千慮一失

「自覚はあるだろうが、」

「あるから黙ってろ」

「この上卑怯を重ねる気か? 従弟としても、騎士としても、看過しがたいから続けさせてもらおう――最低極まりない上に、愚かすぎる。よくもあそこまで悪手を打てるものだといっそ感心する」


 ハイドランドからカザックへ戻る馬車の中、窓の外へと意図的に顔を向け、ハイドの街並みを眺めていたフェルドリックは、目の前に座る従弟のアレックスから痛烈な罵倒と皮肉をぶつけられて眉根を寄せた。


「悪手? 昨晩のことなら、僕は事実しか言っていない。シャダをけん制できて、セルシウスから懐刀を奪える。彼女自身、分別があって賢く、理性的。知識にも機知にも富んで、会話もうまく、必要に応じて他人を制す能力もある。その上、政務までセルシウスレベルでこなせる。あの年で、だぞ? 無駄に着飾ることでしか、威厳を示せない馬鹿な父王や姉姫と比べて、存在感からして明らかに違う」

「……“着飾らせる必要がない”?」

「ああ。ハイドランドの民衆だって知っている。理解できないのは、愚か者どもだけだ」

 座席の背もたれに背を預け直し、尊大に言い返せば、アレックスは絶句した後、「その通りだが、そういうことじゃない……」と唸った。


「なにも間違っていない。教養? 品位? 作法? どれも彼女は素晴らしい。当たり前だろう。賢后の血を引き、手ずから育てられた王女だぞ。言及するほうが失礼だ。あとは、見た目の話か? 地味だし、普通としか言いようがないけど、それがどうした。彼女の中身の前ではどうでもいい話だ。もともと僕は外見なんざ、誰に対してだって、欠片の興味もない。何の役に立つんだよ? むしろあったら害悪だ。姉姫のあのおぞましさを見ろ」

「実に説得力がある、お前こそ人のことを言えないものな。わかった、色々問題はあるが、お前がその辺を言う必要がないと判断するなら、百歩、いや一万歩譲っていいとしよう。だが、最後の一言は?」

「……」

 痛いところを突かれて、言葉を詰まらせる。

「その顔、失言の自覚があるわけだな――傷つけたことも」

 従弟が静かに見せた激高に、フェルドリックは顔を歪めた。


 彼の怒りより何より、秋バラの香る庭園で月光の下、自分を見つめてきたソフィーナの顔が蘇って、呼吸が浅くなる。

「…………僕が不満だと言うなら理解する。だが、あんな毒にしかならない醜い姉姫なんかを代わりに勧めてきたから、意趣返ししてやっただけだ。気位の高い人だし、プライドは傷ついたかもね。けどお互い様だろ」

「傷ついたのはプライドじゃない」

 睨むアレックスを、顔を皮肉に歪めつつ「恋心とでも言う気か」と鼻で笑った。

「なにか勘違いしてないか? 恋愛感情なんて僕たちのような立場の人間には邪魔でしかない。僕もだが、彼女もそう承知しているはずだ。それで判断を鈍らせた無能な王が歴史の中にどれほどいた?」

 傲然と言い放ち、フェルドリックはアレックスから顔を背ける。


 視線の先に、ハイドの街の特徴というべき美しい水路が見えた。岸辺の柳は色づいき、黄金の糸のように風に靡いている。


「俺はお前が彼女に惚れたんだと思っていた」

「くだらない」

「なら、彼女にこだわる必要はないだろう。今後西大陸との付き合いが進展することを考えれば、国家間の条件としては、海洋諸国連合のほうがはるかによかったはずだ。能力的にはソフィーナ殿下に劣るが、あちらから申し出のあったミーデス殿下も控えめで優しい方だ」

「さっきも言っただろ? ソフィーナ・フォイル・セ・ハイドランドの資質こそが、何にも代えがたいと判断したんだ。国? 海洋諸国連合の王は野心的過ぎて面倒だろうが。ハイドランドはその点も問題ない――セルシウスだけは食えないが」

「ああ、今回の縁談も散々邪魔されたんだったな。ソフィーナ殿下と公爵家の嫡男との縁談を推し進めていた、と。だから、こんな強引な手を取らざるを得なくなった――それほど執着しておきながら、なぜああなる」

 あの人外生物にも即応できる適応力と寛容さがあるアレックスが見せ続ける静かな怒りに、フェルドリックは右の口の端だけを奇妙に吊り上げる。


「手に入るならそれに越したことはない。彼女にはそれだけの価値がある。けど、執着? ばかげたことを言うな。あからさまに邪魔するわ、あの性悪で醜怪極まりない姉姫を押し付けようとするわで、セルシウスがムカついたから意地になったのは認めるが」

