第31話 歓迎と懸念

 石造りの門を騎士たちが固めている。

 その向こうに広がる庭園では、夫人が自慢にしていた花壇などがすべて潰され、悲愴な顔をした騎士の一群が物々しい装備のまま、たむろしていた。


 ソフィーナは、門番の前で外套のフードを外して、顔をさらし、敷地へと踏み入る。

「何者だ? っ、待て、勝手に入るなっ」

「ギャザレンを呼びなさい」

「っ、無礼な、騎士団長に…向かっ、て……」

 血走った目を向けてきた騎士たちは、しばらくの後に、信じられないという顔をした。

「ソフィーナ、さま…………、っ、し、失礼いたしましたっ」

「すぐに呼んで参りますっ」

 慌しく駆け出していく騎士たちとソフィーナとを、戸惑いながら見比べていた残りの騎士たちが、ソフィーナの顔を凝視し、それぞれ声を漏らす。

「っ、ソフィーナさまだっ、お戻りになられた…!!」

「よかった…! ソフィーナさまっ!」

 次第にその声は広がっていき、最後には歓声となった。


「すごい人気……」

 眉を跳ね上げてその様子を見ていたヘンリックが、「……その気になれば、いつでも逃げられるってやつですよ、これ」と南に向かって吐いたため息は、歓呼にかき消されて行った。



 ギャザレンを待つために通された城の貴賓室の窓から、ソフィーナは眼下の庭で稽古に励む騎士の姿を眺める。

 カザレナでソフィーナは、何度かカザックの騎士が剣を振るうのを見た。殺し合いを前提とした、殺伐とした彼らの剣技と、作法に則った、ハイドランドの美しい剣技――。

「カザックとは大分違うわね」

「お褒め頂きまして」

「違うと言っただけなのに……カザックの騎士って、本当に自信満々ね」

「自信のない人間に守られるのは、嫌でしょう」

 にっと笑ったヘンリックに、ソフィーナは複雑な気分で息を吐き出した。


「フィルはどうしているかしら……」

 一昨日の朝別れた彼女は、兄の身柄を確保次第、ハイドに向かうと言っていた。順調に行っていれば、今頃彼女は兄のいる街についているはず。

 ソフィーナがハイドの街に入るのは、明後日の朝の予定だ。兄の救出より先に、ソフィーナが身一つに近い状態でハイドにいることをルードヴィに悟られれば、兄はほぼ確実に命を落とす。同時に、ルードヴィは血眼になって、ソフィーナを殺しにかかってくるだろう。

 かといって、兄の救出を確認してから、ハイドに入るのでは、時間がかかり過ぎる。

 出した結論が、同時に、と言うものだったのだが、それは兄の命をかけた綱渡りでもあった。


 フィルの負担もすさまじいはずだ。「大丈夫です。そういうの、得意なんで」と何でもないことのように、言い切っていたけれど、伝手もない中、たった1人……。

(やっぱり無茶なことを頼んでしまったかも、考えが足りなかった……)

 緑の目を自分に向けて緩ませる彼女の顔を思い出したら、強い不安に襲われた。ソフィーナは顔を伏せ、ぎゅっと眉根を寄せる。

 理解しているのだ、自分は人を“駒”として使う立場で、その安全に配慮しすぎて、打つべき手が打てないようではいけないと。

 でも、フィルは“駒”としての分を越えて、太子妃でも王女でもない、ソフィーナを助けてくれる。今回の兄の救出だってそうだ。そういう人が、自分のせいで傷つくかもしれないというのは、ソフィーナにとって、恐ろしいことだった。


「フィルなら大丈夫ですよ。確実に任務を遂行します」

「っ」

 顔を跳ね上げたソフィーナに、ヘンリックが当たり前のような顔で言い切る。


「彼女がザルアの山奥の育ちだってのは言いましたっけ? 魔物がうろつく山が遊び場だったらしいですよ。で、そこで隠居していたウィル・ロギアを雪男と勘違いして、捕獲しようとして、逆に捕まった。その彼に頼み込んで槍や弓、投てきを教えてもらったそうです」

「最後のドラゴン退治の英雄……?」

(……は、すさまじい人嫌いではなかったかしら? ああ、でも、フィルは人っぽくな……)

「……」

 今とんでもなく失礼なことを考えた気がする、とソフィーナは咳払いして誤魔化す。


「彼女、気配に敏感でしょう? 察し方も消し方も、ロギア老と暮らしていたレメントにいじくりまわされている間に、殺されないよう、身に付けざるを得なかったんだそうで。だから、普通の人間じゃまず太刀打ちできません。ああいう任務にしょっちゅう出されてますよ」

「レメントって、太古の神…………それ、さすがに冗談よね?」

 1匹で古代王国を滅ぼしたと言われる、伝説の魔物だ。ドラゴン以上に強く、人以上に賢く、やはり人嫌い――さすがにあり得ない、と目を見張れば、ヘンリックは肩を竦めた。

「そんな育ちだから、常識もないんだって思ったら、納得できません?」

「そう言われれば…………って、ああ、私、結局ひどいこと言ってる」

「ひどくないです、事実ですもん。あれでもマシになったんですよ? 祖父のアル・ド・ザルアナックが死んで、剣を捨てて結婚しろと父親に言われて、断って勘当されて、寝る所に困って宿舎付きの騎士団」

「え、そんな動機なの!? ……というか、食べるのにはやっぱり困らなかったのね……」

 思わず呆れ声を漏らせば、なんだか笑えて来て、一緒に肩の力も抜けていった。

 考えてみれば、彼女はいつもそうだ。ソフィーナの想像にないことばかりやって、呆気に取られているうちに、いつの間にか緊張が消えてしまっている。


「ね、だから、絶対に大丈夫です」

 ヘンリックの茶色の目が、そんなソフィーナを見、優しく緩んだ。

 ああ、そうだ、彼もだ。ソフィーナの些細な空気の変化を読み取り、思いやって、いつも助けを差し伸べてくれる。

「……ええ、信頼しているわ」

 そうして一息ついたところで響いたノックの音に、再び顔を引き締めた。



「ソフィーナ殿下……っ。よく、よくぞお戻りくださいましたっ」

「ギャザレン、あなたこそ良くやりました」

 国境の峠で別れて以来の再会と、彼のやつれた様子の両方に胸が詰まった。だが、感慨に浸る間はない。

「兄の救出には、私の手の者が当たっています。彼が戻る前に、私たちは王城と残りの兵を奪還します。現況を説明なさい」

「は」

 そうして実直な初老の騎士団長が語った事情は、ほぼ予測どおりの物だった。


「申し訳ありません、ハイドは完全に封鎖されていまして、守護のために置いていた部隊を含めて、内部がどうなっているか、掴めません。攻め落とすしかない状況ですが、時期が時期だけに……セルシウスさまと連絡がつかない中、決断できませんでした。面目ない」

「しなくて正解でした、ギャザレン。ハイド内に入る手はずはこちらで整えています。明後日の朝、私がハイドに入り、中の軍を抑え、無血での開城を目指します。あなたはそれに呼応して、ここを包囲している敵を撃破なさい」

「っ、ソフィーナさま、それは……」

「異論は認めません――ギャザレン、時間がないの。シャダが攻めて来る。貴方もわかっているでしょう」

「……承知しております。ハジードにシャダが侵入したというのは、まったくのガセで、陽動部隊すらなかった。いずこかに集結しているのだろうと」

「ええ、そのためにできるだけ早く、損害少なく、反乱を制圧します」


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