第34話 故郷と異郷

 そこからは、ソフィーナ自身、驚くくらいうまく事が運んだ。


 シャダの侵攻の噂が出ていることを指摘し、それを手引きしているのが、他ならぬルードヴィだと公にし、身ぐるみ剥いで、城内の曰く付きの塔に監禁した。

「うまい汁にありつける方に節操なくくっつきますってか……。腐ってんな」

 ルードヴィを支持する者たちから、反発が出るかと警戒したが、ボボクたち市民が呆れを口にしたとおり、誰も彼に手を差し伸べようとはしなかった。


 つまり、城に残っていたのは、ルードヴィを支持するというより、様子見を決め込んでいた連中だったのだろう。

 その証拠に、そんな状況ではないというのに、彼らは即、手のひらを返し、ソフィーナにすり寄ってきた。まだ私兵たちが城外に陣取っているにもかかわらず、口々にルードヴィを非難し、いかに自分がハイドランドのために、献身したかを誇張する。

 シャダを後ろ盾とするルードヴィより、カザックを後ろ盾とするソフィーナが支持する兄の方が有利という判断なのが、あからさまに透けて見えて、うんざりした。実際は後ろ盾どころか、その大国を怒らせているかもしれないのに、と思ったら猶更だった。


「話は後で聞きます。何か申し立てがあれば、兄に」

 いずれにせよ、彼らにどう対処するかは、兄が判断すべき事項だ。そう心して、ソフィーナは彼らの顔と言動をすべて記憶に刻みつつ、表面的に和やかに流したが、

「フェルドリック殿下のご寵愛の深さが伺えますな。人妻となられて、実にお美しくなられた」

と見え見えの御世辞を言ってきた某伯爵に対してだけは、演技に失敗した気がする。


(それは万年雪も真っ青なレベルの白さで帰ってきた私に対する嫌味? 当てつけ? それとも挑戦? いずれにせよ、その節穴の目、抉ってさしあげましょうか……?)

――そんなどす黒い心の声を漏らさなかった自分を褒めてやりたい。

 それにしても、目を抉るなどという物騒な発想が出てくるあたり、切ないかな、そういう意味での白さだけはなくなった。相当フィルの影響を受けている気がする。……彼女には責任を取ってもらって、この先も仲良くしてもらいたい。


「暇を出せる者には、すべて出しました。残っているのは、オーレリアさまとフラージェスさま側の者と、侍女長のジェミデなど、先の陛下の“お言葉”の公開に居合わせた者だけです。ジェミデは“お言葉”に深く関わっておりましたせいで、連れ去られました。私どもにも所在がわかりません」

「ジェミデが……早急に彼女らを確認、保護なさい。お姉さまたちはどうなさっているの?」

「まったく表に出ておいでになりません」

 駆けつけてきた侍従長にざっと話を聞くと、城に残っていた者の中から、信頼に足る者を選び、城内の確認を命じた。


 それから、ソフィーナは急ぎ軍の再編を試みる。

 だが、カザックの鉱物商メケルスが言っていた通り、残っていた騎士、本来であれば指揮官となるべき立場の者は、ヘガティザ子爵の嫡男のように、身分故にその位についた年若い者ばかり。そうでない者の多くは、手酷く傷を負わされ、投獄されたり、殺されたりしたそうだ。

 実質、軍を動かすことができないのではないかと、ソフィーナは不安に駆られた。


 ソフィーナ自身、軍人、指揮官としての教育はまったく受けていない。

『身に付けたいのであれば言え』

 ある晩、フェルドリックとオテレットをしながら、そんな話をしていた時、彼は唐突に『教師をつけてやる。騎士団の講師だ』と言い出した。その時は、何の意図があるのかと警戒して、頷けなかった。他国の王女だった人間にそんな教育を受けさせるなんて、どう考えても普通ではない。

『その程度の判断力だから、オテレットでも勝てないんだ』

 婉曲に断ったら、オテレットに負けた上、そんな風にバカにされてひたすらムカついていたけれど、今となっては、フェルドリックが正しかったと心底悔やんだ。


 ハイドに残された部隊の長たちを集めた場で、人知れず冷や汗を流すソフィーナを助けてくれたのは、ヘンリックだった。

「妃殿下の下僕みたいなものです。気楽に使ってやってください」

 軍人らしからぬ人懐っこさと腰の低さで、兵たちの警戒を取ると、聞き取りをし、どの部隊をどこにどう配置するか、あくまでもソフィーナを立てて決定していく。


 そうして、ソフィーナは「多分まともな戦闘にはなりませんから、指揮官然とした顔で、堂々としていれば十分です」という彼の言葉を頼りに、兵士たちと共に城外に出た。

 

