第33話 帰還と奪還
2日後の朝、ソフィーナは夜明け前の闇に紛れて、再びハイドの城郭外の水門を訪れた。
「どうぞ」
立ち並ぶ倉庫の陰で、緊張しながら任夫のリーダー、ボボクを待つソフィーナの目の前に、ぬっとサンドイッチが突き出された。
「……」
(食べろ、ということかしら……ここで? 立ったまま?)
これまでの常識的にあり得ない事態に固まったソフィーナだったが、ヘンリックが面白そうに様子を見ているのを見て、一瞬ためらった後、ぱくりと噛り付いた。
「……」
悪いことをしているような、でも楽しいような、複雑な気分のまま、もぐもぐと咀嚼すれば、祖国の名産の香辛料の香りが口内に広がった。ひどく懐かしい。
「お腹が空いていたら、判断力も鈍りますしね。そうして立ち食いしてるのが、この国の王女さまとか、誰も思わないでしょうし、目くらましとしてもいいでしょう」
「自慢じゃないけど、立ち食いしていなくったって、誰も私が王女だなんて思わないわよ?」
この旅で色んなことを経験しているが、いずれも“王女”のすることではない気がする。
(この姿を見たら、あのフェルドリックさえ、「王女に生まれてよかったね」とは2度と言わない気がするわ……)
きっと「なにやってるんだ」と、あの美しい眉を顰めて、また呆れるだろうと思ったら、少しだけ笑うことができた。
「……ねえ、ちょっと弱気を零していい?」
「どうぞ」
「サンドイッチに関係なく、私が馬に乗って、ハイドを歩いたからって、みんな第2王女が帰って来たって気づくとは、思えないの」
(そこにいるだけで、目線を集めてしまう、あの人のようであれば……)
「王族であっても、フェルドリック殿下みたいなのは、例外ですよ」
「…………ヘンリックのそういうとこ、やっぱり嫌」
頭の中を正確に言い当てられて、呻き声をあげたソフィーナに、ヘンリックがくすりと笑った。
「殿下が人目をひくのは、見た目の問題じゃないですよ。ソフィーナさまもその点は似てます」
「私?」
(と、フェルドリックに似たところ……?)
思いがけない言葉に目を瞬かせれば、静かな朝の川辺に似つかわしくない、荒々しい足音が近づいてきた。
「迷子姫さん、中の準備はできたぜ」
また迷子姫って言った、と口を尖らせながら振り返ったソフィーナに、ボボクはにやっと笑うと、場違いなティアラと、チョーカーを掲げて見せた。
「仕上げはあんただ、これ、身に付けてくれ」
「……それ、どうしたの?」
「宝飾組合のアドネが、あんたにって。額とこめかみを覆うティアラなら、威厳にも防具にもなるだろうってさ。いかにキラキラしてようと、このチョーカーも金属製だからな、首当ての代わりだとよ」
「で、これが、マント、きらっきらだろ? こっちは服飾組合と宝石商からだ」
当初、ハイドに密やかに忍び込もうと考えていたソフィーナは、ボボクのもっともな反対で、計画を変えざるを得なくなった。
新しい計画は、枯れた地下水路を辿って、ハイドの街に入った後、名乗りを上げ、顔をさらして大通りを歩き、真正面から城に入るというものだ。
『こっそり城ん入って、誰に声をかける? 運よくクソ貴族どもに捕まらなかったとして、1人1人味方になりそうな奴を見つけて、根回して歩くのか? んな時間はねえんだろ? じゃあ、誰が正しいのか、誰の目にも明らかにすりゃいい』
『ほとんどの奴は、セルシウス殿下、そしてあんたの味方だ。殿下がいなくて、みんな困ってるだけで、あんたがいりゃあ、どうすりゃいいか、わかる』
『ルードヴィの私兵がなんぼじゃ。どうせ賢后陛下に救われた命だ。殿下やあんた、この国の盾になれるなら、本望だて』
攻撃の対象となるだろうソフィーナが、盾にするのは、そう言ってくれた任夫たち、そして、ボボクたちが密やかに声をかけてくれているという、ハイドの市民たちだ。
そんなことはさせられないと拒んだソフィーナに、『わざわざ戻ってきてくれたあんたに全部おっかぶせられるか。俺らの殿下で、俺らの国だ。見くびんじゃねえ』と彼らは怒った。
「…………私が地味だから、こういうのを身に付けでもしないと、王女だと気付いてもらえないって、みんな心配してくれたんだわ」
皆が自分と兄を助けてくれる、と泣きそうになったのを隠そうとすれば、そんなひねくれた言葉が口をついて出た。
その場にいた皆が笑ったけれど、嫌な気分にはならない。
「ね、大丈夫でしょう」
そう笑ったヘンリックに手を引かれ、ソフィーナはボボクの後に続き、暗く湿った地下水路へと歩き出した。
* * *
城の正門にまっすぐ通じる大通りを、ヘンリックと任夫たちを従え、ソフィーナは粛々と進む。そこに、ボボクたちが声をかけたと思しき、市民たちが合流してくる。
「な、何事だっ」
「――我が顔、見忘れたか」
通りの向こうから現れた、臙脂色の国軍兵士の制服を身にまとった若者を、できるだけ威厳が見えるよう、馬上から見下ろす。
頷かれたらどうしよう、と内心ドキドキしていることがばれないよう、本気で母に祈った。
「…………ソ、フィーナ、殿下」
