第42話 内緒話と休息
結局、ソフィーナはあのままゼアン要塞を離れた。
兄が心配するかも、迷惑をかけるかも、と思いつき、気が進まないながら、戻らなくては、と思ったが、フィルとヘンリックは気にするなと言う。
「目の前で何が起きているか見ていたのに、私たちを止めなかった以上、ポトマック副団長がうまく話をつけてくれるはず」
「そうそう。怒ると怖いけど、必ず責任を取ってくれる人ですから、勝手に王都に戻りましょう」
その言葉に安堵したのと、ポトマックの苦労を考えて申し訳なく思ったのは、覚えている。
次に意識がはっきりしたのは、夜、宿のベッドの上だった。
馬上でのやり取りを思い出し、その後の記憶を辿ったのだが、覚束ない。
(ひょっとして泣き疲れて寝てしまった? フィルに抱えられたまま? で、馬の背に揺られていたのに、起きなかった……)
子供みたい、と無性に恥ずかしくなって、寝返りを打てば、頭が痛んだ。
「……うー」
泣きすぎたせいか、頭ががんがんする。
ふと明かりに気付いて、目をそちらにやれば、続きの部屋との間の扉が少し開いていて、光と声が漏れていた。
フィルとヘンリックの声が、耳に飛び込んでくる。
「あそこまで不器用だとは思ってなかったなあ」
「不器用で済ませていいレベルじゃない」
「好きな子に素直になれない典型じゃない? もう26だけどさ」
「だからって許されるわけじゃない」
「本人も困ってるみたいだけど」
「知った話じゃない」
「……フィル、激怒してるよね」
「当たり前だ。ヘンリックだって怒っていたじゃないか」
「うーん、そうだけどさあ、ちょっと頭が冷えると、ちょっと同情の余地が……。ドムスクスが落ち着くまでは、シャダは適当やり過ごすとか言ってたのに、シャダとの開戦、かなりごり押ししたって。あれこれ理屈をつけてるけど、突き詰めれば、ハイドランド王を助けるため――結局ソフィーナさまのためでしょう? カザックのことだけを言うなら、ほっといたっていいわけじゃない? まして殿下は、妃殿下の継承順位に気付いてたわけだし」
「……」
「シャダのアホ姫を王宮に置いていたのだって、向こうに偽の情報を掴ませるためだろ? あのクズにアレックスとミレイヌをつけたのだって、あの2人なら機嫌を取りつつ、上手く情報や証拠を引き出せるからだ。実際、バシャール・イゲルデ・カザレナが、シャダ軍の将軍だって聞き出せなきゃ、開戦は難しかったはずだ」
ヘンリックは“虫も殺せません”みたいな甘い顔をしているくせに、結構口が悪いんだった……、とソフィーナはぼんやり思う。
「妃殿下をあまり社交の場に出さなかったのも、シャダの動きを警戒してのことだし、フェルドリックが、彼女を気にかけていたのは疑っていない。ヘンリックが言ったような事情も理解しているし、誰がまだシャダと旧王朝に未練を持っているか、あぶり出す気だったってのもわかっている。従弟のアレックスをシャダの姫につけて、彼女を尊重しているように見せかければ、彼女が本命だと勘違いする馬鹿が出るからね」
「じゃあ……」
「でも、結果として、ソフィーナさまは深く傷ついている。体のことを言っているんじゃない。事情があったら、そして、身や立場を護りさえしてやれば、心を傷つけてもいいって? 違うだろ」
「それこそフィルがいつも言ってることじゃん、そうしなきゃいけない立場、職業だって」
「それはそうだけど……」
「カーラン小隊長だって、殿下は色んなリスクを負うことになったって、言ってたじゃないか。妃殿下が勝手にカザックを出たことを表向き隠したのも、継承順位について知らん顔してたのもそうだ」
「……」
「兄君陛下が監禁されていらした、ドーバンの塔の情報をよこしてきたのだって、殿下だろ。いくらフィルでも、情報なしで、あの時間で救出できるわけがない――違う? 全部ソフィーナさまのためだ」
「…………だからってあれはダメ」
「フィルぅ」
「だって考えてみろ、ヘンリック。陰で何してたって、出てくる言葉があれだぞ? どれだけ想ってたって、傷付ける言い訳にはならない」
「それはそうだけどさあ。フィルは騎士団に行ってたから、知らないだろうけど、ソフィーナさまが城からいなくなったって報告が来た時なんか、面白いぐらい動揺してたんだよ? 顔色とか、ひどくてさ。少しぐらい譲歩してあげない?」
