番外編

フェルドリック視点

出会い

 メリーベル・アーソニア・セ・ハイドランドは、とても美しい人だった。


 初夏のオーセリンで開かれた、捕虜の取り扱いにかかる会議。その前の晩の歓迎会で、フェルドリックは初めてその人に出会った。

 彼女がこの会議に出ると聞いたフェルドリックの父であるカザック王が、わざわざ「自分の目でどんな人間か、見てこい」とフェルドリックに告げ、祖父が「王の器だ、実の王以上にな」と手放しで称賛した人。


 背筋がすっと伸びているが、身長自体は高くも低くもない。だが、その堂々とした佇まいのせいか、そこにいるだけで人目を惹く。では、居丈高かと言われれば、真逆。

 元々平凡だっただろう造りの顔には、笑みの形に皺が刻まれていて、優しい印象を受ける。

 内心を読まれないためには無表情よりなにより笑顔が一番適しているからか、王やそれに類する立場の者に、その手の表情が染みつくことは珍しくない。だが、メリーベルハイドランド王后に関して言えば、そういった胡散臭い笑顔ゆえの顔つきではないように思えた。


「初めまして、メリーベル・アーソニア・セ・ハイドランド王后陛下。フェルドリック・シルニア・カザックと申します」

「初めまして。こういった場でお目にかかれるようになったことを、本当に嬉しく思います、カザック太子殿下。カザック王・王后両陛下、そして、建国王陛下はご健勝であらせられますか」

「はい、三人ともつつがなく」


 今や大陸で敵なしになりつつある自国の名を出し、挨拶をした時の彼女の反応も、その印象の正しさを裏打ちした。

 フェルドリックの立場を知っていて、かつこちらの顔をしかと確認しているのに、彼女は警戒も媚も見せず、初めて国際会議に出たフェルドリックに対する温かみのある言葉を返してきた。社交儀礼の範ちゅうを越え、尊敬を垣間見せながら引退して久しい祖父に触れる。


 人を交えて話し出してからは、その頭のきれに舌を巻いた。

 話題の豊富さ、それぞれの話題に対する造詣の深さ、気遣い、触れてよい話題の見極め、逆の場合の遠ざかりよう、場の作り方、悪意を持つ者へのさりげない釘の刺し方――どれをとっても完璧としか言いようがない。

 口数は決して多くなく、口調も身振りも大人しいにもかかわらず、誰にも気づかせずに場の主導権を握る。特徴的なのは、そこに嫌な緊張感を生じさせないことだった。


 そのせいだろう、彼女の周囲には人が常に集まっている。それも本来社交を好まない気難しい各国元首や貴族、高官ばかり。

 そちら側に居たいのに、見てくればかり気に掛ける頭の悪い連中に囲まれるフェルドリックとしては、うらやましい限りだった。隙を作らないようにしているのに、強引に話題が婚約に向けられるのも鬱陶しくて仕方がない。


「フェルドリック殿下もお困りでしょうから、その辺で。公にしていないだけで内々に結ばれている婚約というのは、珍しい話でもありませんし」

 フェルドリックの内心のイラつきに気づいたのか、父方の従兄弟でもあるオーセリンの王子から助け舟が出される。

「そういえば、幼馴染の伯爵令嬢と、とお伺いしたことがあります。病弱でいらっしゃるとも」

「少なくとも病弱ではありませんね」

 ――病弱? そいつは親に勘当された挙句、男のふりして騎士団に入って、何十人も殺した盗賊を返り討ちにしたり、剣技大会で圧勝してナシュアナに派手に忠誠を捧げてみたり、好き勝手に生きてるよ。