 ギャザレンとの打ち合わせ通り、貴族たちの私軍を挟み撃ちにするつもりだったのだが、ルードヴィの私兵の下っ端に警告を持たせて伝令に出したのが効いたのか、彼らはソフィーナを表す茶に青の線が入った軍旗を見るなり、散開していき、本当に戦闘らしい戦闘にはならなかった。

 

 ギャザレンたちの軍がそれを追い立てるのを見届け、ソフィーナは即城に戻ると、ボボクを始めとする市民をねぎらい、ルードヴィらに捕らえられていた者たちを解放する。

 その中には、従順を拒んだ城勤めの者の他、市民への見せしめとして連れていかれていた、水運組合の長や街の自治長などの姿も多く見られた。


「ソ、フィーナ、さま……? っ、あなたという方は本当に……っ、昔からそうです、聞き分けがいいと見せかけて、とんでもないことばかり……っ。だから、メリーベルさまも最後の最後まで、あなたをあんなに心配していらしたのです……」

 城の侍女長ジェミデは、他の侍女たちと共に、城の地下、最深部に監禁されていた。元々母についていた男爵家の出のその人は、格子越しにソフィーナを見るなり、泣き出した。

 拷問されなかっただけで、ひどい扱いを受けていたことは、牢内の様子を見ればすぐに分かった。精神も体もひどく強いはずのその人が、すっかり窶れ、明らかに病んでいる。

「よくやってくれた、本当によくやってくれた……」

 彼女を支えながら、泣き出したのは、侍従長だ。


『割印した遺言状複数を、国内外に隠しました。ウリム2世陛下とセルシウス殿下に同時に異変があり、私、ジェミデからの定期連絡がない場合、それらは公にされる手はずとなっております』

『拷問してみますか? 私が吐いたところで、私からの連絡は、直接隠し場所に届くわけではない。つまり、私も他の誰も、本物の遺言状がどれだけどこにあるか、知らない』

『次の連絡まで2ヶ月――すべての遺言に、辿り着けるものなら辿り着いてみろ……っ』

 彼女はルードヴィたちにそう言いながら、今まさに殺されようとしていた兄の前に立ちふさがってくれたそうだ。そして、母メリーベルが用意した仕掛けを、こんな状況にあってなお、守り通してくれた。


「ジェミデ、ありがとう、本当にありがとう。貴女がいなかったら、すべてが終わっていたわ」

「メリーベルさまが生涯かけて守ろうとなさったものを、セルシウス殿下を、あんな下愚どもに台無しにさせるものですか」

 礼を言うしかできなかったソフィーナに、ぼろぼろになってなおジェミデは胸を張った。

「さあ、せっかく里帰りなさったのですもの。ソフィーナさまの好物を用意させましょうね」

 そして、そう微笑んでくれた彼女に耐えきれなくなって、ソフィーナは少しだけ泣いた。


「なんかできることがあったら言ってくれよ」

「ありがとう。できるだけのことをするけれど、皆、元の生活を取り戻しつつ、不測の事態にも備えるようにしてください。そして、絶対に覚えていてちょうだい――一番はあなたたちの命だと」

 傾きつつある黄色い日の中、帰っていくボボクら市民たちを見送った後、侍従長たちにしばらく休むよう言われて、ソフィーナは自室へと戻った。


「その、オーレリアさまとフラージェスさまはいかがいたしましょう?」

 自室の扉を開く直前、言いにくそうに侍従長が口にした問いに、ソフィーナは内心で顔を歪ませる。

 姉とその母に最後に会ったのは、フェルドリックとの婚姻のためにここを出て行く前日だった。呪詛を投げつけられたことを思い出してしまう。


『勘違いしないようにね。フェルドリックさまは、政治に賢しらに関わるあなたが少し珍しかっただけ――すぐに間違いにお気づきになるわ』

 吐き捨てるようにそう言った姉の顔は、今まで見たことがないほど歪んでいた。妾妃さまはともかく、姉のオーレリアがソフィーナに対し、あそこまで攻撃的になったことは、それまでなかった。

 その人離れした美しさで、目にする者すべてから自然に敬愛を受けられる彼女と、努力によって価値を見出してもらうしかないソフィーナは、そもそも比較の対象ですらない。

 姉もそう知っていたのだろう。兄がガードネルなどの友人に、ソフィーナとの婚約を打診した時には、困惑する彼らにうまく助け舟を出してくれて、お互いが気まずくならないように計らってくれたり、夜会などで、男性と気の利いた会話ができないソフィーナを見つけては、さりげなく介入してくれたりで、何かと助けてくれた。

