第43話 郷里と甘やかし

 あれから5日。寄り道して帰ったソフィーナたちは、それでも軍より2日ほど早く王都ハイドに到着した。


 城に戻ったソフィーナを待ち構えていたのは、保身に奔走する王都の貴族たちだった。そんな権限はないとあれほど言ったのに、釈明や便宜のためにいまだに面会を要求してくる彼らを、侍従長と侍女長がはねのけてくれる。

 それでも、しつこい者たちについては、フィルとヘンリックが、

「ソフィーナさまは、ハイドランド防衛のために、はるばるカザックから駆けつけ、自ら戦地にまで赴かれた。休息が必要な状態におありだと、ご理解ぐらいはいただけるかと」

「どなたに我が妃殿下へのご配慮があったか、しかと記憶いたします」

と言って、口を封じたそうだ。

 

「日和って終始王都で安穏としておきながら、謀反を抑え、戦にまで出たソフィーナさまを粗略に扱おうと言うのであれば、相応の目に遭わせてやる――という威圧ですね、実質。お言葉は慇懃でしたが」

「国のために戦う姿勢を見せることすらせず、様子見をしていたという自覚がおありなのでしょう。コゾルアーニ伯爵はじめとする方々は、みな蒼褪めておりました。実にすっきりいたしました」

 侍従長と侍女長はそう笑った後、

「親切で、人懐っこいと思いきや、恐ろしくお強いうえに、あんなふうに人を制すこともできる。フェルドリック殿下は、ソフィーナさまのために優秀な方を選んでくださったのですね」

「ええ、ソフィーナさまがカザックで大事にされているのが、手に取るようにわかります」

としみじみと付け加えた。

 彼らの言葉を「そんなわけない」と思う自分と、「いつまでもそんな風に頑なでいいの?」と思う自分がいて、ソフィーナが居たたまれなくなったのは、言うまでもない。


 ところで、ヘンリックはガードネルら、兄の友人たちとの面会も断ったらしい。

「……ちょっと厳しすぎない?」

「扱いが違うと不満を言う輩が必ず出てきます。「贔屓」と騒ぎ立てるのは、騒乱を引き起こす口実として常套ですので」

 抗議してみたのに、彼ににこやかに、だが断固とはねのけられた。いつも優しくて甘く、ソフィーナの望みは大抵叶えてくれる彼が、この時ばかりは絶対に譲ってくれなくて、ソフィーナは疑問を持ちつつも、諦めるしかなかった。


「ソフィーナさま……っ、よく、よくぞご無事でっ」

「まあ、ガードネル、あなたこそ怪我の具合はどう?」

 それでも、一度ガードネルと城の廊下で遭遇し、改めてお礼を言わなくては、ちゃんと約束を果たしたと伝えなくては、と思ったのだが、今度はフィルに阻まれた。

「…………フィル?」

「生存本能です、お気になさらず。さ、私にかまわず、お話の続きをどうぞ」

 ガードネルが駆け寄ってくるなり、無言でソフィーナを横抱きに抱え上げたフィルに、ソフィーナは目を丸くする。

(だ、抱っこされたまま……? おかしくない? って、おかしいでしょ!)

「……ソフィーナさまにご無礼では?」

「寝食を同じくし、危難を共に乗り越えてきた間柄ですので、一心同体と考えていただければ――ね、ソフィーナさま?」

 唖然とするソフィーナにも、気色ばんだガードネルにも、フィルはまったく動じない。

(確かにその通りではあるけれど、また訳がわからない……まあ、フィルだもの、理解できなくて当たり前、考えるだけ無駄だわ。言い出したら聞かないし)

 結局、脱力とともに諦めをつけ、ソフィーナはフィルにお姫さま抱っこされたまま、ガードネルに礼を伝える羽目になった。

「い、え、お礼申し上げるべきは、わたくしのほうです……」

 ガードネルに微妙な顔をされたことこそ、ソフィーナがカザックに染まってしまった証拠のような気がする。

(その意味では、私、ハイドランドにはもう戻れないかも……)

 ソフィーナも微妙に切なくなった。


「妹のお立場なのですから、姉君を助けるのは当たり前でしょう――顔を見せるのも。オーレリアさまは、「野蛮な戦地にまで行く元気はあるのに、ソフィーナはカザックに行って思い上がってしまったのかしら」と泣いておいでですよ?」

 侍女長の命令を無視した姉付きの古参の侍女から、そんな風に言われた時も、フィルとヘンリックが対応してくれた。


「やっぱり会わないわけにはいかないわよね……」

(でなければ、事情を知らないお姉さまたちのことだもの、私がハイドランドに戻ったことを、フェルドリックとの不仲のせいだと思うに違いないわ。……半分事実だけど。というか、事実だからこそ吹聴されると困る……)

 いらない諍いの種を蒔くのは避けたい、と渋々彼女たちに会おうとしたソフィーナを、まずヘンリックが止めた。

「ソフィーナさまあ、以前姉君のことを、“妖精がそのままこの世に現れたような人”とか仰ってましたけど、失礼ながら、そんな可憐な感じじゃ多分ないですよ? 悪意ありまくりなのに、自分の見た目を利用して、それを隠す術を知ってるっていうタイプ」

 目を瞬かせたソフィーナに、ヘンリックは「この際率直に言いましょう――ソフィーナさまは多分ご自身が考えている以上に、鈍いです。自覚なさってください」と残念な子を見る目を向けてきた。

「まあまあ。少なくとも会いたい相手ではないんですよね? じゃ、やめときましょう。セルシウス陛下がお戻りになる程度の時間なら、私たちで稼ぎますから」

 ちょっと変わってるけど、やっぱりフィルは優しい、と感動したが、「鈍いなら鈍いなりに、そういう相手とやっていく方法がありますから、今度教えます」と生暖かい目で同類扱いされたのは、納得できない。


