ユデガエル

 手始めに、フェルドリックはソフィーナに宛て、ドレスだの装飾品だの宝石だの香水だの、女性が欲しがりそうなものをあれこれ贈った。あまりに生意気だったから、ついでにハイドランドとの差を見せつけてやろうと思ったのも確かだが、案の定察しのいいソフィーナは、その意図をすべてちゃんと理解して、いっそ称賛したくなるくらい、どれもこれも微妙な顔で受け取った。

 他への適当な贈り物とは違って、彼女に対するものだけは、ちゃんと彼女に合うよう自ら手配したというのに、どうでもいいと顔に書いてあった。あれほど棘と白けを含んだ「ありがとうございます」を、フェルドリックは人生において他に聞いたことがない。


 ソフィーナのことだ、どうせ人が困るような予算の使い方はしないと思ったから、面倒になって「自分の好みに合わせて好きに使え」と告げた。それに対する答えは、「必要な時に」――口元だけの笑みと軽蔑の視線がセットだった。ここで軽蔑まで付け加えるところが、倹約家で民思いの彼女らしい。王族の鏡だ。


 挙句、最後には「多すぎる」と断られたが、贈り物もされない妃だと言われないように、という意図も一応あるにはあったのだ。あれほど有能だというのに、それが全く理解できず、ソフィーナをそんな扱いを受ける妃だと思いたがっている性悪が、山ほどいるのは知っていたから。

 多分その辺もすべて彼女に伝わっている。なにせ拒絶の際、「“一部”を奨学金に」と言ってきたから。本当に聡明で、冷静で、爽快になってくるぐらいフェルドリック限定で可愛げがない。


 その頃にはシャダが旧王権派の貴族どもに接触を図ってきていたから、油断を誘うために鬱陶しい連中とも付き合わざるを得なかったが、社交の場でも共にいる限り、フェルドリックはソフィーナを尊重して見せたし、ダンスも最初は必ず彼女と踊った。

 フェルドリックが彼女を人前で褒めるたびに、予想通り彼女は胡散臭いものを見る視線を向けてきたし、一緒に踊っていてもにこりともしない。

 だが、そうしておけば、周囲の頭の悪くない連中は、フェルドリックが彼女を妃として尊重するつもりだと察するはずだ。見たいものしか見ない馬鹿どもには生憎と理解できないようだったが、おかげで人の判別もできた。実に役立ってくれたが、それで文句も言わない彼女を見ていると、つくづく嫌な立場に生まれたものだ、という気になる。そこにつけ込んだ自分が言っていいことではないのだが。


 遊び半分で人を殺しかけておきながら笑っていられる、上の異母妹を始めとする貴族たちからは、目を離していない。夜会などでは常に監視を入れていたし、バルコニーなどに出た場合に備えて、会場外にも人を配置している。

 他人を思いやれる彼女は人として尊い。そんな人を、人の皮を被った化け物どもに踏みにじらせるのは、死んでも嫌だった。

 身体的な危害以外は、彼女のことだ、なんとでもできるだろう、と思って見ていたが、実際その通りで、手並みも実に鮮やか。助けを求められれば介入する気はあったが、フェルドリックどころか、他の誰に助けを求めることもない。社交は得意ではないと言っていてそれか、と感心と呆れを覚えた。

 ちなみに、その辺も全部ばれていた。目が合うごとに、彼女はフェルドリックを睨んできたから。なのに、大抵嫌味の一つ二つで流してしまう。やはり信じられないほどのお人好しだった。


 夫婦の関係になる気はないとはっきり言われたが、寝室にはちゃんと通った。無理強いすることに気が乗らなかったフェルドリックとしては、ある意味助かったし、彼女がそう望むならそれでいいと思っているが、まったく訪れなければ、わざわざ周囲に不仲を喧伝するようなものだ。そんな愚かなことをする気はない。


