アンナ視点

大変不敬ながら……1


※ 本編後半(書籍二巻以降相当)のネタバレ有り


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 アンナ・ミーベルトの一日は、主君ソフィーナ・ハイドランド・カザック王太子妃の朝の身支度を手伝い、朝食を運ぶことから始まる。

 実のところソフィーナは今カザレナにいないわけだが、だからこそ不在を隠すため、できるだけ普段通りに、侍女の役目をこなさなくてはならない。


 その日の朝も、アンナは“ソフィーナ”用の食事を受け取りに、王宮の厨房を訪れていた。窓から吹き込む、夜の冷えを残した風に乗って、奥の調理室からパンや燻製肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。

 その手前、下ごしらえなどをする部屋の片隅に、新顔の背の高い男性がいて、野菜の皮を剥いていた。

「なかなかいい手つきじゃないか」

「刃物には慣れてますから」

「いやあ、皮がぶ厚すぎる。食べるところがなくなっちまうぞ」

「ええー、そこまでじゃないでしょー、厳しすぎですって」

 調理師たちから声をかけられて明るく応じている彼は、実は騎士だそうだ。先日、ソフィーナの食事に毒が混入されそうになり、その対策の一環として騎士団から派遣されてきた。


 騎士と聞くと、真っ先に戦闘や護衛などの武をイメージするけれど、カザック王国騎士団には、様々な問題を解決するための情報の収集や分析、対策の立案などの知を担う騎士たちも多数いて、彼はそういう小隊の一つに所属しているらしい。

(ハイドランドとは全然違うと、ソフィーナさまが仰っていたっけ……)

 騎士団、軍だけじゃないとも。この国には外交や内政などそれぞれに担当の大臣がいて、かなりの権限を与えられている。基本王がすべてのことを裁可する仕組みになっていて、分掌がまったく進んでいないハイドランドとは大違いだ、と呟いていた。

(そういう政治とか駆け引きとかには目敏いし、強いのに……)

『愛されてなんかいないわ』

 カザレナの城から出ていくと告げた時のソフィーナの泣き笑いを思い浮かべて、アンナはため息を吐き出した。


 フェルドリックの中身が見た目のような王子さまでは決してないこと、しかも相当癖がありそうだということは、アンナだって気づいていた。

 護衛騎士たちとフェルドリックのやりとりもだが、何より彼はソフィーナには猫を被っていなかった。ソフィーナのほうも、影でも面と向かっても、腹黒だの、性悪だの、我がままだの、そのうち刺されるだの言っていたし。

 けれど、それもこれもお互い気心が知れているからこそだと思っていたのだ。

 フェルドリックはずっとソフィーナを目で追っていたし、ソフィーナと話す時だけしか見せない顔がいっぱいあった。彼はソフィーナを前に、良くも悪くも多彩な表情を見せる。アンナなどに向ける笑顔は作ったものだと、その様子を見ていたらすぐに分かるぐらいに。

 ソフィーナだってそうだ。彼以外の人に、あんなふうに子供みたいに言い返したり、舌を出したりしたことなんて、一度としてないはずだ。

(お二人とも聡明って評判なのに……)

 もう何度目かわからない愚痴を胸に、またため息をつく。

 アンナに思い込みがあったのは確かだし、申し訳なくも思っている。けれど、二人してそんなふう――率直に言ってしまえば、あそこまで鈍くて不器用だなんて、想像できるわけがない。


「ロデルセン、おまえ、仕事はどうしたんだよ?」

「これも仕事の一環だよ。異物の混入可能な経路やタイミング、手法の検討――一通り工程を知っておかないと見落としが出る。……ってカッコつけてみたけど、それが終わったら、暇で暇で。退屈で死にそうになったんで、頼み込んで手伝わせてもらってるんだ」

「まあ、一番重要な仕事は騎士がここにいるってことだし、そんなもん……じゃないだろ。フィル並みの適応力だぞ、それ」

 最近ずっとアンナに付き添っている大柄な騎士エドワードが、野菜の下ごしらえをしている騎士と話して笑っている。どうやら顔見知りらしい。


 ソフィーナの食事に毒物を混入しようとした犯人は既に捕まって、大々的に処罰された。また、この厨房に勤める者をはじめとして、事件に直接関与しなかった者も、素性や交友関係を厳しく洗い直されたと聞いている。

 そうして事件は一見、幕を下ろしたかに見えるが、水面下では犯人の背後関係の調査が粛々と、だが厳しく進められているらしい。

『まず間違いなくシャダの醜女がいる――とことん追い詰めてやる』

 そう吐き捨てた時のフェルドリックの冷たい顔を思い出して、アンナは眉根を寄せた。

(私には言われるままになっていらっしゃるのに)

 ソフィーナをカザレナから逃がすと決めた時、アンナは死を覚悟した。

 どうせ死ぬなら、その前に大事なソフィーナを傷つけたフェルドリックに言いたいことを思いっきり言ってやろうと開き直った。

 以降、言いたい放題やりたい放題しているのに、彼はそれを咎めることも言い返してくることもなく、不機嫌になることすらない。


(それどころか、逆にものすごく気を使われているのよね……)

