春を恋う2

「ありがとう、アンナ……まあ、これ、ハイドランドのキヴィアックではなくて? しかもシルゲ族の模様織……すごいわ、初めて見た」

 お茶とお菓子のお替り、ひざ掛けを持ってきてくれたアンナを見上げて、ナシュアナは目を丸くした。

「アンナの父方の祖母がシルゲ族の出なの」

 知る人の少ない、ハイドランドの少数民族と彼らの特産についてナシュアナが知っていたことが嬉しくて、ソフィーナはアンナと顔を見合わせ、にっこり笑った。

 フェルドリックからナシュアナは王族としての教育を施された人ではないと聞いているけれど、所作も言葉も相手への思いやりに満ちていて品があり、一緒にいて安らげる人だった。

「私、引きこもって本ばかり読んでいたのです。誰も私を気にかけないのをいいことに、お城を抜け出して、デラウェール図書館にも一人で行ったりして……ラーナックに出会ったのもフィルに出会ったのもそこ」

 本の虫だったという言葉通り、彼女はどんな話題にもついていける知識を持っている。同時にそれをひけらかすことのないまま、会話を弾ませることにも長けていた。表情も言葉も素直で嫌みがない。

 楽しくて仕方がなくて、二人でたくさん笑いながら、あっという間に時間が過ぎていく。


 ナシュアナは十二の時にフィルと出会い、直後の剣技大会で忠誠を捧げられるまで、城の片隅で息をひそめるように暮らしていたのだそうだ。

「あの頃は旧王権派が今よりずっと強くて、お兄さまでさえ安心できないような状況でした。私は母が平民だったことで、お姉さまを始めとするあちらの派閥の方たちにものすごく疎まれていて……私、ひたすら逃げていたんです」

 そして、お茶菓子の中にジャム入りのクッキーを見つけて、柔らかく微笑んだ。

「このクッキーがその頃の私の幸せの大半。サジェス、覚えていてくれたのね」

「……このシャルギもよ。カザックに中々馴染めなかった私を心配して作ってくれたの」

 優しい料理長を話題に、ソフィーナはナシュアナと顔を見合わせて、微笑み合う。

 彼女との時間は、さわさわと木立を撫でていく風と同じくらい穏やかだ。


「当時のお兄さまは、私のことを『何らかの方法で戦って自分の身を護る覚悟すらない人間』『相手にする価値はない』と公言なさっていたのです。そのくせ私にも親切にしてくれる近衛騎士を護衛に選んでくださったり、王妃さまと一緒に誕生日プレゼントを選んで、周囲にばれないように手配して届けてくださったり……」

 ナシュアナは茶のカップを口に運びながら、「それも全部後で知ったのです」とため息を吐いた。

「フィルと出会って逃げるのをやめると決めてからは、お兄さまは陰に陽にたくさん助けてくださいました。でもお礼を申し上げても『気のせい』『たまたま』としか仰らないし、王女として必要なふるまいを色々教えてくださるのに、『ただの独り言』と言い張って……」

「……昔からなのね」

(なんなのかしら、あのひねくれっぷり……)

 つられてやはりため息を零したソフィーナに、ナシュアナはいたずらっ子のような微笑を浮かべた。

「まさかソフィーナさまにまでそうだなんて思わなかったです。だって――」



* * *



 傾いた西日の中、帰っていくナシュアナとラーナックを見送ったソフィーナは、一緒に門までついてきたヘンリックに話しかける。

「ヘンリックたちが言っていた通りの人たちだったわ」

「でしょ。殿下が今日フィルに用事を言いつけて、城から遠ざけた理由も理解できました?」

「ええ」

 逃げ損なってラーナックにつかまった場合、そこにフィルがいれば、遠慮も懲りることもない彼女のことだ、ラーナックにいじられるフェルドリックを容赦なく笑っただろう。それだけは避けたかったに違いない。

 その光景がまざまざと想像できて、ソフィーナは顔を俯けると肩を震わせた。

 周囲には門番などもいるのだ、大笑いして太子妃のイメージを損なうことだけは避けなくては。


「ちょっと寄り道をするわ」

「御意」


『投石塔の屋上に、東宮の裏庭のコッドの物置小屋、南宮の噴水のある小さな庭園、中でも一番のお気に入りは――』


 ナシュアナはラーナックから教えられた、幼いフェルドリックがかくれんぼの時にお気に入りにしていたという隠れ場所に足を向ける。

「どうぞ」

「ありがとう、ここで待っていて」

 ヘンリックがソフィーナのために開いたガラス戸の向こうから、温かい風が吹いてきた。冬に入ったとはいえ日差しはまだ弱くない。室内が高温になりすぎないよう、どこかの窓が開いているのだろう。


 小道を進んでいけば、ラーナックの予想通り、温室の中央付近にあるベンチにフェルドリックが不貞腐れたような顔で腰かけていた。

(髪が少し乱れてる……ひょっとしてラーナックに頭を撫でられたのかしら?)

