売っており、お世辞にも繁盛しているとは言えない。


「あのー」

地面に座る店主に声を掛ける。だがその声は、段々と窄んでいった。別に緊張していたわけではない。ただ、店主の外見が怖すぎたからだ。


少年の呼びかけに答え、顔を挙げた店主の顔には目が4つあった。それは、目とも言えない丸いゴーグルを並べて埋めたような歪な瞳だった。

4つのカメラアイがじろりと少年の全身を眺める。


「カネはあんのか?」

「え?」

「……消えろ」


低い、呟くような声が聞き取れずに、聞き返したが、店主はそれを動揺と捉えたようだ。金がないと判断された俺は追い返され、店主は再び俯いた。


その後、何度か声を掛けたが、店主が答えることは無かった。俺は店主から情報収集することを諦め、行き場も無く、再び通りを歩き始めた。


少年は通りを歩きながら、道行く人を眺める。先ほどの店主のように、体の一部が機械に置き換わった者や鎧のような頑丈な服に身を包むものもいる。

服装もバラバラで、派手なネオンの装飾を身にまとった人もいれば、スーツ姿の人もいる。


俺は異国情緒あふれる光景に面食らいながら、周囲をきょろきょろと見渡す。その挙動不審な様子がカモに見えたのか、自分に近づく姿があった。


人波に逆らって近づいてきた男は、少年の真横を通る。すれ違いざまに、少年のズボンのポケットに延ばされた腕を、少年は無造作に掴む。


「いっ…」


気付かれると思ってもいなかったのか、男は動揺の声を漏らす。俺は男の顔を見て、腕を放す。


今の俺以上に簡素で薄汚れた服装をした男の顔には、無精ひげが伸びきっていた。常識のない俺にも分かるほど、男の姿は典型的な浮浪者だった。


解放された男は、一瞬、こちらを睨みつけ、雑踏の中に消えていった。俺が男の腕を放したのは、同情心からではない。ただ、スリをどうすればいいのか分からなかったからだ。


「…はあ」

取られるようなものはないが、スリに狙われるのは気分が悪い。

少年は、スリ一人にすら対処できない知識の無さに、うんざりする。なるべく早く、この都市のルールを覚えなければならない。


「大丈夫だった?」

歩き出そうとしていた少年に、声を掛ける者がいる。俺が声の主に目を向けると、そこにいたのは、派手な服装をした若い金髪の女性だ。波打つような長髪を背中に流している。


体に密着するような服を着ており、太もものスリットや、わき腹や胸元が空いた姿は、ひどく扇情的だ。


当然、見覚えはない女性だ。そもそもこの都市すら知らない俺に知り合いはいない。失礼と分かっているが、返事を忘れ、怪訝な表情を浮かべてしまう。


「ここら辺はスリが多いから。あれに気づけたってことは良いパーツを付けてるのね。若いのにすごいわ」


パーツ。意味は分かるがこの会話の流れで出してきた意味は分からない。困惑しそうになるが、表情が変わらないように取り繕う。

女性の話し方から考えると、常識的な内容だと察したためだ。知らないと知られれば、追及されるかもしれない。


「まあ、似たような感じ」

イエスともノーとも言えず、曖昧な返事をするが、女性は気にした様子もなく、妖艶に微笑んでいる。


「何か用ですか?」

少年がそう尋ねると、今度は女性が驚きの表情を浮かべた。そんなことを聞かれるとは思ってもいなかったという顔だ。


だがすぐに艶美な笑みを浮かべ、少年の腕に触れる。

「野暮ね。……今夜はお暇?よかったら私はどう?」


しなやかな指が甲をなぞり、背筋に微かな刺激が走る。その誘うような仕草で、少年は女性の要件を悟る。


「…すいません。今手持ちがなくて」

そう言って、彼女の誘いを断る。別に、ウソではない。事実、俺は一文無しだ。


「そう、残念。また今度ね」

断られたことに気分を害した様子もなく、女性は柔和な笑みを浮かべたまま、少年の手を開放する。

彼女は軽く手を振り、人混みの中に消えていった。

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