第41話 過誤と蹉跌

 簡略化された食事を共にとりながら、フェルドリックと兄は、今後のことを確認していった。途中何度か伝令が入り、中西部地域の領主たちの援軍の到着したこと、騎士団と共に、ここから西側の領地の奪還に取り掛かっていることが報告され、ソフィーナは、胸を撫で下ろした。


 逆に落ち着かない気分にさせられたのは、フェルドリックも兄も、ハイドランドの王位継承順について、一切触れないことだった。

 フェルドリックは既に、兄の次がソフィーナであることを知っているはずだ。兄も知られていると知っている。だが、全く話題にしない。

「有意義な時間でした」

「いったん失礼します。また後ほど」

(ストレートに聞くなり、黙っていたことを責めるなりしてくれればいいのに……)

 ソフィーナは胃を抑えつつ、一旦自軍の待つ陣地に戻るフェルドリックを見送りに出た。


 ハイドランドへの救援に対し、カザックが得る最大の対価は、ギャザレン率いる騎士団が捕らえた今回のシャダ軍の将軍――シャダ王族にして、カザレナ朝最後の王の孫でもある男の身柄だった。

 シャダは亡命してきたカザレナ朝王族を盾に、カザック朝による支配の不当性を主張し、カザック国内の旧王権派貴族を介して、カザックに干渉し続けてきたから、カザックとしては価値のあるカードということになる。その分、ハイドランドは、シャダに対し、踏み込んだ賠償の請求がしにくくなるだろうが、どの道あの国の支払い能力はそう期待できない。

 シャダの将軍をカザックに引き渡したハイドランドが、シャダとの関係を大きく損なうであろうことも、カザックとしては好ましいだろう。

 フェルドリックとしてはルデナ鉱山の利権も欲しかったらしいが、そこは兄が粘り、希少鉱物である硬鉱石の、原則市場価格での優先的供給で決着した。


 石作りの廊下を正門に向かって進みながら、ソフィーナは、ちらりと自分の横を歩く人の横顔を窺う。

(……少し痩せたかも)

 ソフィーナがカザレナを出てから、既に2月近い。整っていることに変わりはないけれど、少し顎のラインが鋭くなって、精悍になった気がする。

 その性質上、窓のほとんどない要塞の内部は薄暗く、彼の表情はまったく読めなかった。


「……」

 外の明るい陽射しに、ソフィーナは目を細める。

 正午過ぎの空は、高く晴れ渡っていて、背後の山から飛び立った猛禽類が帆翔し、下界へと鳴き声を響かせていた。


 兵士の敬礼を受けて、要塞外郭の門をくぐれば、眼下には丘の間を縫うように流れる川が見えた。その周囲から奥の平原へと、カザック軍が点在していて、そこかしこから野営の煙が立ち上っている。

(あの人たちが、カザックがこの国を救ってくれた。彼らを連れて来てくれたのは――)

「フェルドリック殿下、ハイドランドを助けていただき、ありがとうございました」

「さっきの話を聞いていたか? こちらにメリットあってのことだ」

「それでも、この国の人たちが救われたことに変わりはありません。本当にありがたいです」

 真剣に吐露した感謝は、いつも通り馬鹿にしたように流された。が、ソフィーナは微笑む。

 シャダの侵入経路上の土地は大きな損害を被った。収穫もおそらくダメだろう。だが、他は無事だ。助け合えば、なんとか冬を乗り切れるはずだ。

「……」

 フェルドリックは、そのソフィーナを黙って見ていた。

「シャダの外交使節団はどうなりましたか?」

「いくら無能であっても、いい加減騎士団の一中隊と僕が、カザレナから消えたことに気付くだろう。バシャール・イゲルデ・カザレナを連れ帰れば、自分たちの粗忽さにもね。ああ、ちょうどいい、奴の首を彼らの帰国の手土産にくれてやる」

 物騒なセリフを吐き、フェルドリックはくつりと笑った。


「……何をしている?」

「なにってお見送りを」

「……なぜ」

「なぜと言われましても、礼儀、ですし」

 外郭外の坂道に差し掛かったフェルドリックが、立ち止まったソフィーナを振り返り、凝視した。高く上がった日差しを受けた緑と金の目に宿る感情が、読み取れない。思わずソフィーナが戸惑えば、その目は鋭く眇められた。


