第47話 利己と利他
「フェルドリック殿下、またお会いできて嬉しゅうございます……」
「っ」
次に顔を硬くしたのは、ソフィーナだった。
向こうから姉のオーレリアがいつも一緒に居る伯爵家の令嬢と共に、会場に入ってきた。
今回の会への出席は控えるよう、兄セルシウスから彼女とその母に連絡をやったと聞いていたのだが、そんなそぶりは欠片も見せず、控えめな笑みを浮かべ、しずしずとこちらにやってくる。
細く女性らしい体にまとっているのは、白地に金糸の刺繡が施されたドレスだ。スカート部分には宝石を散りばめた緑の薄いレースが重ねられていて、彼女の優雅な動きに合わせ、灯の光を煌びやかに反射する。
ただでさえ女性が少なく、武張った雰囲気の中、会場中の注目が華やかなオーレリアに集まった。
「ご無沙汰しております、オーレリア殿下」
いつも通りの美しい笑顔で応じるフェルドリックの微笑に、白磁のような姉の頬が染まり、瞳が潤む。
彼の横に居る限り、こういう女性を目にすることはずっと続くのだろう。その人からこうして憎悪の視線を受けるのも、周りから比較の目で見られるのも。
(最初から知っているのに……)
自分とフェルドリックは釣り合わないと改めて突きつけられた気がして、また胸が軋んだ。
「まあ、ソフィーナ、お祝いだというのに、随分と地味な恰好……。言ってくれれば、ドレスぐらい貸してあげるのに。不調法な妹でお恥ずかしい限りです」
「……」
言い返さなければ、贈ってくださったカザックの王后陛下に申し訳が立たないのに、とっさに言葉が出てこなかった。
ソフィーナ用に注文したり贈られてきたりした物品が姉のものとされることはあっても、逆はなかった。借りたことも一度もない。それなのに、まるで仲の良い姉妹の姉が妹の不出来をフォローするかのように言われ、ソフィーナは唖然とする。
「でも、オーレリアさま、オーレリアさまのドレスは、ソフィーナさまには……」
「似合わないでしょうね」
伯爵令嬢の言外の嘲りを完成させたのは、他ならぬフェルドリックだった。
(あ……)
蒼褪めたソフィーナを見、令嬢のみならず、オーレリアの両の口の端も微妙に上がったことに気づいてしまい、さらに動揺した。
「自らを誇示することより、他者を慮ることを優先する人ですから。そのドレスは、彼女のそういった思いを汲んで、私の母が贈ったものです」
「え……」
「そもそもどれほどのドレスであろうと宝飾品であろうと、ソフィーナ自身の添え物にすぎません」
だが、フェルドリックはそんな姉たちにさらっと返し、ソフィーナに微笑みかけてきた。
(またそんな胡散臭いセリフを……)
一瞬の硬直の後、ソフィーナはなんとか笑い返したが、おそらくぎこちない顔をしていたのだろう。
フェルドリックの言葉の意味を捉え損ね、呆けていたオーレリアは、即立ち直り、再び心配そうな顔をして見せた。
「妹はいかがですか? たった1人で寂しく帰ってきたと聞いて、何があったのかと心配しております」
カザックを追い出されたのでは、と暗に訊ねたオーレリアは、愁いを帯びた口調のかたわら、ソフィーナを憐れみと嘲笑を混ぜた目で見た。
縁談がソフィーナ宛てだとわかって以降、皆が口をそろえて「どうせすぐに帰される」と言っていたから、今回のこともそう解釈されるだろうと思っていた。だが、フェルドリックに直接確認するとは思っていなかった。
「お姉さま、私は」
フェルドリックの返事が怖くて、ソフィーナは「自分の意志で帰ってきた」と伝えようと慌てて口を開く。
「ソフィーナには我が国が誇る有能な騎士の中から、私が最も信頼できると判断した者を付けました。今回のことはすべて戦略の一環でしたから」
だが、頭上から響いた落ち着いた声に言葉を呑み込んだ。
「妹君を危険にさらしてしまい、申し訳ありません。けれど……君が無事で本当によかった、ソフィーナ」
フェルドリックの右腕においているソフィーナの左手に、彼の冷たい左手が重なる。そして再び目が合った。
「……」
円満であると見せかけるための演技か本心か。苦し気に見えるのは気のせいなのか、そうではないのか――事実と自分の願望の区別がやはりつかなくて、ソフィーナは唇を引き結ぶ。