「え、あ……、っ、ほ、報告しろ」
呆ける国軍兵士の背後で、ルードヴィの私兵たちが城へと慌てて走っていく。
カーテンの隙間から、その様子を窺っていた市民が、バンっと音を立てて、窓を押し開いた。
「っ、ソフィーナさまっ」
「ソフィーナ姫さまがお帰りになったっ」
「ソフィーナさま、セルシウスさまが……っ、お助けくださいっ」
「……」
ソフィーナ本人が呆気にとられるうちに、ソフィーナの周囲へと次々に群衆が集まってくる。ある者は城への行進に加わり、ある者は「第2王女殿下が帰ってこられた」と叫びながら、街を駆けていく。
騒ぎを聞きつけたのか、左手から、騎士たちの一団がやってきた。
交戦になるかと身構えたソフィーナの前に、階級章の付いた騎士の制服を着た、ソフィーナより年下の騎士が進み出、泣きそうな顔で見上げてきた。
(確か、ヘガティザ子爵の嫡子……昨年騎士団に入ったばかりのはず)
「ソフィーナ殿下、よくお戻りくださいました。どうか、どうかセルシウス陛下に代わってご指示を……」
「市民たちの不安を宥め、王城の憂いを取り除きます。私と一緒に来なさい」
「あり、がとう、ございます、仰せのままに」
礼を口にした後、まだ幼い顔がくしゃりと歪んだ。
「……よく頑張りましたね」
(ああ、きっと不安だったのだろう。その中で、なんとか自分の責任を果たそうとしていた――)
同じ顔をした兵士たちが、四方に駆け出していく。
そうして、城につく頃、背後の市民と国軍兵士の塊は、中心のソフィーナが内心怯えるほどの規模になっていた。
前方にそびえるのはカザックの城より数百年古い、石造りのハイドランド王城。ソフィーナが生まれ育った場所だ。
城の周りに張り巡らされた広い堀の水面には、城影が映し出されていた。
「と、止まれっ、止まらねば、撃つっ」
「……」
傍らのヘンリックが剣を抜くなり、城郭の上から射掛けられた2本の矢を、無言で叩き落とした。
「あ……」
「――まずは相手を確認してはどうだ?」
そして、威圧を露に射手を睨んだ。
「我はソフィーナ・フォイル・セ・ハイドランド、この国の王権を代行する者として命ず――開門せよ」
正面の橋の中央で、ソフィーナは声を張り上げた。
「ソ、フィーナ殿下…………で、ですが……」
「――汝が主は?」
戸惑う門兵たちを馬上から見下ろす。
「それとも、隣国シャダと通じる売国奴に組するか?」
目の前の兵士に、次いでその背後で様子をうかがう者たちに動揺が広がっていく。
「っ、オーレリアさまじゃない、セルシウス殿下を助けようとしてくださっているのも、こうやって俺たちの前に来てくださったのも、ソフィーナ殿下だっ」
ソフィーナの脇にいた騎士のヘガティザの声に、兵士たちは動きを止めて、ソフィーナを見つめた。
しばしの後に目の前の大門が左右に開いた。再度、矢を射掛けられることもなく、ソフィーナはその中央を進んでいく。
「っ、何をしているっ、捕らえよ、いや、殺せっ」
「っ」
――ルードヴィ……っ。
城から出て来て、ヒステリックに叫んでいる小太りの男を見た瞬間、頭に血が上った。
「ああ? 殺せって? 自分ちに里帰りしたら、妙な騒ぎが起こってて、じゃあ、助けてやろうって方に、寝ぼけたこと言ってんじゃねえっ。ありがたがれやっ」
「っ、そ、騒乱を引き起こしているのは、そいつだろう。何をしている、早く殺せっ」
「賢后陛下の娘で、セルシウス殿下の妹でもあるソフィーナさまをそいつ呼ばわりかい……」
「良い度胸じゃねえか」
「っ、早く、早く殺せっ、何をしているっ」
ボボクたちの怒声に、ルードヴィは蒼褪めつつ、命を下すが、騎士や兵たちはもちろん、自分で抱える私兵すら、誰も動かない。
「なあ、あんたがやってることがおかしいって、誰も気づいてないとでも思ったのか?」
殺気立った市民や兵士たちの包囲が狭まっていく。
「う、うるさいっ、うるさいうるさいうるさい……っ」
「不敬にもほどがある」
ルードヴィが震えながら、自らの剣を引き抜いた瞬間、ヘンリックが恐ろしい速さでそれを弾き飛ばした。
「捕らえよ」
信じられないものを見る目で、ヘンリックを見つめるルードヴィが、再度口を開く前に、ソフィーナは命令をくだした。彼のまさに横にいた兵士が、その腕をひねり上げる。
「お、お待ちください、一体、なんの罪で…」
「ウリム2世前国王陛下の暗殺、セルシウス国王陛下の監禁、シャダとの内通を持っての内乱未遂、余罪は後で追及する」
「言いがかりだ、私はただハイドランドのために……そ、そうだ、証拠がないだろうが……っ」
無い。けれど、ある振りをして、ソフィーナは自信が見えるよう、微笑んだ。
笑み1つで、あることないことを他人に信じ込ますことの出来たフェルドリックを思い出して、羨ましくなってしまう。
「詰めが甘かったな、ルードヴィ。我が兄、セルシウスハイドランド国王陛下は、既にこちらの手の内だ」
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