(子供ができなければ、いずれがちゃがちゃ言う奴らが出てくる……面倒だな。いっそアレックスのところから養子を迎えるか。ソフィーナならうまく育てるだろう。だが、アレックスはともかくフィルの血……は、さすがに心労がかかりすぎるか。じゃあ、ナシュアナのところ……)

「……」

 深夜、ベッドの隣でソフィーナが動いて目を覚ました時には、そんなことを考えていた。

(……平和すぎるだろ)

 さすが「愛人を作ってそちらと子を為せ」と初夜に言い放った人間と言うべきか、思案の元凶を作った本人が、横でスースー寝ているのには、本気でムカついたが、まあ、そう望むなら好きにすればいい。子どもができないことを差し引いても、これほど有能な妃は存在し得ない。

(というか、ここまで有能じゃなかったら、僕に目を付けられることもなかったんだ――)

 夜の暗がりは、心の底に隠している闇をも引っ張り出すらしい。横で眠る彼女の白い額へとフェルドリックは手を伸ばし……、

「……」

 触れる寸前で思い直すと、彼女に背を向け、毛布を被った。


 護衛にはフィルとヘンリックをつけた。あの2人は能天気(が過ぎて、馬鹿じゃないかと思う時もしょっちゅうだが)で人懐っこく、「こいつら大丈夫か」と真剣に疑いたくなってくるほど裏がない。常に一緒にいる護衛が気を使う必要のない人間というのは、異国で暮らす生真面目な彼女とその乳妹にとって悪くないはずだ。

 魔物じみているフィルは言わずもがな、ヘンリックの護衛の腕は、警護/守備を得意とする第3小隊でも指折りのはずだ。

 太子妃としての価値もだが、他人のために自分を押し殺してでも義務を果たそうとする人を、シャダなどの手にかけさせる気は毛頭なかった。

 ちなみに、2人のフェルドリックへの対応を見て、最初蒼褪めていたソフィーナは、そのうちに感化されたらしい。思わずというように「胡散臭い」だの、「性悪」だのと面と向かって口にするようになった。閉口しないわけではないが、事実だと自分でも思うし、何より本音をこぼすことで少しでもストレスが減るなら、好きなだけやればいい。


 そうこうするうちに、彼女が本来表情豊かだということに、否応なく気づかされた。

 彼女はとにかく良く笑う。結婚祝いに城の前に集まった民衆を見ながら、アンナとたわいのない話をしながら、フォースンと仕事について話しながら、フィルたちの馬鹿さ加減に振り回されながら、料理長や庭師、洗濯係の老婆やどこぞの貴族の従僕と話し込みながら、カザレナの街明かりを見ながら……。フェルドリックが見るのはいつも横顔だが、裏がないとわかる笑顔は、見ていて悪くない。

(王族なんかに生まれなかったら、ずっとこうやって笑っていられたんだろうな……)

 そして、いつからかそんなふうに思うようになった。


 次第に、笑顔以外の表情も色々目にするようになった。

 人と話して、疑問があれば首を傾げ、からかわれた時は演技めかして怒って見せ、いたずらでもしたかのような表情で首をすくめる。

 主にフェルドリック相手だが、顔をしかめ、鼻の頭に皺を寄せ、こちらが目を逸らした隙には嫌そうな顔で舌を出したり唇を横に広げて歯を出したりもする。刺すような目で睨まれることは日常だ。

 相変わらず嫌われていることに変わりはないし、子供か、とも思っているが、カザレナに来たばかりの頃のように、張り詰めた空気ではなくなってきたことに、フェルドリックは密かに安堵していた。


 面倒ごとを避けるためにも、楽しく過ごせるなら、ぜひそうしていただきたいと本気で思っている。彼女の立場に同情もしていて、可能な限り自由にしていてくれ、とも。

 だが、逆に言えばそれだけのことだった。



 なのに――

「ふふ、かわいい」

 彼女が自分を見て笑った、あの瞬間から何かが狂い出した。

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