「殿方に混ざって政治にばかりかまけ、身なりに気を払わず、元の造形が造形なのに化粧すらまともにしない――」
ギリッという音に我に返って、オーレリアに慌てて目を戻せば、ソフィーナを見つめる青い瞳には暗い炎が灯っていた。
「賢しらで可愛げに欠けるのではと、亡くなった父も憂いておりましたの……」
沈んだ様子でフェルドリックへと顔を向け直した彼女の顔は、“妹を心配する心優しい姉”のものだ。一瞬前に見えた憎悪が勘違いだったとしか思えない。
「今もそう。フェルドリックさまの横にいるというのに手は傷だらけ、肌は荒れている上に、日焼けまでしてしまっていて……」
「……」
ヘンリックが、彼女には多分悪意がある、隠す術を知っている、と言っていたことをようやく実感して、ソフィーナは身震いする。
「こんなふうではフェルドリックさまに申し訳が立たなくて……もし望んでいただけるのでしたら、私もカザックに参りますわ。女性、妻として、フェルドリックさまにふさわしくあるためにどうすべきか、ソフィーナに身をもって示してあげられるでしょうから」
(な、にを言ってるの……)
「ねえ、ソフィーナ、あなたもそう思うでしょう?」
しおらしい、殊勝な物言いで、姉は鮮やかな青い瞳を、戦慄するソフィーナに向けた。
「ご迷惑でしょうから、そんな汚ら……傷だらけの手で殿下に触れてはだめよ」
少し困ったように可愛らしく小首を傾げ、姉はフェルドリックの腕に置いたソフィーナの手を指さした。反射で離そうとしたが、フェルドリックの逆の手にそのまま押さえられる。
「手の傷も日焼けもハイドランドの人々を思うが故のもの。王族としての責務を果たすため、彼女が自ら戦った証です」
彼が静かに、でもはっきりと「恥じることは何もない」と言ってくれたおかげで、凍りかかっていた気持ちに、温もりが差す。
「彼女を尊敬することはあっても、人として、女性として、ソフィーナに不足を感じることはありません――むしろ私のほうにこそ不足がある」
(え……)
だが、続いたのは、いくら社交の場であっても、彼の口から出るとは思えない言葉だった。ソフィーナは驚きと共にフェルドリックを見上げる。
「……」
ソフィーナと目が合った瞬間、彼はどこかが痛むかのような顔をした。触れあったままの手に力が籠められる。
「私、私ならフェルドリックさまにそんなことを言わせたりしません……」
「オーレリアさまのせっかくのお申し出を……あんまりです」
間近で響く姉の涙声と友人の抗議に、フェルドリックはうんざりとしたような息を吐くと、ソフィーナから姉へと視線を移した。
「想う相手を前にするからこそ、です。あなたに本当に慕う方ができた時、きっとご理解いただけるでしょう」
「…………随分と変わったお好みでいらっしゃるのね」
オーレリアの白い頬にかっと朱が差し、歪んだ。目と声に険を乗せ、「失望いたしました」と言うと、離れていく。
ソフィーナはその様子をただただ見ていた。
(おもう、あいて……)
頭が真っ白になって、何も考えられない。異様に早い、自分の心臓の音だけが聞こえてくる。
「っ、あ、ええと、その、そうです、姉が色々失礼を……」
「君が謝る必要はない」
目が合ったらとんでもなく動揺してしまう予感があって、ソフィーナは謝罪をしておきながら、彼に顔を向けられなかった。
膠着を解してくれたのは、新たにこちらへとやってきた黒衣の騎士たちだった。
「ソフィーナ妃殿下、救国のお手並み、お見事でした」
「シェイアス! 無事でよかったわ。あの時の皆さんは?」
「当然全員無事です」
赤毛の彼があの時のようににっと笑ってくれて、ソフィーナはようやく顔を綻ばせた。
カザック王国騎士団員たちが持つこの雰囲気は、独特だとは思うけれど、本当に好ましい。
「よかった、フィルは時々とんでもないトラブルに巻き込まれるから、巻き添え食っていらっしゃるんじゃないかと」
「あいつの相方をやる奴は、それで苦労するんだよなあ。昔はアレックス、次は俺、で、今はヘンリックが悲惨な目に遭ってる」