「……」

「なんだよ、その顔」

 アレックスは額を抑えると、大きくため息を吐いた。


「“求婚相手の名を間違えるような礼儀知らずに、ハイドランドの至宝であるオーレリアを任せてよいものかと”」

「“フェルドリックさま、わたくしの名をお間違えになるなんて、と食事も喉を通りませんでしたの。でもこうしてお会いしたら、悩みが消えていくようです”」


 謁見した際のハイドランド王と第1王女の頭の悪い言葉を、アレックスは額に手をやったまま再現する。不快な記憶を呼び起こされ、フェルドリックは嫌悪を顔に乗せた。

 あの時、眉根を寄せたセルシウスの横で、ソフィーナは無表情に床を見ていた。

 ――同じ顔をお前もさせただろ?

 頭の中で声が響いて、さらに顔を歪める。


「彼らのあの態度に苛ついて、咄嗟に一目惚れと口にし、面目をつぶして見せた――なら、そのまま認めてしまえばよかったんだ。なぜおかしな隠し方をした挙句、余計な言葉を付け加えて怒らせる? 俺は昨日初めてお前が馬鹿だと知ったぞ」

(なぜ? そんなの、僕が一番知りたい)

 バラの茂みの影から現れたのがソフィーナだと気付いた瞬間、フェルドリックは頭が真っ白になった。理由はわからないが、あり得ない失態だったことに間違いはない。


「メリーベル・アーソニア・セ・ハイドランドの娘だぞ。怒ったのは侮辱に対してだ。あの程度のこと、すべて察して、その上で動くことのできる頭と度量の主だ」

「――さっき見送りに出てきてくださったソフィーナ殿下の顔を見てそのセリフか」

 いったんは開き直ったものの、この世で一番信頼する従弟にひと際低い声で問われ、フェルドリックはついに口を噤んだ。


 沈黙の降りた車中に、歪な路面に軋む車輪の悲鳴が響く。

 馬車はいつの間にかハイドの街郭を抜け、周囲には田園風景が広がっていた。牧歌的な外に比べ、内部の空気は重苦しい。


「…………これまで何度か、彼女とは顔を合わせている」

 フェルドリックは息を吐き出し、射るように見つめてくる従弟の深い青の瞳から目をそらすと、ぼそりと呟いた。

「けど、実務以外の話をしたことはない。親善のための夜会などでも、寄ってきたことどころか、僕を見ることすらなかったし、一度はあからさまに逃げられた」


 メリーベル賢后が亡くなってから、彼女はセルシウスと分担して、国同士の折衝の場に顔を出すようになった。フェルドリックとも何度か会っている。

 だが、彼女は以前一度出会ったことすら、覚えていないようだった。フェルドリックのほうは再会した時、あの小さな少女がついに表舞台に出てきたのか、と警戒の中に一抹の感慨を抱いて話しかけたというのに、顔を引きつらせ、どこぞの令嬢が話に入ってきた隙にさりげなく距離を取って逃げていった。

 興味がないどころの話でなく、好かれていないと薄々察していたが、今回の失態で決定的になっただろう。

 先ほど別れる際、ソフィーナはフェルドリックと礼に則った挨拶を交わしながら微笑んでいた。だが、アレックスの言う通りだ。皆の注意が他に向いたほんの一瞬、彼女の顔からは完全に表情が抜け落ちた。


(あんな顔をさせたのは――)

 フェルドリックは目を強く瞑り、深く息を吸い込んだ。

「わかった、しくじったと認める。彼女は僕との婚姻はもちろん、カザックに来たいなんて欠片も望んでいない。それを騙して丸め込もうとして、あえなく失敗したんだ。姉を勧めてきたのが、彼女の本音だ。その後フォローすることだってできたのに、面倒になって放棄した」

「……」

 呼気とともに一気にそう吐き出せば、きつい目をしていたアレックスが眉を跳ね上げた。そして、眉間に皺を寄せる。


「まあ、いいさ。彼女がセルシウスに泣きついて婚姻をやめると言うなら、それまでだ。断りの手紙が来たら、こちらの非を認める詫び状を出す――それでいいだろ?」

「……彼女は建国王さま以外で、初めてお前の謝罪を聞く人間になるな」

「あーそうかもな。じゃ、記念だ。婚約を解消するにしても、彼女が困らないよう最善を尽くすさ」


 ――それで終わりだ。これ以上煩わされることもない。

 投げやりに言った後、ここ半年ほどのハイドランドがらみの駆け引きからようやく解放されることに気づいて、フェルドリックはまた息を吐き出した。

 胸に残るもやもやの理由を、「また一から妃選びか、めんどうなことだ」という言葉で納得させながら。


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