「……」
「……何考えてんの?」
「フェルドリックが真っ青になってたことぐらい、想像できる」
フィルの声がいきなり沈み込んだ。ヘンリックが訝し気に彼女の名を呼ぶ。
「私、あの襲撃の後、妃殿下は国に帰るつもりだとフェルドリックに話したんだ。妃殿下には内緒だって言われてたのに……。襲われた直後に城を出るとはさすがに思わなかったんだろうけど、あいつ、その時もひどい顔してた」
「……珍しいね、フィルがそんなことするの」
「うー……妃殿下は何の間違いか、フェルドリックを好きなんだって分かったし、じゃあ、あいつはどうなのかなって。アレックスは、フェルドリックは妃殿下にベタ惚れだって言うんだけど、ぜんっぜんわからなくて……」
「俺もそう思う。フィル、相変わらずほんっと鈍いよね」
「自覚はあるけど、突き刺さる……」
木の軋む音がして、会話が途切れた。
「私、妃殿下のこと、大好きなんだ。凛としてて、芯がちゃんと通っていて、いつも一生懸命で、めちゃくちゃ可愛い。偉そうにしたっていいのに、優しくて、いつも人のことばっかり考えてる」
「同感。あんな王后さまだったら万歳だ」
「私もそう思う。だからカザックの太子妃でいてほしい、王后になってほしいとは思うんだけど……でも、それで彼女が幸せじゃないのも嫌なんだ。だからフェルドリックが彼女のこと、大事じゃないんだったら、望みどおりハイドランドに帰してやろうと思った」
「相変わらずとんでもない決断をあっさり……気持ちは分かるけど、さすがに騎士としてはダメでしょ、それ……」
ヘンリックの露骨な呆れ声に、フィルは「騎士をやめる覚悟だった」と何でもないことのように応じる。いつかの言葉が、本気だったことを知って、ソフィーナは胸を詰まらせた。
「でも、そう言ったら、フェルドリック、黙り込んだ後、「守ってやってくれ。絶対に傷つけないでくれ」って。びっくりするくらい顔色も悪くて」
「……そっか」
「守れという命令が出ていると妃殿下には言ったけどさ……」
「お願いだね、それ」
「うん。しかも「帰らせるな」でも、「監視しておけ」でもないんだよ? あのわがままで傲岸不遜を地で行くフェルドリックが、「絶対に迎えに行くから、それまで頼む」って」
「そう……」
「だから、城下で妃殿下を見つけた時に思ったんだ。ハイドランドに行きたいなら、そうさせてあげよう、あの国が心配だと言うなら、望みどおりにしてあげようって。でも……最後には妃殿下をカザックまで連れ帰ろうって思ったんだ。そしたら、きっとフェルドリックも笑うだろうなって……」
「俺も帰ってきて欲しいって思ってるよ。幸せになって欲しいんだよ、両方にさ……」
「そんなの私だって同じだ。フェルドリックはあんな風だけど、本当はいい奴だと知ってる」
「うん、あんな風だけどね」
2人の揃ったため息が聞こえた。
「フェルドリックにお姉さんがいたの、知ってる? 彼が生まれる前に事故で亡くなったとされているけど、実際は旧王権派に、って」
「噂としては知ってるけど……」
「その後フェルドリックにも同じようなことが起き出して、今の両陛下は相談して、旧王権派の貴族から第2王妃を娶る決断をなさった。その一方で、フェルドリックを遠ざけたんだ。できるだけ疎遠にして、権力から遠く置いて、王位の継承が疑われるように」
「じゃあ、殿下が小さい頃、しょっちゅう離宮にいたって話は……」
「どうせ離さなくてはいけないなら、せめて建国王さまのところに、ということだったみたい。実際彼はフェルドリックを猫かわいがりしていたし、うちの祖父や父、義父もよく顔を出していたみたいだけど……逆を言えば、それだけだったんだ」
「両陛下を慕ってそうなのに、どこかよそよそしい感じがするのは、そういうことか……」
「大事な相手にどう接したらいいか、わからないんじゃないかな。そもそも誰かを大事に想うということ自体、想像できなかったみたいだから。アレックスが言ってたんだ。昔、何かの時に、「もしリックに好きな人ができたら」と言ったら、「絶対にできない」って鼻で笑って返されたって」
「…………ほんと、嫌な職業だ」
「しかも、逃げられないんだ。逃げないでくれって思っている人間が言っていいことじゃないけど」
