第32話 白い演技と黒い演技
「ソフィーナさま、その、カザックからの支援は、」
「――ギャザレン、姉を抑えているルードヴィが、兄の監禁にこだわっている今、王権を代理行使できるのが誰か、貴方はもうわかっているでしょう」
父には遺言がありました、と告げれば、ギャザレンは眉間に皺を寄せ、頷いた。
「シャダが国境を侵犯したとの報を受けて、我々が出払った際に、先の陛下は……おそらく毒によるものです。セルシウスさまにも刃が向けられたところを、ガードネル・セリドルフらが奮戦、城外にはお出になったようです。が、今一歩のところで捕まり……」
「ガードネルが……」
「身を挺して庇ったようで、怪我はしておりますが、命には。その後、敵の目を欺くために囮となり、殿下と別れたようで……我らに報をもたらしたのも彼です。殿下の脱出がうまく行かなかったと聞いて、ひどく悔やんでおります」
輿入れの際の別れの日、兄の友人でもあるガードネル・セリドルフに、兄を助けるよう、頼んだことを思い出して、ソフィーナは唇を引き結ぶ。
「大丈夫、兄は取り戻します。私はそれまでの代理です」
「では、セルシウス殿下を見捨て、ソフィーナさまをハイドランド王に、という考えは、カザックにはないということですね」
安堵の息を漏らしたギャザレンに、ソフィーナの胸はちくりと痛んだ。
彼はきっと当然のように、ソフィーナがカザックの同意の元に動いていると考え、それゆえカザックからの援軍もあると思っている。
「シャダとの戦ならいざ知らず、現時点では我が国の内乱です。敢えて他国に介入を招く必要はありません。私はそのつもりで戻ってきました」
「まさ、か……勝手に……?」
ソフィーナの言葉に、ギャザレンは顔色を変えた。その彼に、ソフィーナは含みのある笑いを見せる。
「あなたがそうであるように、カザックから援軍が来ると、皆勝手に思い込むでしょう――それだけで十分事態を乗り切れます」
「で、ですが、それでは、ソフィーナさまのお立場は? 大使より向こうでは大層お幸せだと報告が」
祖父のような年のギャザレンが狼狽えながら発した、いつかのアンナと同じセリフに、一瞬唇がわなないた。
(馬鹿ね、幸せなんかじゃないわ……ううん、それも違うわね)
『ソフィーナ、おいで』
手を差し出し、顔全体を緩ませて、自分を呼ぶ顔と声を思い出したら、また胸が震えた。
(……少しだけ、少しだけ幸せだった。彼なりに大事にしようとはしてくれた。でもそれだけ)
「ソフィーナさま、峠でお話したことを覚えておいでですか? 私の気持ちは今でも変わりありません。セルシウスさまも、同じお気持ちのはずです。すぐにでもカザックにお戻りください」
白く長い眉を下げて、苦しそうに伝えてくるギャザレンは、ソフィーナを想ってくれている。その幸せを我が事のように、大事に思ってくれている。
「……大丈夫、」
だからこそ本当のことは言えない。自分を気遣い、心配してくれる、この人たちをソフィーナは見捨てられない。
「愛されているから、多少の我侭は許されるの。ちょっとここで冒険するぐらいのことは、目を瞑ってくださるって」
(嘘だ、愛されてなんかいない。でも気付かないで、ギャザレン、騙されて――)
「……嫁がれて我がままになられたのですね」
言葉遣いを変えて、はにかんで見せたソフィーナに、ギャザレンは、眉を跳ね上げた後、苦笑とも安堵ともつかない笑みを浮かべた。
ソフィーナは、自らの嘘と彼の顔に覚えた痛みを堪えて、余裕のあるふりをする。
「準備なさい、キャザレン。明後日の午前が決戦です」
「ソフィーナさま……っ」
「っ、ガードネルっ」
部屋を出たところで、廊下の端から名を叫ばれ、ソフィーナは音を立てて、振り向いた。
顔の半分と上半身、左腕に包帯を巻き、脇を他の騎士に支えられている兄の友人を見て、顔色を失うと、慌てて駆け寄った。
支えを振り切って、駆けて来たガードネルが、あと数歩のところで躓く。手を伸ばして、咄嗟に支えた。
「お兄さまをかばって、怪我をしたと……ありがとう、本当にありがとう」
「お礼など……力及ばず、申し訳ございません……っ」
跪き、片方だけ晒された目から、涙をこぼし、謝罪する彼の無事な手を握ると、ソフィーナは「謝罪するのはむしろ私の方だわ」とそこに額を寄せた。
「ソフィーナさま、城においでになるのでしょう? 私もご一緒させてください」