 その後2人は盛装し、例の鉱山町で買い求めた上質のルビーを持っていって、姉を訪ね、ソフィーナの非礼を詫びるとともに、適当にご機嫌取りをしてくれたそうだ。

 話題が豊富で、空気と女性心を読み、上手く会話を繋ぐヘンリックと、ヘンリック曰くの「男性仕様」で蕩けそうに甘い笑みを見せながら、完璧に紳士的な振る舞いをするフィル。

 彼らのおかげで、またあれこれ言われる、と怯えていたのに、彼女の注意はあっさりソフィーナから逸れた。感謝してもし切れない。



 そんな状況からの逃避も兼ね、ソフィーナはフィルやヘンリックと城下に忍び出た。

 危ないと止める者ももちろんいたけれど、カザック王国騎士の名は、ハイドランドにまで届いている。しかも、彼らのおかげで、兄とソフィーナは窮地を救われ、カザック国軍の救援までの間を稼げたこともあって、あまり強くは引き止められなかった。

(カザックに行かなかったら、こんなことしようなんて発想自体なかったかも……)

 ソフィーナの母が愛し、日々城の塔から眺めては、人々の暮らしに目を細めていたあの街だ。ソフィーナ自身、ずっと城から見てはいたけれど、自分の足と目で、皆の日常を見るのは初めてで、ひどくドキドキした。


「いらっしゃいっ、ミシミジャからリンゴが届いたよ。戦勝記念だ、安くしとくからどうだい?」

「安すぎないかって? ミシミジャの奴らが、そう言って安くしてくれたんだよ。ご厚意にみんなで甘えようじゃないか」


「おお、鉱山からようやく荷が着いたか。ありがたい、これで商売になる――なあ、母ちゃん、今夜は祝いに山輝亭に飲みに行かねえか」

「そんなこと言って、あんたはいつも飲んだくれてるじゃないか。まあ、あそこの旦那、カザックの出だし、仕方ないねえ。うちらを助けてくれた国の料理を肴に一杯やるか」


「ご病気が良くなるなり、シャダとの戦に行っちまわれて、でもちゃんと勝ってくださった。さすがセルシウスさまだ。ご恩返しに私らもいっぱい働いて、いっぱい儲けて、」

「いっぱい税を納める?」

「んんーっ、しゃあない、ハイドランドと陛下のためだ、持ってけ!てなもんよ」


「おっちゃーん、久しぶり。お客さん、戻ったあ?」

「おー、おかげさんでな。お前らも遊びに出てこられるようになったんだな」

「うん、もう悪い奴いなくなったからって。全部セルシウスさまとソフィーナさまのおかげだって母ちゃんが」


 混乱の影響はまだあったけれど、シャダに勝利し、退けたと言う噂は、既にハイドの民にまで届いているようだった。

 晴れ渡った初秋の空の下、通りでは人々がそれぞれの商売に精を出し、住宅街では穏やかに日常が営まれていた。街のあちこちを流れる水路では、澄んだ水の上を、小舟が人や荷を積んで行きかい、釣竿をもった子供たちが、大声で何事かを船頭たちに話しかけている。

 それぞれがこれまでの鬱屈を晴らすかのように、少しずつはしゃいでいるせいか、王都全体がお祭りのような熱気に包まれていた。


(よかった、みんな元気そう……)

 その間に混ざり、人々の暮らしがちゃんと元に戻っているのを、この目で確かめられたことが、何より嬉しい。色々あったけれど、ソフィーナがカザックから戻ったことに意味はあったのだ、と思うことができた。

(それでフェルドリックとはどうしようもなくこじれたけど…………って、そうじゃないっ)

 頭から彼を追い出そうと慌てて、頭を横に、しかもかなり強く振ったら、通りすがりのおばあさんに「そんなことしてると、アホになっちまうよ。あんたの年頃だと色々あるんだろうけどさ、元気出しな」とぼさぼさになった髪を整えられて、ありがたくも泣きたい気分になった。

 横でフィルとヘンリックが顔を背けて肩を震わせていたのが、ちょっと憎たらしい。


 ちなみに、おばあさんの他の人もみんなそんな感じで、あの日、あんな風に街の通りを歩いたというのに、誰もソフィーナがあの時行進の中心にいた人間だと気付かなかった。

「ティアラとマント、どっちが有用だったのかしら……」

 思わずそう呟いたら、ヘンリックに大笑いされたが、つまり、任夫のボボクや宝飾組合長などの目は、確かだった――助けてもらったハイドランドの王女としては、感謝以外の言葉がないが、個人的にはとても切ない。


 年頃の街の女性が着るようなワンピースを着て、同じく普通の服装のフィルとヘンリックに挟まれて、そんな街を歩き、乱暴な馬車が来たり悪路に遭遇したりした時は、彼らに丁寧に庇ってもらい、食事や休憩にカフェなどに入れば、その辺の高位貴族どころか、王族すら恥じ入るような整った所作で、エスコートを受ける。

 2人とも目が合えば、柔らかく微笑んでくれて、服や髪が乱れれば、思わず見入ってしまうような手つきで直してくれるし、

「ソフィーナさまは、もっとわがままになるべきです。そのほうが私もヘンリックも嬉しい」

「そうそう。可愛くて優しい、素敵なお嬢さまのお願いなら、なんだって叶えますよ」

と笑って、ソフィーナの希望を聞き出し、行きたい場所、やりたいこと、すべて叶えようとしてくれる。

(本気で甘やかされてるわ……)

 あの晩言っていた通り、ソフィーナを元気づけようとしてのことだと知っているけれど、彼らの気持ちは、やはり嬉しかった。


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