「俺も仕えるのはあの人がいいなあ。表面的に邪悪なだけで、馬鹿みたいに人のこと考えてくれるじゃん。その辺妃殿下とそっくりじゃない? 妃殿下を見ながら、「だから惚れたんだなあ」って思ってた」
「まあ、だからって、彼女を振り回していいことにはならないけどね」
「っ、ちょ、待て、結論一緒じゃん! せっかくのしんみり話、意味なくない!?」
「だって、逃げられないし、逃げてないのは妃殿下だって一緒じゃん。だから私は妃殿下の味方だ。彼女が望むなら、ハイドランドにこのまま置いていく」
「……外交問題になるぞ」
「じゃあ、西大陸のミドガルド。離れすぎてて問題になりようがない。公的には死人になっていただいて……」
「具体的な計画を練るな。大体、その場合、フィルも一緒だろ? となるとアレックスも一緒――フォルデリーク家がなくなったら、今のカザック朝は間違いなく打撃じゃないか。被害を受けるのは、民衆だぞ」
「じゃあ、離宮のアド爺さまのところ。連れて来てくれってせっつかれてることだし、一石二鳥だ」
「建国王さま? ……に叱られる殿下――は、見たい」
「じゃあ、それで」
(私の未来、勝手に決められちゃった……)
と思うのに、なぜか笑ってしまった。
「アレックスって言えばさ、彼もかなり怒ってたけど、殿下、反省するかなあ」
「アレックスは、多分フェルドリックにあれ以上怒れない」
「なんで?」
「フェルドリック、ソフィーナさまに嫌われていると思ってるらしい」
「……」
思わず顔を戸へと向ければ、その拍子に頭がまたツキンと痛んだ。
『嫌いな相手に嫁ぐ羽目になって』
昨日の彼の言葉が蘇る。
「はあ? マジか……鈍すぎない?」
「それは私に対する挑戦だな。私もご本人から逆だと聞かされるまでそう思ってた。てか、妃殿下のフェルドリックへの態度を見てたら、そうなるだろ。どっちも「政略結婚です」という風にしか見えなかった」
「まあ、確かにぱっと見……ソフィーナさまも気位高いし、何気に気ぃ強いから、平然とした顔でやり返してらしたからなあ」
心当たりのある言葉に、さらに頭の痛みが増した。
ヘンリックの「けど、普通気付くだろ。2人ともフィルレベルに鈍いって絶望的……」という追撃に、ソフィーナは眉尻を下げる。
「そこでなぜ私まで貶す。まあ、フェルドリックに関しては、どうせ全部自業自得だ。なのに、アレックスは「ああ見えて、かなり真剣に落ち込むから、怒るに怒れなくなる」ってさ。甘いよね」
「へえ、それ楽しい話だね」
「私には全くわからなかったけど、ヘンリックならわかるかも。あと、フォースンさんも似たようなこと言ってた。面白いって」
「人望ないなあ」
「ねえ」
「「自業自得だけど」」
鼻で笑う音もぴったりだ。2人は今日も仲がいい。
「で、俺らのお姫さま、どうする?」
「どうも何も、こういうことで他人ができることなんか、ほとんどないよ。自分たちで向き合うしかないんだ」
「じゃあ……いっぱい甘やかすか」
「そう。早く元気になれるように」
「それで、勇気を持てるように」
「……」
(なにを、信じよう……)
――イマハナニモカンガエタクナイ
でも、フィルとヘンリックは信じられる、それははっきりしている。
(じゃあ……)
(でも……)
イマハカンガエテハダメ――
「……」
ソフィーナは再び目を閉じる。
「ハイドランドはきれいなところだね。人も優しいし、食べ物も……ああ、美味しい物はどう?」
「いいね。あとはどこかに寄ろうか。どこにお連れしたら喜ぶかなあ」
「宿の主人にでも聞いてみるのは?」
2人の話し声は柔らかい。内容も優しくてほっとする。
(私の故郷なんだから、私の方が詳しいのに)
ソフィーナはくすりと笑う。
(明日、この近くのホーゼンの滝に寄ろう。フィルは自然が好きだからきっと喜ぶわ。その近くにはルビーの採れる鉱山町がある。そこでヘンリックはメアリーへのお土産を買うといいかも。私も買おうかしら、アンナに……)
再び眠りに落ちる瞬間。
『ソフィーナっ! 無事かっ!?』
考えまいと思うのに、それでも脳裏に浮かんだのは、朝日の中、あの人が走り寄って来る姿だった。
元気になったら、もう一度だけ、あの意味を考えてみよう――。
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