 アンナは眉間の皺を深くする。

(認めたくはないけど、やっぱり優しい、わよね? 臣下どころか、私を含めた使用人の立場の人にまで……)

「フィルの場合、適応とは言わないだろ。ひたすら我が道を突き進んで、でもしぶといから死なないだけ」

「ひでえ。合ってるけど」

 事実、王宮で働いていて、フェルドリックを嫌う人に出会ったことがないし、このエドワードだって、フェルドリックの命令でアンナの護衛としてわざわざ騎士団から派遣されてきた人だ。


 だから本当のことを言うと、ソフィーナの不在を隠すと彼が言った時も、アンナは驚かなかった。

 城の皆から慕われ、ソフィーナを逃がしたアンナのことも庇ってくれるような人だ。

 ハイドランドとカザック、どちらにいることを望むにせよ、勝手に城から出ていったことはソフィーナにとって不利にしかならない。フェルドリックなら、無理を押してでも彼女の不在を隠してくれるのではないか、となんとなく思っていて、事実その通りにしてくれた。

 アンナがソフィーナの代役を務めると言い張った時は驚いて、『君はソフィーナにとって、ただの侍女じゃない。乳妹であり、大切な親友でもあるはずだ。危険な目に遭わせられない』と、最後まで反対していたが。


 つまり、優しいだけじゃない。フェルドリックはそれぐらいソフィーナを大事に思っている――まったく伝わっていなかったけれど。

(……ああ、うん、ソフィーナさまの比じゃないわ。あの方の鈍感さや不器用さは、いっそ馬鹿と言っちゃっていいレベル)

 不敬極まりないことを考えながら、アンナは口をへの字に曲げた。ソフィーナがしょっちゅうやる癖だ。メリーベルさまに事あるごとに注意されていたその癖は、いつの間にかアンナにも移ってしまっている。


「そんな器用なら、いっそこっちで雇ってもらうのはどうだ?」

「変なこと言うなよ、エド、誘惑されるから」

 エドワードのからかいを含んだ声に、調理師の白い制服を着た騎士が真顔で応じた。エドワードが「誘惑されるのかよ」と吹き出す。

「第二十小隊長の人使いの荒さと横暴っぷりは、全騎士の知るところだろ……アレックスが小隊長やってた頃は、まだましだったんだけどさ……」

「あー、王に次ぐ嫌な職ってぼやいてたらしいから、もう絶対戻らないだろうな」

「よし、やっぱ再就職先を確保しとこう。サジェスさーん、騎士やめたらここで世話になっていいー?」

「無駄口ばっか叩いてないで、働けっ」

 厨房の奥から怒鳴る料理長の声は、それでも笑いを含んでいる。


「おはようございます、サジェス料理長」

「やあ、アンナ。……今日はデザートもつけたよ。砂糖漬けのツルコケモモを入れたシャルギだ。好きだろう? それだけでもいいから、頑張ってちゃんと食べなさい」

「……」

 奥の調理室をのぞいたアンナは、微妙に顔を曇らせた料理長から優しく声をかけられて、気まずさで声を詰まらせた。

 ソフィーナの代役を務めているアンナは、そうとばれないよう、ソフィーナに供される食事をとることになっているが、食欲がなくて、本当はあまり食べられていない。

 残して、優しい料理長をがっかりさせるのが嫌で、護衛のエドワードや他の騎士たちに頼み込んで、その多くを食べてもらっているのだが……。

「エド、お前たちもそこは甘やかしてはいけない」

「……すみません」

「違うんです、サジェスさん、エドワードさんも他の騎士のみなさんも精いっぱい励ましてくださっています。本当に私のせいなんです。ごめんなさい、美味しいお食事なのに……」

 揃ってしょんぼりしたエドワードとアンナに、料理長は「詳しい事情は知らないが、」と苦笑を見せた。

「妃殿下のことだ、どこかで頑張っていらっしゃるんだろう。そんな中、君が倒れたらきっと悲しまれる」

「……はい」

 優しいその目に、自分の具合が悪くなった時、どっちが主人かわからないぐらい心配してくれたソフィーナを思い出した。鼻の奥がつんとした。


「ところでアンナ、そろそろ食材がなくなるんだ。適当に、というか、自分の食べたいものを市場で見繕って買ってきてくれ」

「え……」

 毒の混入未遂が起きてから、ソフィーナに提供される食事は、食材の調達から調理まで、すべて料理長自らが行うことになった。

 実際に食べるのはアンナなのだから、多忙かつ国一番の料理人である彼にそんなことをしてもらう必要はないと言ったのに、誰も――料理長本人もフェルドリックも国王・王后両陛下すらも耳を貸してくれなかった。

 戸惑うアンナに、カザックの人たちは皆不思議そうな顔をした。この国の偉い人たちの多くは、 使用人であるはずのアンナを含めた人々にも当たり前のように気を配る。そのたびに祖国との違いを思い知る。


「フェルドリック殿下のご提案だから、行ってきなさい。安全な食材を得るには、私でなければ、君自身に調達させるのが一番だろうと仰っていた。……とはいえ、真意は君に自分の好物を用意させること、それから街に出して気晴らしをさせることにあると思うけどね」

 本当に困った人だ、とため息をついた料理長に、アンナは目を瞬かせた。

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