『誰も生まれる場所を選べません。育つ環境も多くの場合は選べない。それでも必死に生きていくんです』

『だからこの先は私の意志です。私がそうしたいと、そうありたいと願った在り方です。それをあなたが愚かだと、不幸だと決め付けて蔑むことは出来ない』

 脳裏に、射るようにこちらを睨む、幼馴染の濃い緑の瞳が思い浮かんだ瞬間、フェルドリックは目を眇めた。


 あれは自分と同じだったはずだ。期待されるまま生き、その期待に応えられてしまうことでさらに期待されて裏切れなくなり、雁字がらめになる、どうしようもなく滑稽な道化。

 なのに、自分と違って、あれは周囲の期待を拒絶した。元の場所を捨て、アレックスを自分から取り上げ、自分の生きていく道を自分で作ろうとみっともなく足搔いている。

 ――絶対にこっち側に引き戻してやる。あいつだけ自由なんて、死んでも認めない。


「お従兄さま?」

 うまく取り繕って微笑んだはずだったのに、憎悪が滲み出た。

 何度もカザックを訪れていたせいで、従兄弟の中でもひと際親しい従妹が気づき、怪訝な目を向けてきた。

 失態を内心で舌打ちしながら、彼女へと柔らかく微笑む。

「婚約と言えば、チェイザはどうなんだい? 従兄上も従姉上たちもみなお相手が決まっただろう?」

「わ、私はアレクとの約束が……」

「カザックのフォルデリーク公爵家のアレクサンダー殿のことか? 子供の頃の、約束にもなっていない約束のことだろ……まだまだかわいいね、チェイザは」

「だ、だって、従妹のアレクサンドラさまとの婚約がなくなったら、私との話を考えてとお願いして、頷いてくださったのよ。大分前に解消して、それからは誰ともご婚約なさってないって。ねえ、フェルドリック従兄さま」

「そうだね」

 ――アレックスが前の婚約を解消したのは、フィルに惚れたからだけれど。

 深く想い合っていながら、お互い隠し事があって、うまく通じられない幼馴染2人の顔を思い浮かべて、フェルドリックは薄く笑った。

(恋だの愛だの、気色悪い妄想と本能の残滓でしかないもので人生を変える? アレックスのあの部分だけは本気で理解できない。フィルがバカなのは、今に始まったことじゃないけど)

「誰かをそれほど想えるというのは特別なことだから、大事にするといいよ」

 社交の参考にするために適当に流し読みした、どうしようもなく頭の悪い恋愛小説の行を口にし、フェルドリックは従妹王女に微笑みかける。

 複雑な環境で育ちながら、どうしようもなく能天気で、馬鹿としか思えないほど前向きな幼馴染、あいつをもう一度自分と同じ場所まで引きずり堕とすのに使えないか、と暗く考えながら。



 * * *



「決して邪魔はいたしませんので、どうかお願いいたします」

 翌日、会議の開かれる宮殿に入ったフェルドリックは、場に不釣り合いな幼い声を耳にした。


 海を臨む議場の吐き出し窓は大きく開け放たれ、海鳥の鳴き声を乗せた潮風が入り込んでくる。陽光を反射する波のきらめきが目に痛いほどだった。


「しかし、子供が聞いていて面白いようなものではないことだし……」

「楽しみを求めてというわけでは、もちろんありません」

 

 目が明るさに慣れた。怪訝に思いながら声のほうに視線を向ければ、円卓の向こう側で出席者たちが困惑を露わにしている。その中心にいるのはハイドランド王后と――少女。年の頃は異母妹のナシュアナと同じくらいだ。

「……」

 背筋をピンと伸ばし、まっすぐ相手を見据えている。決意の窺える、その凛とした表情にフェルドリックの意識は吸い寄せられた。


「この会議は戦時に捕虜、つまりは民を保護する取り決めを目的としている。わかるかね、ハイドランド王女よ。我らは民のために国を代表してこの場にいるのだ。児戯ではない」

 カザックの東南に位置するカルポの王が、尊大にもっともらしいセリフを口にしたことで、フェルドリックは彼に視線を移すと目を眇めた。

 いまだに奴隷制度を持ち、同じ国の人間を含めた人身売買を許しているくせに、どの口が民のためなどと吐くのか、と内心で唾棄する。


「理解しております。だからこそ私はその場を見たいのです」

 意地悪く、居丈高なカルポ王に一瞬だけ怯えを見せた小さな少女は、両脇でこぶしを握り締めた。

「せ、戦争は、往々にして私たち権力者の怠慢や力不足、利己主義によって起きると、学びました。その犠牲になるのは、いつも民衆だということも。それを避けるためにどうするべきか、私なりに考えたいです」


(――なるほどあれが賢后の娘か。確かソフィーナ)

 ハイドランドには2人王女がいる。あの国の救いがたい愚王は、どこの誰とも知れぬ妾を娶り、悪趣味なことに正后であるメリーベルとほぼ同じ時期に娘を生ませたはずだが、間違ってもそちらではなさそうだ。

 決意を秘めた顔で、まっすぐ他国の王に向き合う少女を、メリーベルは静かに見ている。その目には信頼があった。


「なんだと? 我々を悪しき者のよ」

「――行く末の楽しみな方ですね」

(10かそこらの子どもに言い負けた挙句、感情を振りかざす――やはり害悪でしかない。いずれ滅ぼしてやる)

 顔を真っ赤にし、ソフィーナに詰め寄るカルポ王を、フェルドリックは穏やかに、だが断固として遮った。

「実に崇高で美しい願いです。民を想う我らの同志として、これほど心強い人はいない――皆さまにもご同意いただけるかと」

 正式な会議に代表として出るのは自分も初めてだというのに、それを微塵も感じさせず微笑むと、フェルドリックはその場にいる代表たちを見渡す。


(あっさり引っかかるなよ、馬鹿どもが)