「先に行っていろ」

 アレクサンダーとポトマック副騎士団長を遠ざけると、フィルドリックは表情を消して、ソフィーナを見つめた。

「帰るつもりなのか」

「……っ」

 そう訊かれて、ソフィーナは息を呑んだ。

 つい結婚前のような気分でいてしまっただけで、今そんなつもりはなかったけれど、これまで考えていたことを、迷っていることを見透かされたような気がする。

(帰ろうと思っていたのに、そう決めてカザレナを出たのに、どうしよう、まだ決められてない……)

「……」

 動揺するソフィーナを前に、フェルドリックは何も言わない。


 不自然な沈黙が続いた後、フェルドリックが「まあ、好きにしたらいいけど」と顔を背けた。

「君みたいなのが出戻ったところで、引き取ってくれる人がいるかな。心あたりがいるなら言えば、口ぐらい利いてやる」

「っ」

 ぼそりとした呟きは、ソフィーナの耳に鮮明に届いた。全身が凍りつく。

「なんせあんな中じゃ、見つけるのに苦労するくらい地味だし」

「あ……」

 整った唇の合間から出た棘が、心にざくりと突き刺さった。


「――リック」

 背後からアレクサンダーが咎めるように呼んだが、フェルドリックは反応しない。


「相手が僕なのがずっと不満だったようだし、今回のことは、いい機会だったわけだ」

「……」

 何かを言わなくてはいけない、そう思うのに、声が出てこない。彼の言う通り、シャダのジェイゥリットが来たことを好機だと思っていた事実が、さらに足を引っ張る。


「最初からハイドランドに戻るつもりだった――当たっているだろう? セルシウスの次の継承順位を持つことを隠し、僕を欺き続けていたのもそのためだ」

「そ、んな、つもりでは」

「今日もそうだ。君はずっとハイドランドの人間としてふるまっていた」

 なんとか絞り出した言葉は、さらなる事実の適示と共に、皮肉に笑い捨てられた。


「さぞかし苦痛だったろうね。結婚に必要性も興味も感じていないというのに、嫌う人間に嫁ぐ羽目になって。まあ、僕としても、君なんかどうでもいいけど」

 静かで平坦な言葉に、全身が震え始めた。知っていたはずなのに、改めて彼から突き付けられて、視界が滲み出す。

「で、そろそろカザックから出て行くよう、僕の口から言わせたいということかな。その方が円満だしね。さすが、頭が回る――もういいよ、ハイドランドに戻っ」


(ああ、もう、もう駄目、だ……)

「……っ」

 ボロボロと涙が零れ落ちた。

「……」

 緑と金の瞳を見開いた彼と目が合った。それがちゃんと彼の顔が見えた最後になった。


「……、っ、ソフィーナ、」

 焦ったように名を呼ばれたが、ソフィーナは俯いて、首を左右に振った。雫がはらはらと振り落とされる。

(もう駄目だ、どこまでも同じなんだ……。さっき嬉しかったのに。無事かと私に訊いてくれて、泣きそうになったのに。抱きしめてくれて嘘みたいだって思って舞い上がって……。でも、やっぱりこうなる――)

「っ、も、う、いい……っ」

 なら全部ぶつけてしまおう、こんなに苦しくて、馬鹿な恋をしたといつか笑えるように。こんな経験も必要だったんだと思えるように。


 ずっとはなをすすって、ソフィーナは叫んだ。

「そうよ……っ、間違って王女に生まれたって、みんな思うくらい地味よっ。あと、着飾らせても意味なくて、お兄さまの役に立つしか能がなくて、ついでに言うなら、あなたからの求婚が来たって時だって、迷わず姉にだって思いこむぐらい、その自覚だってあるわっ」

 泣きながら、一気に言い切った。


「そんな私が11の時に、オーセリンで会った時から、あなたにずっと憧れてたっ。あなたの婚姻の申し込みが、本当に私にだって知って舞い上がったわっ。身の程知らずって笑ったらいいっ、滑稽でしょっ。もっと、馬鹿なことに、あなたの本性を知ってからだって、ずっと好きだった。わ、我ながら、情けなさすぎて、泣けてくる……っ」