「だが、あいつはかなり面白かったでしょう? 野生が入ってるから何があったって死なないし、人間以外のトラブルはないも同然」
「ヘンリックはヘンリックで、人間関係のトラブルにしちゃ、ほぼ無敵の奴だからな」
「あいつは本気で嗅覚も要領もいい。あればっかりはアレックスの上を行く」
「あれでメアリーメアリーうるせえのがなければなあ。って、妃殿下の前でもやってました、奥さん自慢? 鬱陶しかったでしょ?」
「心優しくて寛容な妃殿下をひがみっぽいお前と一緒にすんな」
わらわらと寄って来るあの時の彼らに、自然に笑い声が漏れた。
カザック王国騎士団の理念は、国民、人々の幸福にあると、ソフィーナはフェルドリックから聞かされている。
『そこを違えれば、彼らは自分にも王にも牙をむく――創設者のアルが祖父にはっきり言ったそうだ、そのつもりで騎士団を作る、と』
カザックがこれまでの戦争で獲得した土地で、大きく揉めたことがない理由を、『占領地でしばらく指揮にあたる騎士たちがそういう人間だからだ』と彼は説明してくれた。
そんな彼らだからこそ、ソフィーナの無謀なふるまいを見逃し、あまつさえ助けてくれたのだろう。
「色々あったけれど、今となってはすべて素晴らしい体験になったわ。あなたたちにも会えたし」
「ハイドランド国民も無事だし?」
「ええ、本当にありがとう。私、ハイドランドも好きだけれど、あなたたちのいるカザックもやっぱり大好き」
「……かっわいいなあ。マジでいい子だ」
「あー、ウェズ小隊長ずるいっ」
シェイアス第1小隊長が、ソフィーナの頭をぐしゃぐしゃっと撫でる。
信じられない無礼だと思う自分もいるのに、なんだか楽しくなってきてしまって、今度は声を立てて笑ってしまった。
「でんかー、顔が怖いですよー。さすが従兄、アレックスのこと笑えないですね」
「――オッズ、だまれ」
騎士の1人がソフィーナの傍らのフェルドリックにかけた声に、さすがにぎょっとする。
おそるおそるフェルドリックの顔を見上げれば、顔が赤い気がした。
(ひょっとして……からかわれている? フェルドリックが?)
隠しきれなくて瞠目すれば、視線に気づいたのか、フェルドリックは殊更に顔を背けた。
「なんせ頑張ってください」
「俺たちのお気に入りなんです、下手打って逃げられないでくださいよ」
「しくじったら、特に第3小隊に恨まれますから。あいつら、シャダ将軍の護送で先に帰るって決まった時、めっちゃ心配してましたよ」
「手助けしましょうか? 俺、殿下に賭けてるんです。頼みましたよー」
「散れ……っ」
ケラケラ笑って、そのくせ「御意」「仰せの通りに」とか言いながらびしっと敬礼し、フェルドリックの命令通り散って行く彼らに、ソフィーナは瞬きを繰り返した。
「なん、と申しますか……本当に、気さくですね。フィルたちだけがそうなのかと思っていました……」
思わず呆れとも感心ともつかない感想をもらせば、「馬鹿なんだよ」とふてくされたようにフェルドリックがぼやく。
子供っぽい様子に、さっきまでの緊張が嘘のようにまた笑ってしまった。
(……あ)
目が合った彼がほっとしたように笑う。
「……」
その顔をまじまじと見つめてしまえば、一瞬目を見張ったフェルドリックは、慌てたように顔を背けた。
(そんなふうになる意味、は……)
もう何度目か判らない疑問を胸に、ソフィーナは唇をぎゅっと引き結んだ。
自分は今人生で最大に思いあがっているかもしれない、そう思う。
(でも、ボボクたちはちゃんと話せと言った。ヘンリックは言いたいことを言って、その代わりに相手の言いたいことも聞いてこいと、アレクサンダーはもう一度だけだと、フィルは逃げるなと言ったわ)
彼らの顔を次々に脳裏に浮かべて、ソフィーナは決意を固める。
「殿下、その、先ほど話がある、と」
「――ある」
静かに、彼には意外なほど短く答えたフェルドリックは、直後に大きく息を吸い込んだ。そして、金と緑の目を真っ直ぐソフィーナに向けてきた。
「少し外に出よう、ソフィーナ」
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