「ガードネル?」
「今度こそ守りたい、守らせてください、ソフィーナさま。こんな身ではありますが、あなたの盾にはなれます」
『ガードネルは騎士になるの? じゃあ、私のことも守ってくれる?』
水色の目に、まっすぐ見つめられて、幼い日の茶会での記憶が蘇った。
一瞬戸惑ったような顔をした彼を、『騎士が仕えるのは主君と、美しい令嬢なのよ、ソフィーナ』と姉が咄嗟にフォローしてくれて、そうか、じゃあ、私では無理だわ、困らせてしまった、と悲しくなったことも。
ガードネルは優しい人だ。あの時も、姉の機嫌を損ねると知りながら、『もちろんお守りします』と慌てて言ってくれた。
「……いいえ、もう十分だわ、あなたは兄の命をつなぎとめてくれた。それで、こんなにひどい怪我を……」
「違います……っ」
唇を戦慄かせ、ソフィーナを見つめていたガードネルの手に力が籠った。
「ソフィーナさま、いえ、ソフィ、私はずっと後悔していました。だが、貴女は戻ってきてくださった。私は今度こそ貴女をこの手で……」
「っ」
握り合った手をぐっと引き寄せられ、彼へと倒れ込みそうになった瞬間、「感動しました」と言いながら、ヘンリックが身を滑り込ませてきた。
「……」
(鼻、痛い……ただでさえ低いのに……)
彼の後ろ二の腕に顔をぶつけて、涙目になったソフィーナに気を払わず、ヘンリックは、相変わらず握り合ったままの2人の手を上下から包み込み、ガードネルへと向かい合った。
「――大丈夫です、あなたの想いは私が引き継ぎます」
そう言いながら、ヘンリックはソフィーナの手をぽいっと外すと、力強くガードネルの手を握り直した。
(ヘンリック?)
紳士そのものの振る舞いをする彼らしくない動きに疑問を覚えて、彼の顔を覗き込もうとしたソフィーナを、ヘンリックはガードネルへと顔を向けたまま、肘で邪魔する。
「我らがカザック王国太子妃殿下へのご厚情、本当にありがたくいただいております。あとは私共にお任せください」
そして、ガードネルに美しい顔で微笑みかけた。
(? この顔、どこかで……)
斜め後ろから見えるヘンリックの横顔になぜか既視感を覚えて、ソフィーナは目を瞬かせる。
「我が主、フェルドリック・シルニア・カザックの命に則り、ソフィーナ・ハイドランド・カザック妃殿下には、かすり傷一つ負わせません」
ガードネルにむけて凛とした声で宣言した後、ヘンリックは立ち上がり、「さあ、妃殿下、参りましょう」とソフィーナの手を引いた。
「……」
妙な緊張感がある気がして、ソフィーナは目を瞬かせつつも、促されるまま立ち上がる。
「え、ええ、そうね。……ガードネル、気持ちは本当に嬉しいわ。でも今は療養していて。私がちゃんと城もお兄さまも奪い返す。それで、ハイドランドもあなたたちも守るから」
ソフィーナもヘンリックに倣い、ガードネルを安心させようと微笑んで、歩き出した。
「色んな意味で命がけになってきたかも……」
「ええ、わかっています。まず城に無事に入れるか、入った後だって……」
「いや、そっちじゃないです。物理的なのは、俺、なんとかできるんで」
「だから、なんでカザックの騎士ってそう自信家なの……?」
廊下を並んで歩きながら、呆れ半分、頼もしさ半分で笑ったソフィーナに、ヘンリックは苦笑を零した。
「念のため、武装をお願いします。物々しくなり過ぎないよう、胸当てと脛当て、籠手、首当てぐらいで。兜は……顔が見えなくなるのは困りますから、なしで行きますか」
「じゃあ、そうするわ。ヘンリック、また後で」
着替えに別室に入っていくソフィーナを、ギャザレン公爵家の侍女に託して、ヘンリックは「……鈍いのか、真面目すぎるのか」と深々とため息を吐いた。
「あんなん、近づけたってばれたら、俺、マジで殺されるってのに……」
そして、「城と王様を奪還して、さようならできれば、それが一番なんだけどなあ」と首と振ると、鋭い視線で、ギャザレンの居城の窓から、遥か西を睨んだ。
――きっともう動き出している。
「殿下ぁ、頼みますよ……。人のためになんだってするお姫さまだって、知ってて、望んだんでしょ?」
そうぼやくと、ヘンリックはソフィーナのいる部屋の扉へと背を預けた。
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