「……え」

 呆然とした声を出したフェルドリックを、ソフィーナは嗚咽に体を震わせながら、睨みつけた。


「近づく度にドキドキしてたことだって、夜ちゃんと寝てなかったことだって、手を繋ぐのだって、実は構えてたことだって、自意識過剰の馬鹿女って言えばいいっ、その通りだものっ。一緒にいたって、指1本触れる価値がないって思われているのにっ」

 ぐっと袖で顔を拭った。作法としては論外、その上、それでも涙は止まらない。どこまでも私はカッコ悪い、と思ったら、余計泣けてきた。


「私は幸せになりたかった……っ。大事な人を想って、想い返してもらって、その人と笑い合いながら暮らしたかった……っ。あなたとそうなりたくて、些細なことを一生懸命拾い上げて、その度に、自分の馬鹿さ加減を思い知らされた……っ」


(もうちょっとでそれも終わる。あと少し、それで今度こそ終われる――)


「満足? 認めるわ、あなたの言ったとおり、私はあなたに惚れているの……っ」

「嘘、だろう……」

「っ、嘘でもほんとでももうどうでもいいっ、もうおしまいっ――あなたに縛り付けられてなんか、絶対にやらないっ!」

「っ、ソフィーナ、ちょっと待っ」

 伸びてきたフェルドリックの腕を跳ね除けた。


「っ、ソフィーナ」

「嫌っ、触らないでっ」

「いや、だけど、」

「うるさい、もう話すことなんかないっ」

「う、るさい……って、ソフィーナ、」

「やだったら、やだっ」

「ソフィっ、落ち着い」

「十分落ち着いてるっ」

「いや、どう見ても」

「うるさいっ」

 いつになく慌てた様子のフェルドリックに手を掴まれて、必死に振り払えば、駆け寄ってきたアレクサンダーにぶつかった。

(捕まる――)

「っ、フィル……っ、ヘンリック……っ」

 焦りと共に、馴染んだ名が口をついて出た。

 何度も何度も孤独を癒して、笑わせてくれて、ずっと側にいてくれた人たちだ。彼らは、生まれでも外見でもなく、ソフィーナ自身を見て笑って、こんな無謀なことにも命がけで付き合ってくれた。

(お願い、もう一度だけ――)

「フィ、ル、ヘンリ……クっ、たす、て……っ」

 再度叫んだ声は、嗚咽に途切れ、ひどい響きだった。


「――はい、妃殿下。ここにいます」

 なのに、ちゃんと聞いてくれる――今まさにフェルドリックに捕らえられるという瞬間、体がふわっと浮いた。

「っ、フィ、ル……」

 フェルドリックから庇うように抱えあげてくれているのは、息を切らせているフィルだった。

「ヘンリックもすぐ来ますよ」

 少し乱れた金の髪の向こうで、彼女は緑の目を緩ませ、安心させるように笑ってくれた。

「っ、う……っ」

「もう大丈夫――私は味方だと言ったでしょう」

 それでさらに涙を零せば、優しい手つきで彼女はソフィーナの背を撫でてくれる。

 王族なんて立場に生まれたのに、もう18なのに、と理性は咎めるのに、彼女の腕の感触が優しくて、声を立てて泣きながら、彼女に抱き付いた。


「ソフィーナさま、お呼びですか……って、ああ、また殿下か」

 やっぱり額に汗を浮かべて走ってきてくれたヘンリックは、フィルに縋り付くソフィーナを見るなり、フェルドリックへと険しい視線を走らせた。

「……」

 今まで怒ったことのない彼が見せた恐ろしい表情に、ソフィーナが驚いて顔を上げようとすれば、フィルの手で彼女の胸へと押さえつけられる。


「フェルドリック、私は警告したはずです。次に泣かせれば、相応の報いをやると」

 フィルの声の低さと厳しさにも驚いて、涙が止まった。

「――返せ、フィル」

「断る。守れという命令を下したのはあなただ」

「ヘンリック……っ」

「生憎と今殿下にお渡しする訳には参りません」

 何も見えないけれど、空気がびりびりと震えているのは肌で分かった。ざっと音が立ち、フィルが動き出す。


「ポトマック、アレックス、放せ」

「私はカザックと貴方に尽くす騎士ですので、お断りいたします」

「頭を冷やせ、リック。これ以上、泣かせたいのか」


 そうしてソフィーナは、ヘンリックに付き添われ、フィルに抱えられたまま、彼らの声から遠ざかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る