 彼らが頷き、ソフィーナへと好意的な目を向け始めるのを見て、フェルドリックは内心で毒づく。ただ1人、ハイドランドの賢后だけは苦笑と共に、フェルドリックへと目礼を送ってきた。

「ありがとうございます!」

 その横にいる娘は、本気で嬉しそうにフェルドリックへと笑顔を見せた。

「礼などいらないよ」

「いいえ、船酔いしながらせっかくここまで来たのです。全部無駄になるところを救っていただいたのですもの、心からお礼申し上げます」

「……そう」

 おかしな子だと思った。

 会議の主題は、戦時の捕虜の取り扱いだ。目に見える益には繋がらない。何がそんなに彼女の興味を引くのか。

 各国の首脳が集まる場を華やかだと思って、憧れている? だが、昨晩の歓迎会に、この子の姿はなかった。

 結婚相手を探しに来たか? こういう場に娘などを連れてくる人間は珍しくない。だが、賢后が10程度の少女にそんなことをさせるとも思えないし、何より少女の服装はごく地味で、化粧っ気もゼロだ。


(というか……)

 礼を言うだけ言って、楽しそうに母親と話し始めた少女へと、フェルドリックは瞬きを繰り返す。

 彼女はフェルドリックを見て、恥ずかしそうに顔を赤らめることも、目を潤ませることも、はしゃいで話し続けようとすることもなかったし、本能そのままに生きている幼馴染がするように警戒を露わに後ずさっていくこともしなかった。



「面白かったかい?」

「は、はい」

 内心でメリーベル他数名以外の全員を馬鹿にしつつ、会議をほぼ自分の思い通りに進めたフェルドリックは、終了後ソフィーナを見つけて声をかけた。

 自らの言を守って静かに、だが熱心に会議に聞き入っていた妙な少女が、案の定肯定を返してきたことで、フェルドリックはつい笑いをこぼした。


「ふふ、変な子だなあ。小難しくて面白くなかったと言うのを期待していたのに」

「難しくはありましたけれど……でも勉強になりました」

「勉強が好きなのかい?」

 少女と話す目的は、滅びを待つばかりだったハイドランドを再興させ、祖父すらも一目置くハイドランド賢后メリーベルと繋ぎをつけておくこと。それ以外に何かあったとするなら、賢后が連れている珍しい生き物への興味だけだった。


 だが――


「好き、というほどでもないような気がしますけれど、賢くなれば、みなも幸せに出来て、自分も幸せになれる、と」

 その答えを聞いた瞬間、少女のくすんだ青色の目が、フェルドリックの脳に鮮明に刻まれた。


 てっきり王女としての模範回答が返ってくると思ったのだ、「国民のために」的な。

 これまでのやり取りから、彼女は王女としての責務を果たすために自分を押し殺すことを、フェルドリック同様受け入れているタイプの人間だと思うともなしに思っていたから。

 だが、彼女はメリーベルの期待通り他人の幸せを考えつつ、はっきりと自分も幸せになりたいと口にした――

(そう、か、両方、か……)

 真っ赤になりつつも、まっすぐ自分を見つめてくる目には、強い意志が宿っている。


「……なるほど」

(やられた――)

 フェルドリックは体の奥底から湧き上がってきた感情のまま笑うと、小さな茶色の頭に手を置く。

 そして、幼い頃、祖父やその親友がよくやってくれたように、そこをぐしゃぐしゃっと撫でた。


「……」

 手の下で青灰色の目がまん丸くなり、耳の端まで赤くなる。視線を右往左往させ、メリーベルへと引きつった顔で助けを求める少女に、フェルドリックはくすりと声を漏らして笑う。ひどく愛らしい反応だった。

(大人びているかと思ったのに、こういうところは年相応なのか)

「ご息女に失礼いたしました。では、これにて。復路のご安全をお祈り申し上げます」

「娘を気にかけてくださってありがとう。あなたも気をつけて」

 ソフィーナの母である賢后へと辞去のあいさつを入れ、フェルドリックはその場を後にした。


「随分と可愛らしい方でしたね」

「今はな。だが、ハイドランド賢后の娘で、あの年でそうと分かる聡明さだ――いずれ脅威になりかねない」

(確かハイドランドの太子セルシウスの教育は、メリーベルが担っていたはずだ。ならば、あの娘と共に注視しておかなくては――)


 まだ見ぬ隣国の太子に思いを馳せつつ、護衛のロンデールとともに帰途に就く足は、オーセリンに足を踏み入れた時より、なぜか格段に軽い気がした。

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