 ソフィーナはソフィーナで、彼女が彼女らしくいられるよう、できる限りのことをしようと決めていた。

 そうやって、お互いうまく棲み分けられていると思っていたのに。


「……警護をつけて差し上げなさい。事態が静まり次第、お伺いします、と」

 実質は監視だ、彼女達がこの騒動に加担していないと証明できるまでの。けれど、そういう理由をつけて彼女に会わなくて済むことに、ソフィーナは密かに胸を撫で下ろした。



* * *



「……うー、疲れた」

 半年振りの自分の部屋は、少しだけ埃がかぶっていた。アンナの母でもある乳母のゼールデがちゃんと避難できた証拠だろう。

 まだ部屋が残っていたことと併せて、色々な意味でほっとして、ソフィーナはそのベッドに身を投げ出す。


 行儀悪くゴロゴロと転がり、ふと窓の外に目を向ければ、夕日に赤く照らされた北部山脈が見えた。

「……」

 むくりと身を起こして、マットの上に膝をついて逆の窓を見れば、黄昏れの中、ハイドの街郭の門が開き、人々が行き来を始めているのが見える。

「……よかったあ」

 そう言いながら、ソフィーナはまたベッドに突っ伏した。


『上出来だ――君にしては』

「……」

 いつか聞いた声がふと脳内に響いて、ソフィーナは息を止めた後、長々とため息を吐き出した。

(もうやめよう、忘れようとしているはずなのに、しつこいったら……)

 カザックを離れてからずっとそうだ。不安になる度、気が緩む度、何かに驚く度、心に隙間ができる瞬間に、彼が顔を出す。

「フィルたちが言う通り、悪魔なのだわ、やっぱり」

 八つ当たりそのものの独り言を呟いて、ごろりと寝返りを打った。

(今、何してるのかしら……)

 視界に入る部屋の天井は、やはりカザレナの城のものとは違っている。



「まっくらじゃないですか」

 ヘンリックが、「お茶をもらってきましたよ」と言いながら、顔をのぞかせた。

 ランプに火を灯すと、「フィルほどうまく淹れられませんけど、我慢してくださいね」と笑い、茶器を用意していく。


(……こんなこと、前は全く想像できなかった)

 ベッドに行儀悪く腰掛け、兄みたいな存在で、フィル曰くの「愛妻家で片付かないレベルの鬱陶しい妻信者」のヘンリックとは言え、護衛騎士と2人でまったりお茶をしている。しかも、彼の方は立ったまま、窓の外、ハイドの街を見下ろしているのだ。

 半年前の自分が見れば、なんと言うだろう、と思わず笑った。

 そして、自分はカザックに行く前と後で、それほどに変わったのだ、と悟った。では――フェルドリックは?


「本当にお疲れさまでした。ね、うまく行ったでしょ?」

「え? ええ、ヘンリックやみんなのおかげだわ」

 ヘンリックに話しかけられて、意識を目の前に戻した後、ソフィーナは顔を曇らせた。

「貴族たちにも問題は多いけれど、一番はハイドランド軍ね。身分のせいで経験や知識がない者が上官になるという制度もだし、ルードヴィたちに流されたかと思うと、今度は私に乗せられて、自分で判断ができないというのも」

 父と兄が襲われた時、城にいて殺されたという騎士たちは、地位は高くなかったようだが、忠誠心の篤い、判断力の高い人たちだったはずだ。そんな人たちをみすみす失ったことへの悲しみと懺悔、制度への悔いが湧き上がる。

 カザックの騎士団との差を思い知らされ、「なんとかしなきゃ」とぼやいたソフィーナに、ヘンリックは微妙な顔をした。


「? どうかした?」

「……いえ。格好良かったなあと思って。王女どころか、女王さまという感じでした。で、そう言えば、最初はあんな風でいらしたなあ、と。冗談を言っても、まったく笑ってくださらないし」

 ヘンリックのからかいに、ソフィーナは顔を赤くする。

「あなたたちが変わっていたから、私まで調子が狂ったのよ」

「変わってるって、げ、俺までフィルと一緒ですか……?」

 本当に嫌そうに言うヘンリックがおかしくて、少し笑った。


 こうなって来ると、次に気にかかるのは、彼女だった。

 これまで、フィルが兄を既に確保しているという前提で話を押し通してきたけれど、本当のところはどうなっているだろう?

(フィルとヘンリックが大丈夫と言い切る以上、その通りになっているとは思うけれど……)

 視線を忌まわしい塔のある東の街へと向けた瞬間、ノックの音が響いて、興奮したハイドランド騎士が部屋へと飛び込んできた。

「セルシウスさまがお戻りですっ、ソフィーナさまっ」


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