 穏やかでありながら、どこまでもマイペースなあの彼ならそれぐらいやりかねない気がした。

「ソフィ? ナシュアナは帰ったのか? ラーナック、は……?」

「二人ともお帰りになりました」

(本当にラーナックが苦手なんだわ、あんなに優しいのに……なるほど、神々しい彼と悪魔なフェルドリックは相性が悪いのかも)

 警戒を露わにしていたフェルドリックが、ほっとしたような表情をみせた。それに気付いて、ソフィーナが思わず人の悪い笑みをこぼせば、悟られたのだろう、彼はますます不機嫌になった。


「何を話した」

「気になるならおいでくだされば、大歓迎でしたのに。ナシュアナも寂しがっていました」

「大歓迎の意味が分からないとでも……?」

「本当に残念です――からかわれるフェルドリックを見てみたかったのに」

「……次も絶対に行かない」

 口を尖らせたフェルドリックにソフィーナはついに耐え切れなくなって、笑い声を漏らす。


 温かい風が首筋を柔らかく撫でていく。

 ふと、温室の一角、春にフェルドリックが膝を折り、手ずから花を摘んでくれた区画に目がいった。瑞々しい黒土が見えるそこには、既に春咲きの球根が植えられているようだ。


『お兄さま、知識だけはお持ちだけれど、本当はお花に興味、まったくおありじゃないの。だから執着も。なのに、ドムスクスから取り寄せたチューリップだけは別だったご様子で』


「あのチューリップ」

「…………が、どうした」

 フェルドリックが一瞬息を止めた。が、次の瞬間、彼は興味なさげに明後日の方向へ視線を動かす。

「……」

 ソフィーナがそのまま黙っていれば、ベンチの背もたれにかけた右手の人さし指が小さく音を刻み始める。ちらっとこっちを見たことにも気づいた。

「来年も咲くかしら」

「コッドに抜かりはない。数を増やすことにも成功したそうだ」


『誰にねだられても一輪も渡さなかったし、球根を、という話もすべてお断りになっていたわ。私はおろか王后さまのお願いでもダメ』


「私も育ててみたいのですが」

「――ダメだ」


(…………ナシュアナの嘘吐き)

 ナシュアナの話に、自分はフェルドリックに特別扱いされているのではないかと淡い期待を抱いた。だが、にべもなく断られて、やっぱり思い上がっていたと悟る。無性に恥ずかしくなって、ソフィーナは顔を伏せた。


「咲いたら届ける」

「え」

 顔を跳ね上げれば、視線の先のフェルドリックは相変わらずの仏頂面でそっぽを向いている。けれど、金の髪の合間から見える耳は、まるで色づいた蔦のように染まっていた。

「……く、ださる、私に?」

「欲しいならな」

 愛想の欠片もなく鼻を鳴らして、フェルドリックはベンチから立ち上がる。


「おいで」

「え、あ、」

「王后陛下に呼ばれているだろう、僕もだ」

(行き先が一緒だからって、手をつなぐ必要は別にないと思うけど……)

 そう思いつつ、ソフィーナは差し出されたフェルドリックの手に自らの手を重ねた。触れ合う場所から、温かみが広がっていく気がする。

「……なに笑ってるんだ」

「フェルドリックこそ」

「僕は笑っていない」

「じゃあ、私も笑っていません」

「……相変わらずかわいくないな」

「フェルドリックも相当です。ああ、でもラーナックはそここそがかわいいと」

「っ」

 ピキリと音が立つようにフェルドリックが顔をこわばらせたのを見て、ソフィーナは小さく舌を出す。弱点発見だ。

「私も彼を見習って早くかわいいと思えるようにならな――」

「くていい」

「……手遅れかも。今既に少しそう思ってます」

「っ」

 自身顔を赤くしつつ、フェルドリックへからかいを投げてみれば、彼は空いているほうの手で顔の下半分を抑え、そっぽを向いた。

 そのくせ握り合っている手は放さない――。


 ソフィーナは口元を緩め、その手を強く握る。そして、背後を振り返った。

 華やかな温室の中、土だけが見えているあの場所に花が咲いたら、きっとフェルドリックは約束を果たしてくれる――そんな予感と共に。







(了)



* * *


 書籍「冴えない王女の格差婚事情1」が出版されました。

 今巻の内容は、ソフィーナのカザレナ脱出まで。次巻は春に刊行予定です。


 完全新規の加筆――婚姻の申し込みのあったハイド王城から、ハイドにやってきたフェルドリックの『プロポーズ』やら、ソフィーナとフェルドリックの図書館デート(?)やら、ソフィーナが城を出た直後のフェルドリックVSヘンリック&アンナやら――が全体の20%弱、その他各シーンでの大幅加筆はもちろん、フェルドリック視点もそこかしこに。


 ソフィーナ・フェルドリックそれぞれの視点のweb版と基本矛盾はないはずですが、(ソフィーナを軸に)両者視点で物語を進めるので、また違う印象になるかと思います。

 それはそれで面白そうじゃない?という方は、手に取っていただけると幸せ!です。

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